「見える声。伝えたいこと。」映画 聲の形 bloodtrailさんの映画レビュー(感想・評価)
見える声。伝えたいこと。
京アニ見なくっちゃ、と思い立ち。
"The Shape of Voice"
声に出したいこと。声にして言いたかったこと。伝えたいこと。
誰もが、伝えなければならないことや、伝えられなかったこと。言えないこと、言われたくないこと。たくさんの想いを抱えながら生きている。
会いたい理由
死にたいと思う訳
嫌いな理由
冷たくした訳
学校に行かない理由
友達が欲しい気持ち
顔を上げて歩けない理由
君をどう思っているか
君にどう思って欲しいか
君とどう生きて行きたいか
病院を飛び出した石田は、橋の上にうずくまる綃子を見つけます。想いを伝えた石田に、硝子はカタチのある声を返す。「約束します」。
予想に反して、思ってた以上に忙しいアフター・コロナ。新作が掛からないから退屈だと高を括ってたら、週末の上映予定を見てびっくり。午前十時の映画祭は文字通りの祭りになってるし、人気のあった旧作もゴリゴリに詰め込まれとるし。平日鑑賞への振り替えしか選択肢が無いので、珍しく木曜日に劇場へ行って来ますた。
初鑑賞でした。
良かった。とっても。
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5/29追記
海外版のタイトルを調べると ”A Silent Voice”. 「音無き声」でオリジナルの邦題は「聲の形」。”The Shape of Voice”と"A Silent Voice". なんで微妙に違うんだろう、って不思議に思う一方で。聲の形、音無き声が何を指していたのかが肚落ちしました。
"A Silent Voice"は「あるひとつの手話による伝達」の場面を指し、”The Shape of Voice”は「それを特定している」。最後の「指切り」。自死を考え、実際に実行しようとした二人が「一緒に生きよう」と約束した、あの場面での指切りが映画としてのタイトルなんですね。これは好きやわぁ。すごく好き。
英語タイトルについての感想は興味深いと思いましたが、私の考えでは、「声の形」をシンプルに直訳したshape~は、声を視覚化し形にした「手話」を表していると思います。指切りの名場面だけにかかわらず、硝子と話したい一心で一生懸命覚えて、交わした手話のすべてを。
また、声が旧字体の聲であることに特別な重みもあり、詩的に色々なイメージが感じ取れます。
聲の漢字は、「声」は部首として「小さな声」であり、それを聴きとろうとする耳のほうが大きく、一生懸命に耳を澄ませている感じ。殳は、矛という武器の意味をもち、攻撃する、壊すなどのニュアンスを持つ漢字に使われることが多い。 又は、再びもう一度の意味と、道が二つに分かれる意味をもつ。 この漢字一文字に、この物語のもつキーワードが含まれているような気がします。
また、耳は、人間の体の中で一番、最後まで動き反応している部分。苦しみの中、目を閉じて、呼吸(口・鼻)が止まり、心臓が止まり、すべての感覚を失う死の直前でさえも、最後まで 耳は聞こえているのです。愛する人の姿が見えなくなっても、その声だけは届いているのです。死の淵に落ちた少年は、感覚を失っていく中でも、この耳で硝子の声を聞きたいと願ったことでしょう。
しかし英訳では単にvoiceという日常語で変化なく、日本語のように色々なイメージを幾重にも含ませることはできません。
また手話は各国の言語によって違い、日本の手話は海外では通じません。日本人観客が「へえこの言葉を手話ではこうやるんだ」と見るのよりもさらに理解が複雑になります。しかしタイトルを shape~にすると「手話」を重視し協調することになり、観客の目線を手話に注目させることになるでしょう。また「手話」だけでなく「ジェスチャー」の意味も含み、ニュアンスが変化してしまうかもしれません。
さらに、「好き:suki=likeを意味する、tsuki:月=moonを意味する」など音声言語への注釈も画面に入り、字幕・吹替どちらで見ても、言葉だけでなく日本文化まで含めて理解するには、情報量が多く観客は混乱しがちでしょう。
外国人がより理解しやすいよう
「手話」でなく「静かな声」という題名で声に注目させ、「彼女は聾唖、話せない」「自分の意見を言えない」「思いを伝えるのは勇気が要り難しい」などのイメージをこめたのではと思います。
どうでしょうか?