未来を花束にしてのレビュー・感想・評価
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時代描写に気が滅入る
女王陛下、紳士淑女の国も一皮むけば特権階級支配の腐敗した格差社会の縮図であった。昔とは言え法以前に女性に対する警察の卑劣な暴力行為、工場長の未成年への性暴力など倫理観の欠如が突出して描かれる上に夫でさえ母子を切り裂く思いやりの欠如は何なのだろう、モード(キャリー・マリガン)の選択への動機づけための脚色なのだろうが観ていて只々気が滅入る。
温厚な改革派に対して業を煮やした過激派が生ずるのは世の常だが武力闘争でなく一人の女性の自己犠牲によって道が拓かれたのは感慨深い。
選挙権は得ても「ドリーム」や「ビリーブ・未来への大逆転」などに描かれたように真の男女平等はなお道遠しだった。いや21世紀の今日でさえ危ういままであろう・・。
本当のお話
1912年、イギリス・ロンドン。洗濯工場で働く24歳のモードは、同僚の夫と幼い息子の3人で暮らしていた。ある日、女性参政権運動活動家である友人に代わって公聴会で証言し、「今とは異なる生き方があるのでは?」という疑問を持つようになる。それがきっかけとなり、モードはWSPU(女性社会政治同盟)のリーダーであるエメリン・パンクハーストの演説を聞き、デモにも参加するようになる。しかし、女性の政治活動を不満に思う男性も多く、夫からは家を追い出され、息子と会うことも禁じられ、さらに工場長からもクビを宣告されてしまう。国王に直訴しようとダービーに乗り込むがうまく行かず、最終手段としてエミリーが選んだのはレース中にコースに出る行動に出る。彼女の行動は全世界に報じられ、運動の原動力となった。悲しい現実ではあるがここまでやらないと運動が消えてしまいかねない状況を作り出したのは誰なのか考えさせら作品。
主張に異論はないが、評価は出来ない。
女性に政治的判断は出来ないと決めつけられ、参政権を持たなかった時代。女性にも参政権を!と立ち上がった女性たちの姿を描いている。
彼女たちが本来有して然るべき権利を求めることに対しては何の異論もないし、彼女たちの活動があったから、女性の参政が進んだというのはおそらく事実であるのだろうと思う。けれども、テーマはあまりにもデリケートで、少し慎重にならなければならない部分もある。何故なら彼女たちのやり方はかなり過激で、謂わばテロリズムだからだ。
映画は彼女たちのおかげで女性が参政権を得たと疑わず、彼女たちの過激な活動に対し、勇敢だと手放しに評価している様子がある。彼女たちの行動をまるごと認めてしまえば、世界に蔓延る悲惨なテロ行為も正当化されてしまう。映画はそこら辺に対してとても無配慮で、「あれではテロと同等だ」という批判を恐れてか「平和的な交渉を長年続けた末の行動だ」という言い訳のような一文を冒頭で入れてくるあたりもひどく無神経だと思う。
当然の権利を求めるために女がここまで身を犠牲にしなければならないことの不条理を説くでもなく、
正しいことを全うする為に、過激派として活動を起こすことの危うい正義感を観客に問い質すでもなく、
もともとは強い思想があったわけでもなかった主人公が、徐々にその過激な活動家へと移ろっていくその姿に、一人の女としての生き方の葛藤を投影する・・・でもなく、
映画はひたすら、当然の権利を求めて数々の犠牲を払ったその姿に英雄を見ている。
テロリズムまがいの彼女たちの行動と、しかし彼女たちの胸の内にある信念の正当性とのバランスをきちんと取らなければ、この映画の題材は極めてデリケートであるが故、その真意が伝わりにくい場合がある。その点の考察が実に甘く、思慮が足りないとしか言いようがなかった。
当時の女性たちの中にも、彼女たちの活動を訝しく見ていた者はいただろう。「波風を立ててくれるな」と思う女もいれば、「そんなことをすれば逆効果だ」と思っていた女もいただろう。そういう第三者的な視点がこの映画は非常に弱い。メリル・ストリープ扮するリーダー的女性の娘が、母親の活動に対し批判的だと言う興味深いエピソードが一瞬語られるが、ここを伸ばせば、もう少し彼女たちの活動に対して冷静な目を向ける余地が出て奥行きと多面性が見えたかもしれない。しかし映画はそこまでの考察に興味を持たない。彼女たちにあまりに接近し、同調し過ぎたように思えた。
私は、忘れ物を取りに別荘に戻ったためにテロに巻き込まれた人の存在を忘れないし、自殺行為に巻き込まれて死んでしまった競走馬のこともなかったことにはしない。だから彼女たちの行動を正しいとは決して言わないつもり。
とは言え、だ。先人がここまでしなければ得ることの出来なかった一票という権利。その権利が我々には当たり前に与えられているのに、その権利を行使しないことは、なんて愚かで不躾なことなのだろう、と改めて思う。政治をアテにできないのだとしても、いやだからこそ尚更。
女なら見なくちゃ。
サフラジェットが原題ですが、イギリスにおける女性参政権運動をする人のことを指すようです。
1910年代の彼女らの戦いを、架空の女性を主人公に据えて描いた物語です。
彼女らのやっていることは全くもってテロリズムだと思います。
なるべく人を傷つけないように配慮しているようですが、
いきなり自分の店の窓ガラスを割られた日には、ねえ。
そして、ラストの競馬場での行為は現代で言うところの自爆テロですから。
製作者側も、彼女らを全て是としているわけではないように思いました。
決死の行動の結果、参政権は獲得された。
だけど、その手段は悲しいものでもあったというニュアンスを受け取りました。
でも、どうしたって、その行動を取らせた気持ちには、深い共感を覚えます。
女は男よりも選べる選択肢が少ない世界なわけです。
その理由は男じゃないからです。それにもう甘んじられない。そんなのはいやだ。よく分かります。
ベンウィショーのような優しそうな(自分比)男性でも、ああなわけでしょ。
女が男と同じ権利を得ようとするなんてとんでもない。おとなしく夫に従ってればよい。
そうして妻を追い出しておいて、まともに子育てもできず、あっさりと養子に出す。
どんだけ無責任なの、どんだけ口先だけなの。
モードが我慢ならないと思ったのは、上司のセクハラのようでした。
セクハラでは主訴がぼやけてしまいます。
雇い主がその権力を使って、若い娘を陵辱したってことです。
かつては自分が味わった屈辱が、時が流れて友人の娘に及ぼうとしている。
そのおぞましさに、歯を食いしばって我慢する事ができなくなった。
そりゃ、許せないでしょう。手の甲にアイロンくらい、やってしまうかもしれません。
理不尽だと思うならば、その事を加害者・傍観者に知らしめる必要がどうしてもあるならば、
その行動はおのずと他者を巻き込むものにならざるを得ない。
申し入れが功を奏したならば、暴力や破壊行動を手段に選ばなかったでしょう。
声なき声よりも、耳障りでも耳に入れなければ進展しない。
その切実さに、体がちぎられるような気持ちで観ていました。
だから、破壊と暴力を許せといいたいわけではありません。
でも、無視され続けたら、そこに走るってことを学んだ方がいいと思います。
現在もあるテロリズムも始めからそうだったわけではないのだろうと思います。
無視され続けた結果なんだろうな、と。
既得の権利も殆ど暴力に頼って得てきたのではないでしょうか。
その手段を是としたかどうかは別として、結果的に。
人を殺さずに構築できなかった世界にいて、非暴力を理想とする。
全てが大いなる欺瞞に思えて、悲しくなりました。
私自身は、暴力を振るわなくてもよくなってきた時代に産まれ、殺すことなく今を生きています。
理不尽に思うことはたくさんあるけれど、ガラスを割らないと視界にも入らないほど
無視されている状況にはありません。
ですが、今もそういう気持ちの人はたくさんいるだろうなとは思います。
私は性格が大変悲観的なので、こういったくらーい感想をもちました。製作者の意図しないところでしょう。
ですが、やはり女ならばこの歴史を知らなくてはいけないだろうとも思います。おそらく製作者の意図はそこにあります。
長い道のり。
100年前の英国で実際に起きていた、女性参政権を求め過激なテロ
を繰り返すサフラジェットに身を投じた労働者を主人公にした物語。
実在した人物や事件が登場するが、主人公は架空の人物なのらしい。
幼い頃から洗濯女として働いてきたモードは友人の代理で公聴会に
出席したことから政治に目覚め、別の生き方を模索し始めるのだが、
この時代でなくとも幼少期から抑圧された生活の中で世間を知らず
に育てば新しいものや過激なものに対して目を見開く時がくるもの。
当時の女性の立場からすれば、なんの権利も与えられずに酷い扱い
を受けていたことは確かなので賛同する人々も多かったことだろう。
とはいえ、それによって夫に家を追い出され、子供も取り上げられ、
自身の生活を捨ててまで過激運動に突っ走ることになってしまった
モードの生き方に観客は賛同できるだろうか。やりたい仕事がある
のは素晴らしいことなのだが、家族を築けば責任というものがある。
何度も投獄される母親や妻を家族はどんな思いで受け止めていたか。
それが善行だと信じる裏には犠牲が生じていることをキッチリ描き、
過激派に肩入れしない演出はいいのだが、結局のところ、ある犠牲
によってこの訴えが認められた(映画では)という終わり方になって
いるのはやや勿体ない。実際にはこの後まだまだ苦労が続いたのだ。
こういう映画を宣伝するのは難しいと思うが、タイトルとポスター
からでは彼女らの心意気や過激なテロ同然の爆破など想像できない。
最近になってから女性参政権が認められた国々が未だにあるという
事実をエンドロールで知ったのが今作を観た中で一番の衝撃だった。
(メリルが登場するのはほんのちょっと。彼女が率いていたのにねぇ)
序盤で女性参政権運動の暴力性により主人公が被害を被り観客に嫌悪感を...
序盤で女性参政権運動の暴力性により主人公が被害を被り観客に嫌悪感を植え付け、
中盤主人公はアクシデント的に参加した筈の運動に没頭することで私生活が崩壊し、
終盤は更に過激化し先鋭化する事で守るべき存在だった筈の女性すら傷つける事となり、
最終盤は自爆した闘士の葬式が全世界に放映される事により世界の女性に参政権が認められました。
という筋で序盤で与えた嫌悪感へのフォローなく終劇するので、全体的なお話は破綻していると言えます。
中盤以降は女性への迫害を根拠にテロリズムを是認する内容で、現代人から見返しても政治的に正しい行いとは言い難い描写が続きます。
公式サイトの Introduction は穏健派の存在を示していますが、劇中穏健派として登場するのは途中で過激な運動から脱するサブキャラの方で、主人公は終始過激派として描かれています。意味が分かりません。
ひょっとすると序盤で強調されていた「女性は愚かだから参政権など与えるべきではない」という論を補強する為の映画なんでしょうか。
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2017-2-11 誤字を修正
史実に忠実だが話の作りが甘い
ちょっとがっかりした映画。
テーマは非常に良く、また、登場人物に敬意を払い、史実に基づき、史実に忠実な映画という観点で見れば、まあこんなもんか、と、そこそこ出来の良い映画ではある。
しかし、単に作品そのものについて論じるならば、話の構成は恐らく虎頭蛇尾の謗りを免れられないだろう。一人の活動家の死によって、参政権運動は注目を集め、やがて成功した、という終わり方は、殉教者を讃えるというよくある新鮮味の無い作りに陥っている。史実には合致しているのかもしれないが、話の作り手としては無責任だと感じずにはいられない。主人公の子供はどうなったのか、その後どのような戦いを経てやっと成功したのか、などの情報は一切無かったし、伏線が回収し切れていないようなもやもや感が残る。また、殉教者によって全てが変わったというような話を観ると、殉教者が出ても何も変わらない現代社会を思い出して絶望するばかりだ。
特筆すべきは、邦題『未来を花束にして』も、ラブリーでふんわりとした日本版ポスターも、戦闘シーンと男性に刃向かうシーンを全てカットした日本版予告編も、最低だと言わざるを得ない、ということ。マーケティング戦略なのは理解できるが、作品の作り手、作品そのもの、更には史実に対する敬意を感じられない。やっぱりこんな、差別されている人達が自らの権利のために立ち上がって闘うような映画も、日本社会の差別に迎合しなければならないのか、と、絶望的な気持ちになる。
付け加えるならば、『未来を花束にして』は決して、「百年前の人達の頑張りのせいで私達は参政権を手に入れた、感謝感謝、はい、現代最高」に留まる映画ではないと思う。女性は参政権を手に入れた。では他の差別は?生きる権利を奪われている弱者は?そんな反省が浮かばない限り、この手の映画を理解しているとはいえない。
ジーンときました。
例によって、映画館での予告編、新聞などでの紹介記事は見ないで、鑑賞しました。
私のお気に入りのベスト5に入る「我が青春のフロレンス」のような味わいで、見終えて、ジーンとしてしまいました。
帰宅してから、1月27日、金曜日の朝日新聞、夕刊の批評を
読みました。
メリル ストリープが演じた過激な活動家が実際にがいて、
運動家たちが窓ガラスを投石で割ったり、ポストに爆薬を入れていたなんてとショックでした。
また、競馬場で身を投じてしまった運動家がいたなんて。
全く、知らなかったことが多すぎます。
キャリー マリガンが演じた「モード ワッツ」が、
いつの間にか、「女性参政権」の運動に巻き込まれていく過程が
すごく、リアルでひきこまれました。
エンドロールを見て、日本では、「女性参政権」が認められたのは
いつだったのだろうと考えてしまいました。
「モード ワッツ」は、実在してはいないようですが、
多くの名もなき女性たちの犠牲、努力、献身によって、
「女性参政権」」が認められていったのだとわかりました。
多くの人に見て欲しいです。
これは歴史の話なんだ
キャリーマリガンの人生を追っかけてるように見えたけどそうじゃなくて、歴史はこう変えられてるんだよ、こんなに難しいんだよっていう映画でした
だからああいうラストシーンだったし
すごく不思議な感覚だった
ハッピーエンドって言っていいのか分からなかった。
そもそもモードワッツ(キャリーマリガン)が夫と息子を手放してまで(不本意ではあるが)得たいものだったとは思えなかった
からこそ凄い。誰かのための勇気を持ってる人なんだと思う
そういう意味ではモードは強くてでもとても気の毒でキャリーマリガンの顔がますますそうさせて
むしろ女性参政権党なんなんだよという気持ちにさえなった。
今はSNSとかですぐに拡散されて人々の目に届きやすい世の中になっているけど、昔は本当に過激なことをしないと誰にも見てもらえなかったんだなあ
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