「アメリカのムラ社会」スポットライト 世紀のスクープ hk-ainselさんの映画レビュー(感想・評価)
アメリカのムラ社会
日本社会を批判する際によくムラ社会なんて表現をする場合がある。同調圧力や排他性、隠蔽体質、過度なコミュニティ意識といった意味合いで使われる場合が多いだろう。
本作の中では被害者が抑圧される原因の一つとして、教会を母体とした地域コミュニティからの圧力が何度か描写され、主人公たちもまた地域(ボストン)への愛着や、自分自身の信仰心との間で揺れ動く。
その姿を見ていると、人間が社会的動物である以上は、洋の東西を問わず多かれ少なかれ「ムラ社会」に属しているということを痛感する。
日本人とアメリカ人のムラ社会的な部分に違いがあるとすれば、それは単純に幼児期の教育において何が正邪の規範となっていたかに依存するのではないだろうか?
日本人の無宗教性をみて、アメリカ人はよく驚くという。彼らにとって宗教とは正邪の観念の基本をなすのだ。だからこそ、本作で描かれるような児童虐待が長年にわたり放置され続けたのではなかろうか。
彼らにとっては教会を中心とした地域コミュニティこそが「ムラ社会」なのである。
(そうは言っても、それに対する自浄作用はさすがの一言。今年も日本の報道自由ランクが下がったようだけど、問題なのは政府じゃなくて都合の良い報道しかせずに自分たちの社会的信頼を貶めてきた報道機関そのものじゃないの、と思ったり…。こんな胸の熱くなるような報道ストーリーが最近の日本でありますかね…。)
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