「観る人の思いを投影させる演出。監督の確信犯的策略。」陸軍 とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
観る人の思いを投影させる演出。監督の確信犯的策略。
原監督『はじまりのみち』を鑑賞して、どうしても観たくなった作品。
原作未読。どのくらい翻案しているのだろうか。忠実なのだろうか。
親子代々受け継がれる思いを縦軸に描く。
幕末から始まる。
討幕を志す軍と幕臣の攻防に巻き込まれ、家・店を捨て逃げ出さなければいけない商家。
光圀公の『大日本史』を質草にしていた侍から譲り受けるのであるかが、幕臣との付き合いも濃厚だったのであろう。
だが、次の代になると、騎兵隊への憧れもあり、討幕の要人との濃い付き合いが始まるような、日和見的な態度も見せる。尤も、単に損得とかでではなく、「日本のお国のために」という信念に従ってのこと。幕末の遺恨を越え、日本を狙う諸外国から日本を守るというスローガンに集約させるための設定?
そして、三代目・友吉は、父の影響を受けて、軍人になるが、体の具合から、民間人として暮らす。
この友吉を主人公として、 「天子様が下さった”五か条”=軍人勅諭」を守り抜く民間人の有様(在りかた)を描く。
当時の、軍に肩入れする人々の暮らしぶりが描かれていて興味深い。
天皇陛下のことを口にする時の居住まい。
奉公していた女中と結婚する跡取り息子。
一見、夫を立てているようで、夫のコントロールの上手い妻。
がちがちの国粋主義者のようで、権威を振り回すだけではない夫。
”軍国の母”として、天子から預かった子を、活発な男に育て上げようとする母。
そんな母からの逆鱗から救い出すのは、元軍人の父。子の思いを受けて、仲直りする父でもある。
同じようなカンカン帽でも、自分の物と、他人の物の区別がつくんだ。
軍人としては役立たずであった男の説く元寇。
軍属として、世界情勢を知っているだけに、現実的な男の元寇への思い。
そんな大人たちに大切に育てられ、軍に入って”お国”に尽くすことが使命と信じる子ども達。
そんな二つの家をとりまくご近所さんの様子。
と、生活感溢れる小さなエピソードを積み重ねて、ホームドラマのように、国民のあるべき姿を綴っていく。”あるべき姿”とは言っても、偉人伝のようなものではない。隣によくいるような人々。そんな彼らの暮らしを見ていて、自分の有様と比べてしまえるほどの生き様。
軍の機嫌を損ねそうな箇所は3点。
友吉と桜木の元寇に対しての見解の違い。精神論者には友吉の言葉に同調し、現状を分析して策を練る派には桜木の言い分が尤もと同調できる。この二人を仲直りさせるのは、二人の息子。戦いに行く自分たちに、心配事を残さないでくれという思い。幕末の遺恨を帳消しにして、外敵に向かおうと同じ趣旨。
軍属として、軍に協力をしている桜木が、自分の息子が死んだかもしれんと知ってうろたえる場面。これも、仁科大尉から叱られて、気持ちを立て直す。軍が目指す民間人の有様が示される。
そして、有名な母の見送り。一切、台詞も説明台詞もない。息子を見つけてからは軍国調の歌(兵士となって国を守ろうという歌)が流れる。ここに、どんな台詞をつけるか・どんな思いを乗せるかは、観る人による。最後の祈りは、生還を祈るのか、武運を祈るのか。原監督『はじまりのみち』で便利屋が語ったような感じ方もある。
結局、母の見送りのシーンが軍から「女々しい」と判断されて、木下監督は次の監督作品が中止に追い込まれたと聞く。
「陸軍省後援 情報局國民映画」として、どれだけ、映画の制作に軍が口をはさんだのだろうか。昭和19年、歴史を知っている私たちからしたら、敗戦間際の状態。だからこそ、国民へのプロパガンダ映画が必要だったのだろうが、制作過程をチェックできるほどの余裕はなかったのだろうか。映画は上映順に撮影されるものではない。映画人ではない軍はよくわかっておらず、監督たちにある程度、丸投げだったのだろうか。ラストシーンの大行進は実際の行進を使ったとも聞くから、ある程度の説明は受けていて、協力したのであろうと思われるが。
この映画こそ、制作中止に追い込まれても仕方がないのに。うまい具合に、ラストのシーンは本当にラストに撮ったからばれなかったのか。スポンサーの意向に従っているんだというような説明をして切り抜けたのか。
わずかな期間だが、戦争中に一般公開もされたらしい。今でいう、公開前の関係者だけのラッシュはなかったのか。
不興を買った映画であれば、破棄されても仕方がなかっただろうに。それでも、残すべき映画として、守られたのか。
ギリギリのところを狙って主張を通した監督と俳優・スタッフたち。
落としどころが見事。
前半は、その軍国主義に賛同できないこともあって、ホームドラマとして面白いものの、この時代の風俗・風潮を見る感じで「へぇ~」と興味と退屈となのであるが、母が見送りからはぐんぐんと引き込まれて、気持ちが揺さぶられる。軍国の母としての側面が強かった母のあの表情。一気に涙腺崩壊してしまう。ウクライナで国を守るためとはいえ、家族を送り出す家族はどんな気持ちなのだろうかと、侵略をする人々への嫌悪感が強くなる。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
役者がいい。
軍人を志しながらも、軍人になり切れなかった一途な友彦に笠智衆さん。小津監督の作品と比べて、篤い。祖父(初代)と二役。
友彦に絡む桜木に東野英治郎さん。息子の安否を気にする場面。失礼ながら、こんなにうまい役者だっけ?と唸ってしまった。
そして、何より、この映画は母・わかを演じられた田中絹代さんがいらっしゃらなかったら、こんなに後世に残る物にはなっていなかったろう。
何よりもラストの見送りシーン。見送りに行かないはずだったのに、軍隊ラッパが聞こえてきた途端に導かれるように走り出す姿。音や周りに人の動きを頼りに、行進を探すさま。行進を見つけた後の、伸太郎を探す眼差し。見つけた後の、泣き笑いながら伸太郎とやり取りする姿。それを受ける伸太郎がまたよい。20歳の設定なれど、演じられた星野和正君はまだ14歳。幼さの残る笑顔で母に応じる。晴れ姿と、これからを想う気持ち、失敗できない緊張感。その笑顔を見て、心配と、これまでとと息子を想う母の気持ちがないまぜ。それを台詞なしで魅せる。
それだけではない。子どもの頃から、20歳の子どもを持つ母の年代まで、演じ分ける。友彦の母を演じる杉村春子さんと田中絹代さんは同じ年のお生まれ。でも、杉村さんが高木屋の女将を演じ、田中絹代さんが若い女中を演じ、同じ画面に登場するシーンでは、親子ほどの違いがある。勿論、鉄漿を始めとする女将としての化粧・衣装をまとった杉村さんと、髪も小さく結い上げ、着物の衿繰りもきっちり占めてと子どものような化粧・衣装をまとっているというのもあるけれど。その頃の田中さんと、伸太郎をおぶっている頃、幼い頃の伸太郎を叱咤激励する頃、見送る頃も少しずつ違っている。
瓜実顔でもあり、どことなく、『はじまりのみち』で木下監督の母を演じられた田中裕子さんにほんのりと似ている。
もっと多くの方々に観て欲しいと思う。
