「真剣に「現実」を形にした、最高の映画」映画 聲の形 mifaさんの映画レビュー(感想・評価)
真剣に「現実」を形にした、最高の映画
原作漫画の作者さんは、デビュー当時(つまり『マルドゥック・スクランブル』のコミカライズ)からの大ファンです。
この度のアニメ映画化は、期待半分、不安半分でした。
題材が題材だから――というとありがちな物言いですが、要はこの国のみならず社会全体にそれが「腫れ物」のような意識、アンタッチャブルな意識が根付いているからなのでしょう。
やっている事は「癌で苦しむ悲劇の彼氏/彼女」と同じことで、健康でない、もしくは健常でない身の上の人が、どのように他者と触れ合っていくか。
それがメインです。
生まれた環境から、自分は障害者の方や手話を扱う方を何度も目にしましたが、本作においては徹底した監修と取材が成されており、素人とはいえ実際目の当たりにしてきた者としては、何の不自然さもありませんでした。
何より手話を行うシーンが出来るだけ多く描かれている。
流石に長ゼリフのときには、作画の表現や尺の関係からか映らないのですが、しかし「手話で会話をしている」と感じさせる間のとり方をしてあります。
表面を擬えただけのハリボテではありません。聾唖の方に見られる「半濁音っぽい、鼻の抜けたような喋り方」もうまく表現されており、本当に西宮硝子というキャラクターは耳が聞こえないのだ、と肌で感じられる。
京都アニメーションの作画技術も、流石の一言。実に美しく、生々しく、そして繊細。
キャラクターの表情、細かな演出が素晴らしい。
将也と永束君との「友達の定義」が別のシーンできちんと反映されていたり、鯉の泳ぐ姿で場面に流れを生んでいたり、花火大会での「音は聞こえなくとも振動は伝わる」表現であったり。
声優さんはどなたも素晴らしい演技で、特に西宮家の方々はイメージぴったりの声色で、元々悠木碧さんや早見沙織さんの声は好きだったのですが、やはりこういったズシンと心に迫ってくる作品で、演技力というのは響いてきます。
将也の母、美也子を演じるゆきのさつきさん、小学校の担任(漫画版よりほんの少しクズ要素は省かれていましたが)の小松史法さん等、大人の面々も、優しさや厳しさ、また主に担任に当てはまりますが陰りの部分も。
映画においては音楽も重要なファクターですが、本作には見終わったあと心に残ったものが沢山ありました。
たいてい、後々サントラを聞いても二、三曲しか思い出せなかったりするものですが、今回は殆どが「あのシーンのやつか」と思い出せました。
舞台挨拶のライブビューイングも観たのですが、監督の仰るとおり、音響が非常に優れている。
とまあ、ここまで大絶賛だったのですが、二箇所だけ「もうちょっと!」と感じるものもありました。
一つはビンタのシーン。漫画では突然の展開と、母親の鬼気迫る表情により驚かされたものですが、今回はそこに至るまでのシーンも見せ方も全然違うため、他のシーンに比べると印象が薄い。
漫画ではとても好きなシーンだったので、ちょっと不満。
それから後半の展開。将也の覚醒シーンがすごくあっさりで、過剰に演出されるよりは良いんですが、流石にあっさりすぎないか、と……。
しかし、ラストシーンは圧巻。
漫画版の最後までやると思っていたので、まさかあそこで終わるとは。美しく、綺麗にまとまったエンディングです。
しかし、一緒に観た友人と意見が一致したのが、「aiko、あんま合ってなかったよね……」という点。
ちょっと毛色が違うというか、じゃあ他に誰が適任? となると納得いく答えはあまり出ず(デビュー当時のYUIとか、supercellとかしか思い浮かばなかった)、これで良かったとも思えるのですが。
しかし、相変わらず恋の歌だった、というのはちょっと違うんじゃないか、と考えました。漫画版はまだしも、映画に関してはあくまで「善き友人」になりたいが為のものでしたから。
『君の名は。』で世間が空前のブームに沸き立つ中、立て続けに公開となった本作。
これもまた、猫も杓子も、というわけでなく、この作品の良さをじっくり味わえる方、つまり映画を単なるスナック感覚の娯楽としてでなく、一つの作品としてきちんと向き合える方には、是非ともご覧頂きたい。
最高の映画に、今月二本も出逢えた事を幸せに思います。
素敵な映画をありがとうございました。
「それじゃあ、また」。