「金属光沢。映像の可能性爆発。」美女と野獣 dekamoさんの映画レビュー(感想・評価)
金属光沢。映像の可能性爆発。
美女と野獣という物語を真剣に観るのは初めてなそこそこ大人の感想。
良かったところ
映像、特に、燭台ルミエールの金属光沢は馬鹿にできない存在感。他、毛並とか角とか材質の表現が来るとこまで来たなと思った。今までだったら、ここはCGだと余計な感覚が発生するのが慣れもあるのか、クリアされた。
クライマックス前の戦闘シーン、ポット、カップ、オルガン、燭台、コート掛けとまぁ、それぞれの個性を生かした攻撃が最高に爽快だった。致命傷を与えないながら戦闘意欲を削ぐ点も良かった。
あと、ビーストが化粧で顔真っ白のシーンは笑った。
ベルは、知的好奇心が旺盛な美女でありながら、周囲の環境からは浮いている人。ベルの父親は売れない画家で何よりベルを愛して大事にしている。そして、母親はペストで亡くなっている。「知的好奇心が世界を開いていくんだ!」っていうメッセージがあるとしたら好みである。ビーストも教育を受けていてその点でベルと通じ合っていた。天才ゆえの孤独によって惹かれあったカップルに見えた。母親の設定はアニメでは描かれていないらしく、実写に即したリアリティラインを考慮した部分かと思う。
吹き替え鑑賞、現在のミュージカル俳優の先頭を走る豪華キャスト、良かった。ガストンは人間性が最悪だけど声めっちゃいい!。が、エマワトソンの歌はじめ原語も聴きたいの間違えない。
私の解釈
ビースト・王子様に仕える人たちについて、ビーストのせいで同じく姿を変えられた、その上に、ビーストのきっかけで戻ることしかできない。だから、必死で、ベルをもてなしていたはず。彼らの「明るさ」の裏にある「絶望」を思うと泣きそうになった。ルミエールの最大の見せ場「ひとりぼっちの晩餐会」は悲しい歌にしか聴こえなかった。テーブルクロスを引いて上に乗った食べ物が机から落ちるところで、食べ物を粗末にするほど必死なのだと解釈した。
彼ら曰く、王子様をエゴイストにしてしまったのは自分たちの教育に非があったと。時計は王子様を叱ろうとするので子供扱いしてるのだろうが、冒頭に国民の税金によって城で豪勢に暮らしたのであれば、国民への謝罪と富の再分配はあって然るべきだと思う。なので、最後のシーンは、愛で姿が戻ったあとに、豊かな国造りに向かうシーンがほしかった。そうでもないなら、冒頭は、「愛を知らない王子様がいました―」とでもいうべきだと思う。
バラがすべて落ちると意識を失った点について、バラの花びらが全て落ちる前に愛を見つけなければならない、出来なければ姿はもう戻ることはない。と言う条件のはずだった。そうならば、罰として不憫な体で生き地獄を味わうという悲しく絶望。しかし、バラが落ちたとき彼らは意識を失い普通の家具になった。つまり、死んだあるいは無になったように見えた。コミュニケーションさえ取れない孤独の生き地獄という事なら納得であるが不明なところだった。
ガストンの末路について。ガストンは最低な野郎だった。ベルが中身のないやつだと序盤に言い放ったのがまさに的を得てる。戦争が終わって生きがいを失った血の気の多い男は哀しくも思う。嘘はつくし、人は襲うし、撃つし、ルフーさえも大事にできないのはこの上なく最低。故に、最後は足場が崩れて、グロい死に方する運命。こういう奴は良い死に方もできない、という教訓だろう。
おわりに
ベルは大好きなタイプだけど、愛も王子も納得できない。
アニメ版を観て比較したらスッキリするのだろうか…。