映画 聲の形のレビュー・感想・評価
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感心した。いい映画を観た。
実は、彼女の話ではなく、彼の話だったんだなあ、と最後に感心したことを思い出しました。
2021/4/29追記
上記のような簡単なレビューしか残さなかったか、ずっと心に引っかかっていた本作。今回、NHKが地上波でやってくれた。
観た感想は、やっぱり、よかった。
あらためて観ると、「最初からずっと彼(石田)の話じゃん」と思う。そういう意味で、かってのレビューに違和感はあるが、実際に観た時には、心底からそう感じた。ああ、救済されたのは(という受動的な言い方ではないな。真に心を開いたのは、または、耳を開いたのは、の方が正しいな)石田だったんだ、と痛烈に感じたのを思い出した。
そう、観ている間の自分の感じ方は、あくまでも「硝子をその環境から外に出す石田」的な構図を無意識のうちに感じながら観ていたからこその、驚きだったんだということを思い出した。硝子の方が "きっかけ" で、外に引き出されるのが石田、という映画なんだと気づいたことは、けっこうな衝撃だった。
この5〜6年間、様々な映画で、差別とは何か、自分をどうやってその泥沼から引き揚げればいいのか、といったことを気づかされ続けてきたが、その入口くらいで観た映画がこれだったなあ、と懐かしく思う一方で、二度目ならではの感動を体験できた。
幸い録画できたので、ずっと長く付き合っていく映画になるだろうな。
ヒロインが作品の生贄になっている
■↓僕の評価の目安(ザックリと)
☆★★★★:酷い(不愉快)
☆☆★★★:つまらない
☆☆☆★★:物足りない
☆☆☆☆★:満足♪
☆☆☆☆☆:衝撃!!!
※上記に基づき採点すると、本作は☆1.5あたりでしょうか
(因みに原作漫画は、1巻の『試し読み冊子』を鑑賞前に書店で読みました)
■劇場で2回観たけど・・・
トイレを我慢していて集中できなかった1回目を反省し、改めて劇場で鑑賞。
それでも「マジか?」と思いました。
前半は不愉快
中半は退屈
後半は苦痛
129分のはずの本編が「体感200分」に感じるほど、ひたっっすら長い!!
終始「良いトコなし」。
■「物語を引き立てるため」のイジメに疑問
転入してきた女の子の「耳が聞こえない」というキャラに、バカみたいに「興奮する」主人公と、
とっつきにくさから「からかって距離を置く」主人公の隣の席の女子。
耳が聞こえない転校生のヒロインには、「隣に座ってくれる生徒」も居ません。
転入早々ヒロインが聾啞であることで掛けてしまう「クラスへの迷惑」を片っ端から描き、
思いつく限りの中傷と身体的苦痛と侮辱をヒロインに延々と与え、ただひたすらに
「悲劇のヒロイン」に仕立て上げていく「作り手の悪質な手口」に不快感すら覚えます。
これらがすべて、高校生になった主人公の「過去の罪への後悔」を描くためだけに積み重ねている
ものだとすると、ヒロインは「作品の生贄」でしかないわけです。
■この主人公の物語に「ヒロインを虐めた過去の事実」は不要
高校生になった主人公は口調そのものが変わり果てており、小学生時代のやんちゃな面影を
微塵も垣間見ることが出来ません。
(同じく孤立していたクラスメイトの友達には、最後まで『~君』と呼ぶ始末)
そして元クラスメイトの女子からは「ダサくなった」とすら言われます。
(まあ、いい年こいて、未だにヒロインの補聴器を毟りとって昔のように虐めようとするコイツの方がダサイと思いましたが)
とにかく、高校生のときの主人公と小学生時代の主人公が「別人」にすら思えます。
そのせいで、この主人公が「昔ヒロインを虐めていた」という事実が、頭の中で繋がらないのです。
そもそも小学生のときに「虐めてしまった」から話がこじれるわけで、
初めから「小学生時代のイジメのエピソードを描かなければよい」わけです。
「こじれなければ物語にならない」というかもしれませんが、それこそ「本末転倒なお話」です。
2時間以上も「本末転倒なこじれ話」を見せられれば、たとえ背景が綺麗でもアニメーションが
滑らかでも、観ているこっちはウンザリします。
「自殺まで考えた内気で孤独な高校男子が、ある日『耳の不自由な女の子』に恋をして手話を覚え、
女の子や少しずつ増えていく仲間との交流を通じて人生を前向きに生きようと歩み始めるまでの話」
↑正直これで結構です。
■社会派?「所詮はアニメ」と思った不満点の羅列
①一向に老けない主人公の母親
この母親、美容師とは思えないくらい、何年経っても一向に「髪型が変わりません」。
(というか、主人公も)
ある意味、母子ともに「ダサイ」です。
②燃える170万円
ギャグのつもりでしょうが、「燃える必要」が全くありません。
(『作り話』でも好きではないです、こういう演出)
③突如として消えた「重罪人」
ある意味主人公よりも罪深い、小学校時代の「担任教師」。
なのに、あのステレオタイプのサラリーマン教師は、小学生編のあと「一度も現れない」。
(これは原作もか?)
「君の名は。」でも、主人公のバイト先のイタリアンレストランで「(自分で刺した)ピザのつまようじにクレームをつけて、
代金を踏み倒すチンピラ」が現れますが、これも主人公と憧れの先輩店員との距離を縮めるために登場させただけで、
そのあとは登場することなく「野放し」。
物語の世界の中にも「現実の日常」は存在するです。
あの担任教師もこのチンピラもは、まだ作品の世界の中では「平然と生きています」。
作り手はそれを忘れちゃいませんか?
いずれも「作り話とはいえ、それはないだろ!」と言いたいです。
④障害者のヒロインが転校してきたときの「学校側」の対応
この作品が「魁!!男塾」なら別にいいんです。
この作品は「現実的な物語」を描いたつもりなのでしょう?
であるならば、現実の学校相応に「受け入れる準備」をこの小学校も整えるべきではないでしょうか。
(なのに、この学校が整えているのは『孤立させる準備』ばかり)
どのクラス(担任)に預けるか?
手話のできる職員や副担任の手配
「隣に席を移動してもらう生徒」の手配
そして生徒への説明
な~んにも無いんだもんこの小学校。
教育者でも障害者の家族でもない僕ですら疑問に思うことだらけです、この学校の体制には。
しかもこの担任は、ヒロインの障害についての説明は一切せず、ヒロインに「自己紹介の全て」を押し付けています。
むしろ「この担任」を主人公にして、過去の過ちを反省させて手話を覚えさせ、ラストでヒロインに謝罪させたほうが、
よっぽど「良い映画になる」
~と思います。
⑤病室から抜け出してきた「ケガで入院中」の主人公の腹部を「突っつく」ヒロイン
「えっ、本物?生きてるの?」ってことの確認なのだと思いましたが、マジ「正気か?」と思いました。
(これは演出側が悪い)
■まとめ
~とまぁ色々文句ばかり書きましたが、ほんと「文句」しか出ません、この作品。
意外と楽しめて、何度もリピートした「君の名は。」。
映像作品に生まれて初めて「観る事ができたことへの感謝」をした「この世界の片隅に」。
昨年、上記2作と並び称された本作。
今回、満を持しての鑑賞となりましたが、結果的には僕の中で、本作だけが「置いてけぼり」となってしまいました。
涙出たよ
衝撃的な作品
涙が
何度も見てみた。
映画を何度か見てから、原作を読み返しました。
いいと思いますがこの辺が足りないかな?
上野の石田へ気持ちと、
硝子が石田の机の落書きを消す時間が分かりにくいかな?
石田が濡れてくるのでいつ?
オープニングが微妙だったかな?
公式ファンブックに連載化前のが載っているので読んでみたい。
近くの東宝シネでは、上映会数が少なく意外に長くやってました。
静岡県西部は地上波も映画館はアニメに冷たい。
上映時間が微妙なので、見れない人も多かった?
上映時間終了後に他の映画館でやってたので足を伸ばして見に行きました。
上映回数や時間はどこも微妙ですね。
立川で見てきた
前回2016/9/23に新宿で見て痛く感銘を受け、原作買って、更に感動し、身内に読ませ、会社の夜勤用推薦図書として常設したり、嫌な人のあだ名に「川井さん」などが定着した頃に丁度、立川からメールがきて、スタッフ監修の極音上映と聞いて見てきた。
正直思ったほどではないというか思ったとおりというかうんなんかそんな感じ。
ヤマカンも言ってたけど二回目見ると荒削りな荒の部分に目がいっちゃって初回に見た時の感動より目減りしちゃうかなとか、原作読んでからだとイヤリングの件とか強調しすぎ?とか思ったり。うんまぁ原作読んだのがでかいと思う。原作の方が良い。
で、音響の話なんだけど。
これも、これも初回見た時の衝撃の方がでかくて、記憶の中の音響と大差ないというか、まぁ俺そこまで耳よくねぇしなというのが正直な感想。
ですが、花火と最後の世界が開けるシーンは良かった。花火見に行った時の胸に音が響く感じを思い出した。
まだ見てない人なら絶対に立川に行くべきだし、
耳の聞こえない人も絶対に立川に行くべきだし、
最近立川以外で見て記憶が増長してない内の人も行くべき
書いてて思ったけどあくまで初回と立川の対比であって
映画自体はいいよ思い出すだにうるっとくるもん
泣かないでよ西宮
聲の形が心の聲に…。
今年、最初の映画鑑賞。前々から観たいと思っていた作品。「君の名は」がエンタメ作品なら、こちらはグッと思春期の心にスポットを当てたヒューマンドラマ。
心の聲が形となって、それぞれの登場人物の痛みとなって、すれ違っていく。と同時に温かさを運ぶ。
年をとって考えれば、そんな事と思える事もこの時期には、あまりにも大きなシコリとなって、トラウマに…。
主人公は、そんな苦しみと向き合い方を、もがき、模索する。現在、イジメや学級崩壊をしている今の子供達が観て欲しい作品。
但し、学校や先生を安易に悪く描くのはやめて‼︎今の殆どな先生や学校は一生懸命、子供のために取り組んでいる。それでも、こうした事はいつの時代も起こるんだってこと。
気になっていた映画
浮世離れ
大衆向けアニメとオタクアニメの決裂を表象するかのようなものでした。
新海作品や「この世界の片隅に」などと比べると背景世界の描写やキャラクターの動機、心情の奥深さに欠けてます。
アニメ調にデフォルメするならするで、デフォルメして欲しかったが、中途半端にリアルさとアニメ感が混在して気持ち悪かったです。
キャラクターを製作者の意のままに操っているかのような「製作者の見えざる手」が丸見えでした。
主人公の葛藤や変化は納得できますが、
なぜ西宮さんが主人公を好きになったのか?
あれだけいじめられながら、心が捻くれず、なぜ最後泣き崩れ、崩れたと思ったらいとも簡単にけろっとしているのか?
西宮さんを理解せずに都合よく扱っているのは製作者の方なのではないでしょうか?
登場人物のキャラ付けも、あのひょうきんなキャラクターならば、友達全くいないわけないでしょうに。
ツンデレの女の子もいくらなんでも初恋を引きずりすぎです。
正直言って背景がボロボロ過ぎて、作者の伝えたい内容が全く伝わりませんでした。
リアリスティック三部作
「シンゴジラ」
「君の名は。」
「この世界の片隅に」
に対して、大変お粗末な映画を日本が誇るアニメ制作会社京都アニメーションが作ってしまったことに愕然とします。
高校生までは面白く楽しめるものでしょうが、おおよそ大人まで楽しめるものではありません。
第三者からしたら不自然で、主人公にとって都合のいい展開の仕方をしますから。
もはや主義主張のない監督が作る製作会社主導のアニメでは、本当に面白いものが作れないということがよくわかった映画でした。
スクールカーストや主人公の心情描写は丁寧であっただけに残念です。
これもあざとい?
原作未読、予備知識なしでの鑑賞。
聲…石板の楽器の簡略字に耳を加えてできた文字だそうです。つまり、口から発する音というよりは、空気の振動、響きを耳で拾う、というのがこの字の成り立ちなのですね。
伝えたい、分かって欲しい、上手く言葉に出来ない、
だけどそもそも何を分かって欲しいのか自分でもよく分からない。
自分のことばかり分かって欲しいって訴えているようだけど、こちらのことを理解しようとしているのか?
ごめんなさいと言うけど、どう反応して欲しいんだ?
イジメが良くないことくらい分かってる、だけど止める勇気がない、第一そんなことしたら自分だってイジメられる。
分かってるのに口にしない自分は卑怯だ、このままだとますます自己嫌悪に陥る、もう居場所がない、逃げるしかない。
よほど生まれついての強靱な精神力を持った方以外、誰でも感じるようなもどかしさがとても丁寧に、しかも多くの人が思いあたるような友人関係の中で描かれていると思いました。
少女は聴覚に障害があるので、コミュニケーションの手段がたまたま手話や表情が主体となっているだけで、伝えたいという気持ちや相手のことを理解しようとする気持ち(響きを拾う力)は、障害の有無とはあまり関係が無いのだと気付かされました。むしろ、生半可な言語表現や態度の方が、本質を見誤らせることの方が多いのかも知れません。鑑賞後、もしかして自分がその生半可な奴じゃないのか、と若干の後ろめたさも覚えさせられる、ちょっとほろ苦い映画でもあります。
障害をお持ちの方、そのご家族や関係者の方のご苦労は想像することしかできませんが、障害の有無に関わらず、何かを伝えよう、理解しようとする行動が何かを響かせ、何かの形を渡すことができるのだということを教えてくれた素晴らしい作品です。
君の名は。やこの世界の片隅に、など今年多くの人が繰り返し観ている映画はどの作品も、制作した側(伝える側)の意図をはるかに超える様々な形に響いているのだと思います。きっと3回観た方は3回とも違う形で作品世界を捉えているはずです。
どこかのヒット作品のレビューで、万人受けを狙った、とか、あざとい(小利口、露骨で抜け目ない)という表現をネガティヴな意味で使っているのを見た記憶があるのですが、製作者に何かを伝えたいという熱意があるのなら、構わないのではないでしょうか。どういう形で受け取るのかは、受け手側次第なのだと思います。伝えたいことはどんな形なのだろう、と何度も考えさせられるような深みや厚みや共感性やいら立ちや知的刺戟がなかったら、繰り返し観る人はいないと思います。
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