映画 聲の形のレビュー・感想・評価
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現実世界の争いやいじめについて、改めて深く考えたくなる。
初めて『君の名は。』を見てしばらく経った頃、『聲の形』や『この世界の片隅に』も凄い映画らしいという噂をネット上で見かけ、『聲の形』と『この世界の片隅に』を同じ日に見に行った。
2つとも噂に違わぬ大傑作で、私が今までに見た映画のベスト10を塗り替え、
『聲の形』は7位に、『この世界の片隅に』は6位に、新たに入った。
『聲の形』は「障害者に対する接し方」と「いじめ」をテーマとした映画。
あらすじを知った時、同様に障害者とそれを取り巻く人々をテーマとした
昔の作品『どんぐりの家』(原作:山本おさむ)を連想した。
私の親族にはダウン症児がおり、その子とその家族が陥った状況が『どんぐりの家』での描写そっくりだった。
『聲の形』に『どんぐりの家』と似た気配を感じ、
「見なければ」という義務感めいたものを持ちつつ、映画館に足を運んだ。
私見では、『どんぐりの家』がどちらかと言えば「障害者に対する接し方」を描く方にベクトルが向いているのに対して
『聲の形』はどちらかと言えば「いじめ」を描く方にベクトルが向いている様に感じられる。
『聲の形』が訴えている事の1つは、
「いじめはごく普通の子供の間でも実に些細なきっかけで起こるものであり、子供の中に障害児(※)が加わった場合はさらに起こりやすく、陰惨さの度合いが強くなり易い」
といった事だろうか。
(※障害児に限らず、何らかの意味で「弱点を抱える」者あるいは「周囲と比べて相対的に立場が弱い」者に置き換えても、この図式は成立する)
主人公の西宮硝子と石田将也そしてその周囲の子供や大人達が陥ったのと似た状況に陥った観客は、私も含め、かなり多いのではないかと思う。
この映画には「絵に描いた様に分かりやすい悪人」は殆ど存在しない。
強いて言えば、将也の教室の担当教諭・竹内ぐらいだろうか。
小学校での竹内の仕事ぶりはいかにも「お役所的」で冷淡に見えた。
だが、あの程度なら(あるいは「残念ながら」と言うべきか)どこの学校にもいるだろう。
あとは植野直花の言動に色々と疑念を持ったが、
それとて彼女を「悪人」と断ずるには酷に過ぎる。
彼女の様な「ちょっと勝気(あるいはナマイキ)な女の子」は
どこの学校でもごく普通に見られるはずだ。
劇中で描かれた将也の罪を要約するなら、
それは「無知と未熟ゆえの想像力や配慮の欠如」という事であろう。
その罪ゆえに将也は硝子の心を傷つけてしまい、
後に激しい自己嫌悪に陥る事となった。
仮に将也と級友達そして担当教諭にもう少し想像力と配慮が有れば、硝子に対するいじめは起こらなかっただろう。
先程「いじめはごく些細なきっかけで起こる」という旨の事を書いたが、
この映画は「ごく些細なきっかけで、事態はいくらでも悪化する」という事をも訴えているかの様に、私は感じる。
将也と硝子は劇中でそれぞれ別々の時期に自殺を図るが、
二人とも死を免れ(硝子の場合は正に間一髪だった)、
辛うじて最悪の事態は避けられた。
劇中の状況がもう少し悪ければ、二人のうち少なくとも一人は死に、遺族やその周囲の人間にも大きな禍根を残しただろう事は想像に難くない。
本作を「御都合主義の感動ポルノ」などと評する人間を見かけたが、その種の人種は「現実主義()の悲劇ポルノ」の中毒者なのだろう。
そんなに悲劇が見たければ、溢れんばかりに存在する現実世界の陰惨なニュースを、寝食を惜しんで「消費」するがよい。
私が思うに、現実世界の理不尽は、天災などのように人間に由来しないものと、戦争や確執などのように人間に由来するものに、大別される。
いじめは、大人の世界での戦争や抗争や確執の、子供の世界への投影である。
大人の世界で戦争や抗争や確執が絶えたためしが無いように、いじめも絶える事は無いだろう。
大人の世界での争いごとを根絶するのが不可能でも、起こった争いごとによる惨禍を少なくする試みは常に行われてきた。
いじめも、根絶するのが不可能でも、惨禍を少なくする試みは常に行われて然るべきだ。
『聲の形』を知る数年前から、私はゲーム理論に興味を持って糊口をしのぐ合間に関連書籍を読み漁ってきた。極めて個人的な意見だが、ゲーム理論が戦争の構図を理解するのに役立つのと同様、いじめの構図を理解するのにも役立つかも知れない。
(ゲーム理論から導かれる重要な結論は「敵に決して弱みを見せるな」「敵にはこちらにとって都合良い情報のみをつかませろ」であると、私は思う)
話が脱線してしまったが、この映画のラストは、安堵感を覚えると共に、
現実世界の争いやいじめについて、改めて深く考えたくなるものであった。
名作です!!
名作だと思います。我が家では中学から大学の子供たちも全員が二回観ました。こんなことになるとは思ってもみませんでした。一回目、それなりに感動して近くの「聖地」に「巡礼」までした「君の名は。」の予告がキッカケで本作を観ましたが、それとは比べものにならないくらい何度も涙があふれ、衝撃を受け、それが後に尾を引きました。どういうことだったのか原作を買って家族で読み、考えさせられました。ネットでの見解もたくさん検索しました。知れば知るほど深く「生きる意味(人は希望や意味無しに生きられない)」とか「命の重さ(それでも生きているだけで価値がある)」とかを思わされ、改めて映画でどう描かれていたのか確認したくなりました。映画は本当に良くできています。聴覚障害を持つヒロインの硝子の気持ちに私自身も気付けなかったことがショックだったのですが、主人公の将也が感じていることを追体験しているのだと理解しました。ラストは映画のほうが好きです。アニメでこんなに心をつかまれるのは個人的には三十年程前に観た「銀河鉄道の夜」以来です。学校に通う子供たちの話で、いじめが描かれていたり、どちらも文科省が後押ししてたり、サントラが素晴らしいことや、どちらも原作が何度も書きなおされていて、物語がまだ未完のような余韻が残るところも似ています。またどちらにもクライマックスで主人公が神に自分のささやかな切なる思いを述べる独白の場面がありますが、その中身はエゴではなく他人の幸せのために自分の命を使いたいという若者らしい純粋で切羽詰まった誓いの発露です。その願いが聞き届けられて奇跡が起き、主人公は最後に再出発できるのだなと思われる展開があります。そのファンタジー的な要素も心揺さぶられる重要な要因かもしれません。世の中がわかったような気になっていた若い時よりも歳を重ねる程に「今、見えているものだけが全てではない。むしろ見えないものや未来にどのような意識を向けるかのほうが大事だ」と感じているだけに、とても説得力を覚え、感動しました。
一言で衝撃的な作品でした。
ちょうど山田尚子監督が舞台挨拶にいらっしゃった日に鑑賞しました。
観に行くきっかけは『君の名は。』を鑑賞してから2ヵ月ほどの間にTwitterで『聲の形』の評価の高さを感じ、気になり始めたからです。
因みに前情報は『聲の形』公式サイトにあるPVのみで、原作のコミックなどは全く見ていません。
作品の内容に関してですが一通り見てみて“リアル感”と“場面場面の衝撃”を感じました。小学生時代ではよく見られる場面が過去を思い返せば妙に納得してしまったり、ただ今の目線で見るとどうしても許せない感情が沸き上がってしまったりしてしまいますね。そういったリアル感は非常に伝わりました。
あとリアルならではで起きること、不測の事態、人間関係のいざこざ、過去と現実など様々な場面で衝撃的で、結構心に来ました。ストレートなリアルさが描けていると思います。
けど一番は硝子の聴覚障害が肝で、“伝えよう”という気持ちと将也の“変わろう”とする姿がとくに心に残りました。
初鑑賞が山田尚子監督の舞台挨拶の日ともあり、本当に素晴らしい作品だな~と感じ、素直に拍手しました。
監督の貴重な話も聞けましたし、その後原作が気になりコミック全巻を読みましたが、映画で全て収まりきらないほどのボリュームで映画で語られなかった話も多くあり、驚いたことを覚えています。
総評ですが、観て良かった作品でした。それは間違いないです。
また、この作品は2回観に行きましたが、内容がちょっと濃い(重たい)ので2回目は1回目ほどのめり込みはしませんでしたので4.5という評価にさせていただきました。
重たいけれど、大事なテーマ。傷ついた者達の確かな絆。
【賛否両論チェック】
賛:傷つき、生きる意味を見失っていた主人公が、かつて傷つけた相手と再会し、次第に惹かれていく様子が、切ない雰囲気の中で描かれるのが印象的。その過程で少しずつ他人の声を聴こうと、必死で心を開いていこうとする姿にも、またグッとくるものがある。
否:イジメや自殺未遂等、重たいテーマが続くので、軽い気持ちでは観られない。
軽い気持ちでイジめていたことが、全て自分に返ってきて、初めて他人の痛みに気がついた将也。彼が死ぬ前の身辺整理のつもりで再会したイジメの相手・聴覚障害を持つ硝子と打ち解け、次第に心惹かれていく姿が、切なくも温かな雰囲気の中で描かれていきます。
イジメや自殺未遂等、重たいテーマではありますが、思春期の主人公達が葛藤し、ぶつかり合いながらも彼らなりの答えを探そうと模索していく様子に、胸が熱くなるようです。心を開けない相手の顔に「×」がかかって見える演出も意味深ですし、
「君に、生きるのを手伝ってほしい。」
というセリフは、本当に心に残る名言だと思います。
なかなか気軽に観られる作品ではないかも知れませんが、生きることを改めて考えさせられる、そんな1本です。
私の映画
聴覚障害、いじめ、自殺、恋愛…
いろんなテーマが折り重なっている作品だから、観た人それぞれの経験や興味によってどこをクローズアップするのかは変わってくるだろう。
私にとっては完全に、ディスコミュニケーションの映画だった。
主人公の将也が校内すべての人間の顔に×を付けたあたりで号泣。
その後はずっとダラダラ泣き続けた。
泣きすぎて吐きそうだった。
これは私の映画だ。
だから、客観的に、冷静に評価することなんてできない。
映画を観て泣いてたのは今の私じゃなくて、
学校内の全ての人間の顔に×を付けて、俯いて、見下して、
でも誰かに手を差し伸べてほしくてしょうがなかった、17歳の私だ。
あの頃の自分が見たら…、多分受け入れられないだろうな。
そんなにうまくいかねえよ、って言うと思う。
でも彼女に言いたい。
今いる世界が、世界のすべてじゃないってことを。
いろんな経験をして、自信をつけることで、世界はどんどん広がるってことを。
ポスターのキャッチコピーにもなっている「君に生きるのを手伝ってほしい」の台詞が素晴らしい。
本当に生きるのがギリギリな将也だからこそ、嘘くさくない重さが生まれる。
それにしても、将也のお母さんの髪型はあれでいいのか…?
現実は
自分の体験ではいじめるような子は逆の立場にはならなかった。自らぐれたりしてドロップアウトはするが…。
最後に気がついたが大人の男は全く深く関わるかたちででなかったな…父親は0。
登場人物の中の誰かには重なるはず
さすが京アニ!
表現力が飛び抜けてる!
人の顔を見られない✖︎の表現だったり、
手話の完成度だったり、
わかりやすくも共感しやすいものでした。
でもやっぱり、観ててツラかったですね。
いじめて、いじめられる中で、
親、教師、クラスメートの言動や行動は
「ああ、こういうの見たことある」って。
クラスで犯人探しするみたいなシーンは特に。
クラスメートは自分以外の誰かに
責任を押し付けて、自分のことは棚にあげる。
教師も面倒事が嫌いだから
都合の良いように誰か1人だけに
全部を負わせて、それで済まそうとする。
日本の学校を忠実に描いてると思う。
自分が行ってた学校が異常だったのかもしれないけど、
本当に、こういうのが普通にありました。
だから、こういうの本当にムカつく。
特にあのメガネの女みたいなの、本当に嫌いだった!
被害者ぶって、人の同情を誘って、周りを味方につけて、
自分に都合の悪い人を貶める。
自覚がないとしても、やってることはそういうことだから。
それにホイホイ釣られる
赤髪男みたいなヤツもどうかと思うけどね。
たぶん、自分は
主人公とツンデレ女の間くらいな
性格してるんだろうなって思う。
きっと他の人も
登場人物のうちの誰かに
共感するものがあるんじゃないかな。
高校生の硬質ヒューマンドラマ
人と逆の事を言いたがるタイプの人が好みそうな映画
ネットで聲の形を推している人の意見を見ると「聴覚障害者がヒロインだけどそれだけの作品じゃない」と必ず言いますが、だったら何故タイトルを、「聾唖」から「聾」の字を取って「声」と読ませて「聲の形」なんていうあざとい物にしたのか?答えは障害者で関心を引きたかったからです。それ以外はありません。もし硝子が登場していなければ映画化なんてされるはずもない、箸にも棒にも掛からない作品である事は誰もが同意せざるを得ない事実ですから。この作品では聴覚障害者、硝子は客寄せパンダなのです。
そして聴覚障害者、硝子は昔虐めた主人公も惚れるほどの見た目は完璧な超絶美少女であり、性格も最高に良く、完全に無垢な被害者としての障害者というTHE・ステレオタイプな障害者ヒロインであり、感動ポルノで金を稼ぐ事で有名な日テレの24時間テレビと同じスタンスでしかありません。子供の頃に見たドラマの主題歌の「青いウサギ~」という歌が頭に過ぎりました。見ながら何度も「何故こんなレベルの物を今更出すのか?」と疑念が湧き、「もしかしたら失敗だったかも...」と思い始めました。そして案の定、イジメ、自殺、植物状態、泣きながら大声で喚くという、恥も外聞もないセンセーショナリズムの嵐です。結局最後まで何が言いたいか解らず、中学生日記のアニメ化と言えば中学生日記に失礼なほど、全く低レベルでした...。
ちなみに去年「ギャングスタ」という、聾唖の主人公(ギャング街の何でも屋)が驚異的な身体能力で敵対するギャングを殺しまくるという作品があったのですが、この作品では主人公は聞こえないから話し方も硝子同様、聾唖者独特の聞き取りにくい物だったりするし電話は取れないけれど、味方が後ろから肩越しに敵を撃てる(聞こえないから)という障害者の長所短所をさり気なくバリアフリーに描いていて障害者を物語に使うなら今時これくらいのセンスが欲しいという見本のような作品でした。
しかし「聲の形」では聾唖のヒロインが常に悪目立ちしていて見せ物小屋のように「可哀想な人」という札を付けられ並べられています。泣きながら不自由な言葉で絶叫するシーンもあり、本当にこれほどなりふり構わず下品なお涙頂戴を実現した作品は滅多に見ません。見ずに批判するのではなく、実際に見て、レベルが低い作品だと自分の目で確認出来たという意味では見に行ったのは無駄ではなかったですね。
この映画を推してる人は「自分には君の名は。は合わなかった。聲の形の方が面白かった」などとしたり顔で言いたがるタイプが多いですよね。個人的には辞書の「感動ポルノ」の項目に是非この映画を載せてもらいたいと思います。
今年ベスト!
見た後、どこか優しい気持ちになれる
ゼログラビティの形
【感動】予想以上のクオリティ
身近に障がい者がいるわけでも無いのに心に響いた理由
ヒロインの西宮さんのような性格の人は健常者でもいるだろう。
水をかけられたり、所有物を壊されたりしても、
その人に嫌われたくない。憎めなくい。優しく接したい。
だからその人の机が、誰かに汚されていたら消してあげたい。
その人が傷ついているのなら助けてあげたい。
でもその優しさが、結局その人を傷つけて、そして自分も傷ついてしまう。
そんな自分が嫌になってさらに苦しくなる。
ヒロインの耳が聴こえないことでからかわれて、
いじめという大問題に発展してしまうけれど、
それが人々を結び付ける大きな鍵になる。
自分と、その周りの人たちの理解があれば鍵は開けられて仲良くなれる。
そういう意味では、障がいと向き合うことと、恋愛と向き合うことは同じようなものなのかもしれない。
聾者への理解を深められることに加えて、
生きることについて大衆へ訴えかけるテーマになっているからこそ、
この映画はさまざまな人をとりこにできたのだろう。
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