劇場公開日 2017年1月27日

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「闘いは常に厳しい」未来を花束にして 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5闘いは常に厳しい

2017年3月17日
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鑑賞方法:映画館

泣ける

 時代によって、世の中は常に移り変わる。 移り変わるけれども、多数派は常に体制側である。いつの時代も反体制派はなかなか認められず、大抵は無視され、時には弾圧される。弾圧するのは警察やそれに類いする組織だけとは限らない。一般人も、少数派や反体制派には冷たく当たる。無視するだけならまだしも、差別したり罵詈讒謗を浴びせたり、場合によっては殴る蹴る、家に火を付けるなどの野蛮な行為に走ることもある。
 国家という共同体の論理を、大衆は往々にして自分たちの大義名分とする。変化を怖れ、権力に逆らえない自分たちの弱さを、共同体の大義名分で押し隠すのだ。それが時代というものだ。つまり時代とは人間の弱さの集合体なのである。時代に逆らうには、大変な苦難を覚悟しなければならない。
 どんなに理不尽な考え方であってもそれが体制側、つまり権力の側のものだと、反対するのには勇気が要る。戦争反対は今では誰もが抵抗なく主張するが、戦時中にも同じように主張できたかというと、かなり疑わしい。大本営の戦争礼賛発表をそのままマスコミが報じ、勝った勝ったと国を挙げて浮かれているときに、ただひとり戦争反対を主張することができるだろうか。その先には、逮捕され拷問を受け、家族を犠牲にする現実が待ち構えている。
 100年前のイギリスで婦人参政権を認めてもらおうとする運動も、同じように厳しい闘いであったに違いない。子供がいて、その将来を願うことだけが生き甲斐の若い母親にとって、運動に参加することは即ち時代に逆らうことだ。世間からの風当たりは相当に強く、人格まで容易に否定される。

 イギリスの詩人オーデンは、詩の中で次のように書いている。

危険の感覚は失せてはならない。
(中略)
見るのもよろしい。でもあなたは跳ばなければなりません。安全無事を願う私たちの夢は失せなければなりません。

 この詩がイギリス人によって書かれたことは、民主主義の歴史にとってある意味で象徴的である。人間はともすれば世間に負け、時代に流される。二十世紀の初頭に勇気を出して闘った女性たちの行為を仇花にしないためにも、現在の我々もまた、闘い続けなければならない。自分たちの尊厳を守り、時代に蹂躙されないためである。

 そういった背景を踏まえてこの映画を観ると、婦人参政権を勝ち取ったのは美しい女性たちが華麗に闘ったのではなく、世間に疎まれ迫害されながら、泥に塗れて地を這いつくばって運動を続けた勇気ある女性たちなのだということがよくわかる。
 女優陣は社会の底辺にいる当時の女性たちを上手に演じている。中でも主役を演じたキャリー・マリガンは、貧困と重労働に苦しみながらも、参加した公聴会をきっかけに自己主張することを学び、平穏を願う自分自身の弱さと闘いながら生き方を変えていく若い母親の複雑な心情をよく表現できていた。息子に、「あなたの母親はモード・ワッツ」と語りかけるところでは、誰もがホロリとくるだろう。
 こういう映画こそ、脚光を浴びてほしい。

耶馬英彦