「伝えるべきことを伝えること」恋妻家宮本 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
伝えるべきことを伝えること
「家政婦のミタ」の脚本家が、とうとう自分でメガホンを執るというのだから、とても楽しみにしていた。そして期待は裏切られることはなかった。
すべてのシーンに主人公が登場する。その場にいないときは電話の相手として登場する。しかもモノローグや妄想シーンまである。つまりこの映画は、主人公の気持ちを中心に描いた一人称小説なのである。
こういう設定では各場面がくどくなりがちのところを、周囲の登場人物を典型的にすることで物語にメリハリをつけ、解りやすくしている。言ってみれば教科書通りに作られた映画なのだ。だから観ていて安心感がある。
たとえば富司純子は、封建的な家庭で育ち偏狭な考え方が身についてしまった老婆を矍鑠と演じている。この役もひとつの典型だ。窮屈に封じ込められた自らの人生を恨む気持ちをひと言の寝言で表現するあたりは、さすがに大女優である。
阿部寛の演技はいつもながら世の中に対しても自分自身に対してもやや斜に構えているような雰囲気で、とっつきの悪さはあるが、そこは主人公の特権で、モノローグを駆使してあっという間に感情移入させてしまう。
天海祐希が演じる妻からは、夫に対する愛情は殆んど感じられなかった。その点が少し残念だが、熟年夫婦となれば会話もさばさばしたもので、結婚して27年も経過した妻がベタベタしていたら逆に気持ちが悪い。ある意味、典型的な熟年妻を好演したといえるだろう。
とはいえ、円満な夫婦ならば、妻の日常の言葉の端々に夫に対する尊敬の気持ちや、夫の癖を面白がったりする愉快な感情がちょくちょく出てきてほしいと思うのは、男の我儘だろうか。
教師という職業は必ずしも尊敬される職業ではないが、気の弱い安全無事路線の主人公が、勇気を出して言うべきことを言うシーンがある。富士純子の名演技もあって、この映画のハイライトシーンとなっている。情けない主人公が、突如として英雄になる瞬間だ。このシーンの演出は特に見事で、誰もが共感するだろうし、涙もするだろう。
下を向いていてもいい、ぼそぼそした言い方でもいい、とにかく言うべきことを勇気を出して言うこと、伝えるべきことを伝えることは価値のあることなのだと、それがこの映画の全編を通じたテーマなのである。