劇場公開日 2016年9月17日

「いくつもの聲の形」映画 聲の形 神社エールさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5いくつもの聲の形

2016年10月12日
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鑑賞方法:映画館

泣ける

難しい

悲しい

原作未読。この作品と最初に出会ったのはとある二次創作の同人誌だった。
その時はまさかこんな重いテーマを扱った商業作品があるなんて思いもしなかったのとタイトル読みの難しさもあって、ずっと頭の片隅に引っ掛かっていた。

その後、この作品が京都アニメーション制作で劇場公開されると知り、敢えてそこから出来るだけ何も入れずに見てみた。
勿論素晴らしい話で、泣ける話ではあったんだけどそれだけではなく、内容を見ながら自分の過去と向き合っている様な感覚に陥った。
過去に多少なりともいじめをした・された・参加した人は三割増しで感情移入して、悲しくなってしまうかも知れないけど、この作品のテーマが"伝えたいけど伝わらない。欲しいけど得られない"とある様に、その根幹は"いじめ"では無く"本当の差別・平等とは何か"、"感動ポルノ"では無く"健常者と変わらない、ごく当たり前の人の関わり合い"、"障害者との向き合い方はそのまま社会との向き合い方なんじゃないか"って言うテーマに感じられた。

24時間テレビで障害者の人生を再現ドラマで流しているのを"感動ポルノ"と呼び、この作品も同じように"感動ポルノ"と呼ぶ人もいるみたいだけど、個人的には見終わった後全くそんな物と似ているとは思わなかった。
それは主要な登場人物がみんな苦しんで悩んで悲しんで、必死に生き抜こうとしているし、観客はその中の"誰か"に感情移入して、その中に自分を見ているからなんだと思う。
そんな登場人物達に一切共感出来ない人は、この作品を"感動ポルノ"と思うかも知れないけど、この作品は登場人物に共感出来た人達に向けて、これからの人生へのエールをしてくれてるように感じられた。

ある考察を見て膝を打ったのが、"いじめていた加害者と、いじめられていた被害者を包括したもの・障害と言うもの"こそが「聲の形」ってタイトルなんだと言うもの。

障害者に対して優しくして、遠慮して、一歩引いた目線で見てしまうことが本当に正しいのか、"本当の差別"、"本当の平等"とは?障害者との向き合い方とは何かって事を説いている気がする。
以前、地上デジタル放送になるに際して殆どのテレビ番組で字幕が付いたけど、今じゃ殆どの字幕付の番組を見かけなくなったし、この作品が日本語字幕付で上映されるのが2週目以降って言うことがTwitterで物議を醸したけど、この作品を通して映画館が、今一度エンターテイメントとしての有り様を(聴覚障害以外の問題にも)どうするべきかを説いてる気もする。

個人的には、この作品を見た上で「感動ポルノだ!胸糞悪い作品だった!」と言ってる人を見ると(それを想定していなかったかも知れないけど)『聲の形』は、その"伝えたいけど伝わらない。欲しいけど得られない"ってテーマをtwitterでの炎上に代表されるような、脊髄反射でなんでも叩く(本質を読み解けない)一部の現代人に対するアンチテーゼを込めたテーマにも感じられた。

追記:観賞後、原作を最後まで読み終わったけれど、原作を読んだ後にこの作品単体だと解り難かったとは全く思わなかった。
原作では成人式を迎え、大人になるのがゴールになっていたけども、劇場版では主人公が最後に目と耳を開き、再び生まれるって言うのがゴールなので、そのゴールに向かって良い構成になっていたと思う。
原作では掘り下げられていた部分は、劇場版では他のシーンで補完出来ていたと思うし、むしろあれ以上情報を詰め込んでいたら全体の軸がブレていたと思う。

神社エール