ビースト・オブ・ノー・ネーションのレビュー・感想・評価
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『007』最新作で話題の監督が過去に放った傑作。今からでも是非
『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』で何かと話題の監督、キャリー・ジョージ・フクナガが2015年に完成させた戦争ドラマで、Netflix初のオリジナル映画。脚本もフクナガが担当している。内戦が続く西アフリカの某国で、愛する家族と別れ別れになった少年、アグーが、政府軍の銃撃を逃れて反乱軍兵士になる。まだ幼い子供に死と隣り合わせの軍人の生活を強いる戦争の残酷と、反乱軍内部を蝕む退廃的なムードが強烈で、思わず見入ってしまった。これはただの戦争映画でも、少年の成長のドラマでもなく、まだ、世界のあちこちにいるはずの、祖国を奪われ、家族を奪われてビースト(野獣)と化すしかない若者たちへの鎮魂歌。画面から溢れ出る虚しさがしばらく心から消えて行かない。
撮影地ガーナでカメラマンが怪我を負ったことから、フクナガは監督、脚本、そして撮影監督と1人3役を担うことになった。撮影開始から完成までは実に7年。だからこそ、フクナガは公開まで苦難が多かった『007/NTTD』を不屈の精神で乗り切れたのだと思う。そういう意味で、恐らくバーバラ・ブロッコリの目は正しかったのだ。
What a Downer
Belonging to the Internet, Netflix films tend to dish out a lot of gratuitous sex and violence to stand out as hosting films too hot for premium TV or the theater. Beasts of No Nation is not necessarily a gratuitous film, but it goes further into disturbing territory than any other film about child soldiers may have dared. The film doesn't preach, it just shows the world like it is. You decide.
胸が苦しい…
ドキュメンタリーのようなリアリティーある作り。少年兵にならなければ命を失っていた悲惨な境遇。この様な少年たちが何人いるのだろうか。闘うことを洗脳され、心が蝕まれていく。映画ではラスト保護されて命は助かったが、一度人間の心を失った少年達は普通の生活には中々戻れないことを描いている。恐ろしく胸が詰まる作品。
うーむ・・・。 子供の教育は、ある種の洗脳だからなぁ・・。 世の大...
うーむ・・・。
子供の教育は、ある種の洗脳だからなぁ・・。
世の大人は、肝に銘じなければなぁ・・。
ずっとマイルドだけど、恐怖や、怒りを植え付け、支配、コントロールするやり方は、日本にも結構蔓延っているようにかんじる今日この頃。
すごかった
子どもが悲惨な状況に追い込まれるのは目を覆いたくなる。うちも小2の男の子がいて、もしあんな目にあったらと思うと心が苦しい。しかし、自分の立場は最初の方に殺される父親で、助けることができなくて無念だ。性的虐待を受けてしゅんとする場面がつらい。口のきけないストライカーと言う友達が撃たれて死ぬのもつらい。
こんなふうにもし軍が攻めてきたら絶対に森に逃げるべきだと常に考えているのだけど、その森でゲリラに捕まってしまうので、もうどうにもならない。
獣か悪魔か、子供か
Netflixのオリジナル映画が見たくてNetflixに加入。加入したからこれでもういつでも見れると呑気に構えていたら、新作配信ばかり見て、過去の配信作品が後回し後回し…。
随分と溜まってしまったので、新作の劇場公開やレンタルの合間合間に少しずつでも気になる作品だけでも消化していこうかと。
という事で、2015年に配信されたNetflixオリジナル映画の第1弾。
製作第1弾作品って重要。スタイルや方針が決まるからだ。
だからまずは万人受けする作品でアピール。ドリームワークス第1弾作品は娯楽アクション『ピースメーカー』だった。(懐かし~)
しかしNetflixオリジナル製作映画第1弾は、衝撃作。
これが後に『ROMA/ローマ』に繋がり、賞レースも席巻する原点だったんだなぁと思わされた。
西アフリカのある村。
家族と暮らす少年アグー。
貧しいながらも平穏だった生活は突如終わりが訪れる。
政府軍侵攻による内戦。
母親と幼い妹は都会へ避難。父親と兄と共に残るも、スパイ容疑を掛けられ、父親と兄は殺される。
アグーは密林へ逃げる。
そこで遭遇したのは、武装した集団。政府軍と対する反乱軍。
そのほとんどが子供たち。少年兵。
危うく殺されそうな所を、少年兵たちを統括する指揮官に助けられ、彼らに加わる…。
平凡な一人の子供が少年兵へ。
それも衝撃的だが、さらに衝撃的なのが…、
冒頭、友達らとTVの枠で“妄想TV”と大人たち相手に小遣い稼ぎしていたアグーが、銃を手に…。
度胸試しとして殺しを要求される。この時は出来なかったが、別の少年兵が斧で相手の頭をかち割る。言葉を失った…。
アグーもやがて少年兵として“武勲”を立てる。指揮官から目を掛けられるほどに。
しかしそれは、侵攻、略奪、暴行、殺し、レイプ…。
自分から家族を奪った所業を、自分が行う。
嗚呼、何という不条理…。
子供たちが“子供”ではなく、“殺戮の道具”と化していく様にゾッとする…。
それでもまだアグーには葛藤がある。
何もしなければただ殺されるだけ。生き抜く為に手に銃を取った。
が、自分の手で人を殺していく。何人も何人も何人も…。
自分がやってる事は正しい事なのか…?
この緊迫と常に生と死の狭間、混沌と混乱の中で、意図していなかった自分の中の“ビースト”が剥き出しになり、善悪も理性も分からなくなっていく…。
葛藤があるのは指揮官も。が、彼の場合はちと違う。
指揮官として、少年兵らの“父親”として、一介の兵士として、己や部隊、任務に誇りを持っている。
が、彼もまた組織の一員。時に“最高司令官”からの命令を苦々しく思う事も。
ある時最高司令官に呼び出される。遠方から遥々訪れたものの、散々待たされ、ようやく対面。念願の昇進かと思いきや…、
最高司令官は目を掛けている副官を指揮官に。指揮官は異動…ズバリ言うと、後方へ降格。
納得いかない。俺の部隊だ!
ある反乱を起こし、離脱。
これが指揮官とアグーら少年兵の運命を揺さぶる事に…。
キャリー・ジョージ・フクナガ監督の迫真に満ちた演出。
フィクションだがノンフィクションのようなリアリティーや恐怖があり、争いの愚かさやそれに翻弄される行く末は、“今”にも通じる。
アグー役のエイブラハム・アターはオーディションで発掘されたらしいが、全くの素人の子供の才能は本当に無限大だ。
他の子役たちも然り。
そんな彼らを、イドリス・エルバが名サポート。こちらはさすがの存在感。
武器も食べ物も底を尽き…。
遂に指揮官に反乱。多くが離脱する。
アグーも。自分に目を掛けてくれた指揮官と決別…。
指揮官は言う。必ず、お前は私の元に戻ってくる。
アグーらは国連軍によってリハビリ保護施設へ。
そこでは教育を学び、食べ物や寝床もある。
子供らしく生きる事をやり直す。
正しい事かもしれない。が、アグーはまだ葛藤する。
ここで療養してまた社会に戻れば、平穏な生活を取り戻せるだろう。
その一方…。ここでの暮らしは一見自由のように見えて、監獄暮らしのよう。ここを出てからも、見知らぬ大人たちが決めたレールの上を行く事を強いられる。
アグーは言う。自分は獣や悪魔のような行いをした。
しかし元は、家族に愛され、平穏に暮らしていた。
彼はまた以前のような暮らしを取り戻せるのか、指揮官の言葉通りあの狂気の中に戻ってしまうのか…?
アグーだけじゃない。同じ境遇の元少年兵はたくさんいる…。
彼らの行く末は分からない。
が、ラストシーンの、海で戯れる子供らしい彼らを信じ、願いたい。
国のない獣
ロシアのウクライナ侵攻の直前にケニアのキマニ国連大使の演説が脚光を浴びた。
『かつてアフリカの国々は、列強の植民地にされ、歴史・文化・民族・宗教を無視して勝手に国境線を引かれた。そして独立に当たり、アフリカの国々は、無理やり引かれた国境線、民族や文化の分断を受け入れた。それは国境線に満足していたからではなく、平和の中に築かれる、より偉大な何かを求めたからだ。ロシアが、歴史的に近い近隣諸国との統合を切望する心情を理解できなくはないが、しかし、そのような望みを「力」によって追求することを、我々は断固拒否する。我々は、新たな支配や抑圧に再び陥らない方法で、滅びた帝国の残り火から、自分たちの国を甦らせねばならない。』(演説より)
アフリカ(の特定地域)では紛争が絶えない。
誰もがアフリカ大陸の地図にある定規で引いたように真っ直ぐな国境線を見たことがあるだろう。
大使が述べるとおりアフリカの国々は19世紀末に植民地列強が引いた国境線によってできている。
もとの民族や続柄とはかんぜんに無関係な国家がつくられたことで、国をとりまとめることが絶望的に難しくなった。
(もちろんそれだけが原因ではないが)つねにどこかで勢力が対立し、人々が逃げまどっている。
映画はキャリーフクナガ監督がシエラレオネ内戦に関する研究をしていたときに出会った小説「Beasts of No Nation」にもとづいている。
家族をころされた少年が反乱軍の兵卒になる話で、監督はそれを7年かけて脚本化した──とwikiに書かれてあった。
どんな紛争にも首謀者や指揮官になんらかの目的がある。だが雑兵をかかえると、あるのは無秩序な暴力だけだ。その虚しさを描いている。おぞましく残酷な映画だった。
本作はフクナガ監督が007(No Time to Die)の監督に抜擢される実績になっている──と思う。
(Sin nombre(闇の列車、光の旅(2009))ではメキシコの不法移民を扱っていた。日本では「日系」で「イケメン」としか紹介されないフクナガ監督だが、華やかな世界ではなく第三国や日陰に着眼していて地道で研究熱心な監督だと思う。)
ところでこの映画には黒人しか出てこない。
しばしば顧みることだが、白人しか出てこない映画を見ていて「この映画には白人しかでてこないなあ」とは思わない。
日本人しか出てこない映画やドラマを見ていて「この映画には黄色人種しかでてこないなあ」とも思わない。
だがブラックスプロイテーションや黒人種圏の映画を見ていて「この映画には黒人しか出てこないなあ」とは思う。
さいきん(2022/04)ロシアのウクライナ侵攻のネット記事のなかに『TVに映るウクライナ避難民はなぜ白人だけか――戦争の陰にある人種差別』というのがあった。
記事は──
『◆ウクライナから逃れているのは白人ばかりでなく、アフリカや中東からの留学生や移民労働者も多く含まれる。
◆白人の避難民はほぼノーチェックで隣国に逃れているが、有色人種はウクライナ側でもEU側でも差別的待遇に直面している。
◆シリア難民危機をきっかけに欧米でエスカレートした外国人嫌悪は、ウクライナ戦争で浮き彫りになっている。』
──を伝えており、脱出する列車に乗せてもらえず取り残されるアフリカ系のひとたちが抗議する動画もあった。
地味な記事で、すぐにほかのウクライナ侵攻関連ニュース記事のなかに呑まれた。
まだ侵攻がはじまって間もない頃、避難するウクライナ人の声があがっていて、そのなかに「肌が白い青い目のわたしたちがこんな目に遭うなんて」というのがあった。
白人が有している漠然とした優越感/差別意識を報道していたのだが、戦火が激しくなるとその報道も消えた。
もしウクライナが黒人あるいはアジア人の国だったら、わたしたちは現況と同じ熱量のシンパシーをかれらに寄せるだろうか──と、考えることがある。
3月末(2022/03)にはウクライナ侵攻のニュースに交じってロヒンギャ──難民キャンプの窮状や米国のジェノサイド認定などが伝えられた。
ロヒンギャはベンガル人、浅黒い肌をしたイスラム教徒である。
4月に入ると日本への渡航を希望したウクライナの避難民を政府専用機に搭乗させる異例の対応で受け入れた。そのなかに黒人はいなかったと思う。
なにかに不満を言うつもりはなく、もしかれらが白人じゃなかったらわたしたちの気持ちや対応がちがうのか──について、言っている。
つまり、肌色や見た目によって人を判定する──としたら、われわれも他国人からそのような扱いをうけることを想定しておかなければならない。
どこかの国の誰かは黄色い肌をしたやつらなんかどうだっていい──と考えているかもしれない。
じぶんの中に偏向をみとめるならばそれを責めることができない。
(誇大なたとえだが)日本が戦地になったとき、白人の国は避難民の日本人を歓迎してくれるだろうか。
人には見た目があり、見た目にたいして、誰もが主観的な見地をもっているのはとうぜんだ。
が、本質を見きわめるためにいったん主観を棚上げする。
それは映画的にはリテラシーと呼ばれるものだが現実的には愛に相当するものだろう。(と思う。)
最後のシーンで再び苦悩する
戦争は未だに続くものなので、先進国生まれの私は加担しているという意識で観ていました。
純粋で子どもらしい男の子が、それ故に戦争という地獄に心身共飲み込まれていく様が本当に恐ろしかったです。
最後子どもに戻っていきそうなシーンで終わりますが、彼が大人になり全てを理解した時に再び大きな地獄に落ちてしまうのだろうか思うと、戦争は永遠に終わらない地獄です。
どうすれば良いのか、出来ることを考えていきたいと思います。
兵士へと変貌した少年の想い心揺さぶられるイドリス・エルバの意欲作
いたずら好きで家族仲良しだった少年が内戦により家族を殺され、兵士として生きていかねばならない過酷な現状を描いたNETFLIX初のオリジナル映画
恐ろしい兵士へと変貌する姿と裏腹な、切ない思い綴った少年のナレーションに痛感、心に突き刺さる
戦争により心に深い傷跡を残した少年から、悲惨な状況を考えさせられる
武装集団の指揮官で少年を冷酷な兵士に育て上げる役を、『ワイルド・スピード/スーパーコンボ』のイドリス・エルバが少年を鼓舞し貫禄たっぷりに演じている
彼は製作も手掛けている
脚本/製作/撮影/監督を手掛けたのは、人物の内面を深く掘り下げて描いた海外ドラマ『トゥルーディテクティブ』や、007新作『ノー・タイム・トゥ・ダイ』の監督として話題を集めているキャリー・ジョージ・フクナガ
大学で歴史と政治学を専攻していた彼は、アフリカの少年兵を描きたかったと話す
本作は、全米映画俳優組合賞など32部門受賞、ゴールデングローブ賞など54部門ノミネートされた
人間とは…
NETFLIXにて配信が始まったので早速鑑賞。
年端もいかぬ子供(小学校高学年くらい?)が否応なしに巻き込まれる戦争… その現実は少年兵としてのものだけに凄惨を極める…
人間とは、こうした状況に巻き込まれたらこれほど簡単に死体にも殺人者にもなるものかと思い知らされる。そこには正義も正解もなく、生と死があるばかりであり、また生と死の境界は極めて曖昧だ。
またこうした状況は決して絵空事などではなく、ついこの間までボスニアやルワンダで、今現在アフリカ各地で繰り広げられている、紛れもない現実なのだ…
彼らは初めから戦いに身を置いていた訳ではなく、我々と同じ平和な日常がある日戦場に変わっただけ。そう、平和に暮らしていたシリアの人々のように。
戦争は『永遠のゼロ』みたいな甘っちょろいものではないとよく分かる。
USでは配信と同時に劇場公開されているようだが、NETFLIXではすぐ見られるから是非見ることをお勧めする。初月無料だし。
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