劇場公開日 2016年3月26日

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「「何でもあり」の世の中で…。」リップヴァンウィンクルの花嫁 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0「何でもあり」の世の中で…。

2024年7月5日
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鑑賞方法:DVD/BD

<映画のことば>
何でも「あり」ですよ。
今の世の中。

ネットショッピングみたいに、ネット経由のワンクリックで彼氏・彼女も作ることができる。
(彼氏・彼女のほか、お葬式のお坊さんも、ネット経由のワンクリックで頼めるという令和の今の時代)

片付けをするだけで、月100万円のアルバイトなんて、世の中にある訳がないんだけれども、「〇〇〇(アルファベット三文字の著名な大手電気通信事業者)ファイナンス」の未払料金請求や、顔も合わせたこともない人からの暗号資産の巨額取引には、何故か話に乗ってしまうという、今の世の中。

結婚披露宴(や葬儀の席)での参列者数を増やして、見映えを良くするための(臨時の)疑似家族かいたり、(本作では描かれてはいませんが)身寄りのないお年寄りを時々訪れて、一緒に食卓を囲んでくれる「息子・娘の夫婦」「孫夫婦」のレンタルも、あるやに聞き及びます。
(ふるさと納税をすれば、地元の市町村職員が、老親が住む実家を訪ねて、話し相手になってくれるとかいうのは、論外。)

七海のダンナが自分の恋人と浮気をしているという口実で七海に近づいて来た、その実は正体不明の男は、実は七海のダンナの母親が雇った「別れさせ屋」じゃなかったのかという話が出てきますけれども。

しかし、そういう「別れさせ屋」がいるかと思えば、反対に「復縁屋」というのもいるとかで、もう何が何だか、評論子には、訳が分からなくなってきています。

本当に、今の世の中は「何でもあり」なのかも知れません。
(ネットを介したりして、その実は、人間関係が希薄になってきているという事情もあるのでしょうか。)

しかし、そんなご時世にあって…、否、そんなご時世だからこそ、七海と真白の関係性ということは、本作の中では「肝(きも)」になっていたのではないかと、評論子は思いました。
本作でも、そのことは、深くは描かれてはいないのですけれども。
「何でもあり」の世の中で、七海と真白との関係性は、本物だったのだろうと、評論子は思います。
(思いたい、というべきか?)

AV女優を生業(なりわい)としてきただけに、体に手術痕の残る治療を拒み続けた真白-。
体は見せても、その心(内面)は、決して見せないというその「仕事」は、結婚披露宴の体裁を取り繕うだけの、見てくれだけの「疑似家族」を仕立てる意識にも通じるものなのかも知れません。

実際のところ、真白が七海に求めた関係性は、真実は、どんなものだったのでしょうか。

しかし、それがどんなものであったとしても、結局のところ、七海との関係性を築けるかにも見えた真白は(SNSではポツリと真実を呟いたものの、けっきょくは七海を捨てて?)七海の目の前で、本作が描いような結末を選び取ったのも、自らの病気を心の内にだけ秘めて、他者には隠し通してしまったことの結末だったように思えてなりません。
評論子には。

そのことが、強く、強く、もっと強く印象に残った評論子には、佳作と評して間違いのない一本でもあったと思いますし、観終って、しっとりとした情感に包まれるような本作は、いかにも岩井俊二監督の手になるらしい作品としても、佳作としての評価が疑いのない一本であったとも思います。

(追記)
本作の題名は、二色に読めるのではないかと思います。評論子は。

本作の題名は、真白がSNSで使っていたハンドルネームに由来することは疑いがないとは思うのですけれども。
その一方で、文字通りに「リップヴァンウィンクル(「眠ってばかりいる人」ひいては「時代遅れの人」の代名詞)の伴侶としての花嫁」と「花嫁であるリップヴァンウィンクル」(花嫁である彼女自信もリップヴァンウィンクル)という意味も込められていたのではないか-ということです。

いや、評論子の単なる思い込みに過ぎないのかも知れないのですけれども。

本作を見終わってから七海と真白との関係性について考えてみると、その両者とも「リップヴァンウィンクル」であり得たとも思うと、評論子は、本作の題名の二義性を、どうしても意識せざるを得ないところです。

(追記)
あと、評論子が気になっていたのは、結婚したての頃の七海が教員を辞めることになった、その経緯でした。
退職して学校を去ることになった七海への手向けの花束にもマイクが入れられたり(教え子たちにも弄られてたり)していたことから推すと…。
教員としては、お世辞にも「優秀」とはいえてはいなくて、結婚を機に、いわば「これ幸い」とばかりに「肩たたき」をされて、それで教員を辞めざるを得なくなったのかも知れないと思いました。
自らも「リップヴァンウィンクル」であった七海は、体裁よく学校側に押し流されてしまったということなのだろうとも思いました。

(追記)
七海のSNSの呟きでストーリーが展開していくというのは、いかにも「今ふう」なのでしょうか。
ひと頃であれば(江守徹さんあたりの渋い声で)「七海は…と思うのであった」と、ナレーションが入るところなのだろうと思います。
時代は、変われば変わるものです。

(追記)
『Love Letter』にしろ『ラストレター』にしろ、少女を撮ることには定評のあった岩井俊治二監督にしては(珍しく?)今作は「大人の女性同士の関係性を描いた」という特徴があったでしょうか。
そのことも印象に残った一本になりました。
評論子には。

(追記)
それにしても…。
黒木華のメイド服姿が、とても、とても印象に残りました。
黒木華だからなのか、黒服にゴスロリ風のエプロンだからなのか、あるいはその両方の複合的な要因によるものか。
そのいずれであるかはしかとは判別しかねるのではありますけれども。
評論子も、ただの助平なおじさんだったのかも知れないと、少なからず不安を感じた一本でもありました。

talkie