映画 聲の形のレビュー・感想・評価
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これぞ日本のアニメーション
君の名は とは比べものにならないほど、
物語に力があり、伝えたい言葉、伝えたいテーマがじわじわと伝わってきました。
同時期の公開であったため、やはりここで比べる対象となるのが君の名は しかないんですが
君の名は のような感動の押し付け感は全くなくて、ただ自分の過去を見つめ、負の感情に押しつぶされながらもひたむきに新しい自分を見つけ出していく主人公の将也の姿に観終わったあとからじわじわと感動がこみあげてきました。
それと、やはりアニメは声優さんがしてこそキャラクターに命が宿る気がしました!最近は、売れてる俳優を使うアニメ映画が多いので、どうしてもキャラクターをみているのに俳優さんの顔がうかんできてしまうことが残念だったので、今回の声優さんばかりの映画が個人的に嬉しかったです。
歌詞付きの感動BGMを感動するであろう場面で流し、観客の涙を誘うのはそこらへんにあるミュージックビデオで十分です。(君の名は のことを言ってます)
物語がおわったあと、エンドロールと一緒に流れるaikoの歌をきいて、改めて想いを馳せることができました。アニメーションを映画としてみることの良さを再確認することのできる映画でした◎◎
重いテーマか、あるいは(原作未読)
①話が進むにつれてテーマの重さが伝わってくる。単に、障害を抱えた登場人物に感情移入させて終了という展開ではなく、障害を抱えた者と関わる健常者の心境の変化も感じとらせる構成。重い空気を緩和するシーンもちりばめられていて、バランスがとれていた。
②宣伝文句は感情のジェットコースター。確かにと納得できる部分があった。
障害を抱えた者と健常者との間には様々なトラブルが生じ、両者が自己嫌悪してしまうシーンが何回かあるのだが、絵や声優の演技と相まって調和のとれた演出だと思った。
③「君の名は。」とはまた異なる躍動感があって引き込まれた。
ただ、題材のせいか、泣く描写が他作品よりも多く、あざといお涙頂戴アニメと感じる方もいるかもしれない。
④個人的にOPの曲だけは好きになれなかったが、全体的にみてシーンにマッチしたサウンドが使われていたと思う。
⑤声優の演技は特に違和感なし。キャラの感情が伝わってきて良かった。
⑥最後に。
生まれつきハンディキャップを背負ってしまう原因自体に、誰が悪いとかはないのにね。
正直、デリケートなテーマをよくここまでバランスよくアニメで表現したなと感服した。
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あるいは、それほど重いテーマではないとも考えられる。
耳を塞いでいたら聞こえる声も聞こえない。それは、健常者でも健常者でなくても同じ。聲の形は人それぞれ違う。だからこそ、聞く耳を持とうと。
そんなことを伝えている作品なのでしょうか。ちょっと、はっきりとわからないので原作読んできますね。
いずれにしても、観た後にいろいろと考えたくなる良い作品だと思います。
不覚にも泣いた
人物描写がとても作り込まれていて引き込まれます。
序盤のいじめのシーンは生々しく胸が苦しくなるほどなのですが、その後、いじめられていた側、いじめていた側がもがき苦しみながらも和解しようとしていく姿は、生きる希望のようなものを与えてくれます。
個人的には特に、ラストシーンで、今までその物語で語られてきた事のすべての意味がわかった気がして、その瞬間不覚にも涙を流していました。
一見かわいらしい絵柄のアニメなので、その見た目に騙されそうですが、なかなかパンチがある作品です。
もう一度じっくり鑑賞したみたくなる良作だと思います。
東宝の「君の名は。」同様にヒットして欲しい松竹の持ち駒。どこまで売り上げを伸ばすのか楽しみではある。
Movix堺で「映画 聲の形」を観た。
公開2日目の日曜日午前中、
話題の映画で、各地の劇場で満席状態だと聞くが、
Movix堺ではそれほどの混雑は無かった。
監督、山田尚子
脚本、吉田玲子
キャラクターデザイン、西屋太志といえばアニメ業界では著名な方たちらしい。
小学生の時に転校生、西宮硝子をいじめて傷つけてしまった、石田将也は周囲から孤立してしまい、自分もいじめの標的になってしまう。
それから5年。高校生になった将也は、いまは別の学校へ通う硝子のもとを訪れる。
どうしようもなくイヤな小学生だった石田将也が高校生になっていいやつになっている。石田将也の親友になる永束友宏がもっといいやつだった。
植野直花ってコは高校生になってもちょっと残酷なコだった。
涙腺がゆるい人はハンカチかタオルを持参するのがいいかもしれない。
泣ける場面が少なくない。
東宝の「君の名は。」が大ヒットして興行収入62億円を突破しているのだが、
松竹の「映画 聲の形」がどこまで売り上げを伸ばすのか楽しみではある。
満足度は5点満点で5点☆☆☆☆☆です。
いい意味で裏切られた
友人に誘われてなんの予備知識もないまま鑑賞。
だが…私の期待をいい意味で裏切られた! 難聴の少女と少年の絵に描いたような恋愛映画なのかな〜なんて軽く思っていたら、、、(最近のアニメ映画はなめちゃいけませんね)
メッセージの深さに驚かされました。なんといっても卑劣ないじめの後に必ずバチがあたるとはこの事だなと思いました。
そして人間の弱い所と本当に強い人間がどういう人か、ということを映画館を出て考えさせられました。
ちなみに、何処ぞの恋愛映画のように、婉曲的すぎる悩みなどで見ている側がイライラする心配が無かったのも高評価です。
短いです。
終わってから、短かった気がして、何分間か調べたら、129分でした。本当に2時間以上?
原作を2時間に収めることは無理なので、当然、省略してつなげることはわかっていましたが、変えた箇所がある都度気がつきます。
最後もどこで終わるのか気にしながら見てしまいました。
しかし、原作を補った台詞もあり、より理解を深めることもできました。
聲の形
ゆきのさつきさんと平松晶子さん声似すぎ。ゆきのさん兼ね役かと…。話の方は、みんなええ子やね。主人公もええ子でラストシーンは清々しかった。現実には、弱者を徹底的に虐待して自我を確認する、という 即措置入院必要の糞屑糞袋が一定数いるんでね…。
作品は本当に良かった。入野自由さんと早見沙織さんが出演されておられるから言うんじゃないけど、「あの花」の5人のようになったらいいな、思った。
原作未読です
いじめのシーンなど結構観ててつらいものがありましたが最後までちゃんと観ました。
でも全然キャラクターに感情移入できず、最後の方とかはい仲良しって感じだったけど、凄く気分が悪くなった。
俺には合わなかったんだろうな。
映画としてもそんなに面白いとは思わなかった。
感動した!
今までたくさん映画を観てきましたが、この中で一番感動して泣けました。
注目して欲しいのは、雰囲気に合わせる「音」の表現とか、コミュニケーションの難しさを考えさせる「心」の繋がりとかです。
とても良い作品でした。
粉々に砕いた“心”と“繋がり”、それを掻き集める“強さ”・・・京アニでなきゃ描けなかった真っすぐなラブストーリー
小さくて細い糸が不意にプツンと切れた感覚。体験談の話ですけど、それが”繋がり”の切れた感覚です。それはほんの数秒で身体の内側を凍り付かせて、本気で自分の中の一部が欠落したと錯覚します。しかもそれは時間を経ても、忘れることを許しません。未だ身体は覚えてますし、死ぬまで消えぬと思います。
体験談を使ってまで、何故レビューを書き始めたか?それが『映画 聲の形』を鑑賞中に甦ったからです。最も忘れたい忌まわしい”落ち度”、でも忘れてはいけない”事実”を。それがそのまま将也君や硝子ちゃんにも通じるからです。
罪のない好奇心がボタンの掛け違えで凶器になる。やり過ごす為の愛想笑いが逆に相手を逆なでする。防げなかったすれ違いで築いたものはあっさり壊れて、それが幾年経過しても心に影を残してしまう。幼少期の出来事って、例え克明に覚えてなくても、身体と心は覚え続けて、忘れさせてくれないので、当事者はただひたすら苦しいんですよね…。『聲の形』はその苦しみを容赦なく描いてます。しかもひたすら苦しい場面の羅列で画面を覆うのでなく、合間に希望を混ぜることで、それをさらに鋭くします。
過去に『たまこラブストーリー』や『境界の彼方』の”過去”と”未来”で苦しみの先に待つドラマを描いた京アニ作品なだけに、本作もそのブランドに恥じない映画になってました。”偽善”からの行動だと心のどこかで分かっていても、それでも犯した過ちからは逃げたくないと向き合う将也君。自分自身を嫌み嫌って、命を絶とうとした硝子ちゃん。皆苦しい現実から何度だって逃げ出したいのに、逃げたらもう戻れないと分かっているからこそ故に、傷つけあって責め合って、繋がりたいと必死に足掻く。ポール・ハギスの『クラッシュ』ばりにほんとボロボロになってくんです。正直無視できないほど、心と胸が痛みました。
でも映画はそこから抜け出す、光の道を用意してます。それがまた抉られるほどの痛みを受けねばならないもので、そのせいで硝子ちゃんは将也君を傷つけます。下手をすれば彼の命を奪いかねないほどの事態を。被害者だけであった彼女はここで初めて加害者(的立ち位置)となり、将也君のことが好きな直花ちゃんを傷つけます。確かに自ら命を絶てば、楽にはなれるのかもしれませんが、もう将也君のことが好きと自覚した以上、彼の目の前で死ぬことなんてできるわけがありませんよ。人は人を好きになったら、二度ない命を捨てれませんし(全員が全員そうじゃないので、あくまで僕の想像ですが)。
ほんとはもっと巧い言葉でレビューを語りたいのですが、文章力が拙い上、知恵もないし、語彙もないので、”鉄は熱いうちに打て”に従い本能で書きました。ですがこれだけは言えます。
この映画にこうして出会えて、ほんとうに良かったです。ありがとうございました(レビューを読んだユーザーの方も)!!
京アニよく頑張った
期待して読んだものの原作は荒削り過ぎて作者もうまく昇華仕切れていなかったが、アニメの方は実に良く整理されており、ラストも原作を凌駕していた。結局は子供同士のいや大人達でもあるがエゴのぶつかり合いを描いており、そのぶつかり合いがドラマになっている。しかし硝子ちゃんが可愛くなかったらドラマとして成立しないんだろうなあと下衆なことを考えるおっさんになってしまったのが悲しい。「君の名は。」も本作も日本でしか作れないアニメでありディズニーやピクサーでは無理だろうし、そして既に宮崎駿も越えてしまっているのである。しかし最近の若い奴ら原作ちゃんと読んでこいよ。
寄り添う、生きる
1回目は原作未読で、非常に感銘を受け、2回目を鑑賞しました。
原作は、聴覚障害の硝子をきっかけに、人々のディスコミュニケーションを描きそれを乗り越える物語ですが、
映画版はより主人公の将也にフォーカスをあてており、自己肯定を出来なくなった人々が他者とのコミュニケーションを通じて再び自分を許す物語で、より普遍的なテーマを描いた傑作だと思いました。
ゆずるが、将也に対して、自己満足で硝子と会っているのではないか?といいましたが、これは間違っていない。
自分が自分として立つためには、他者から必要とされること、ある種の承認欲求が必要な訳で、死のうと思った将也が硝子に対して献身的に尽くすのも同情ではなく、他者から必要とされたかったから。昏睡から目覚めた後、すぐに硝子を探したのも、恋とか愛とかではなく、ちゃんと救えたかということを確かめたかった。硝子を救うことで、自分もまた救われたかった。
一方硝子は、そもそも他者から救われることしかないことに、遠慮と負い目を感じ続けてきた女の子だ。彼女は自分が他人に対して与えることは無いと感じ続けてきたから、異常に優しく、自己主張せず、全てを赦して生きてきた。ずっと他者から守られてきた人生だった。でもその中で、将也に生きるのを手伝って欲しいと、他者から初めて救いを求められた。それで、生きることがまた出来るようになった。
劇中、ゆずるが硝子に会うのは自己満足なんじゃないか?というシーンがある。でも実はそれはそれで良いんじゃないか。他者のために行動し、他者に必要とされ、それに喜びを感じる。そのことを、実は相手もまた思っている。
そんな単純な世界を認識し、ただひとりで泣きながら周りを見て泣く将也を見て、私もまた泣いた。
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