走れ、絶望に追いつかれない速さでのレビュー・感想・評価
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ここでの反応の鈍さが不思議なくらい、揺さぶられた映画だった。
※けっこうネタバレしてます。
TVドラマ『ゆとりですがなにか』の山岸(ここでは、漣)が主演、もう、それだけで観たいと思った。
その、惰性で生きてきたような漣が、親友の自殺の訳を探しに行く。
親友の初恋の相手に会った後、日本海を見つめながら、絶望に追いつかれそうになる漣。波立つ水面の下は、絶望の象徴のようだ。
そんな漣を見ながら、おい、しっかりしろよ!と怒鳴りたくなってくる。
そこから救われた漣は、泣きながらメシを食らう。メシの美味さをかみしめながら、生きてる実感に震えているのだ。
この場面を見ながら、こんないい役者なのかと泣けてきた。
そして、壁に掛けられた絵を見て何かに気づく。何に気づいたかの説明はない。
で、ここからは僕の想像になるが、おそらく、薫もこの絵を見たんだ!と直感したんじゃないだろうか。大阪行きが決まったあとに、漣たちに黙って初恋の彼女に会いに来て、同じこの宿に泊まったのだ。だから、屋上で朝日を浴びながら戯れていたのはこの絵を思い出していたからで、そのときにはすでに死を覚悟していたのかもしれない、と漣は気づいたのだろう。だから、送別会であれだけつれない態度をとったのだ。携帯をなくしても平気だったのだ。
ちなみに、ついでに余計なことを書く。旅館の娘のことだ。凧揚げの場面が不要だという意見をどこかで見たが、あれは「家業を手伝っている気遣いのできる女の子だからこその、さりげなく他人にみせる優しさ」だ。そして、自分の宿の客と知るや、案内し、「おじいちゃん!」と言う。
僕は、泣きメシを食ったシーンのあとに、この場面を思い出して、震えが走った。あ、この子、両親はいないのか?と。そして、何かの不幸で親を亡くしたからこそ、人の痛みを感じる優しさがあり、布団を敷いたあとのすれ違いざまに、漣に声をかけたのかと。そして、おじいちゃんに「あの人、大丈夫かな?」とそれとなく話し、だからおじいちゃんは、もしや?と思い、崖まで様子を見に行ったのだ。
そう思えば、泣きメシのシーンでのおじいちゃんのショットが深く胸に刺さってくる。身内を亡くす悲しさを知る人間だからこその静寂が。(あくまで想像ですが)
そしてこの絵に希望を見つけた漣は、生き方が前向きになった。
だから、仕事ぶりを先輩に認められようになる。
そして、たまたまハングライダーを見かけ、空を飛びたいと思う。高いところが苦手な漣の決意を感じるようだ。下(海)を見つめて絶望を探していたような漣が、空を目指し、希望を捕まえに行こうとする決意を。
つまり漣は、漣なりの走り方(生き方)を見つけて走り出したのだ。
走り出しさえすれば、絶望なんて忘れてしまうものだ。その変わりゆく心情に寄り添うような音楽が、また絶妙だった。
最後に漣は、希望の象徴のような朝日に向かって空を飛んだ。
それは、屋上での薫を思い出したかのようでもあるし、もしかしたら、薫のことを乗り越えたということなのかも知れない。
それはなにかわからないけれど、それはそれでいい。漣だって、薫の自殺の本当の理由はわからないんだし。誰だって、身の回りのことをすべて知っているわけではないんだし。それは一人一人が解釈すればいいこと。音楽を聴いてそれぞれが幸せや悲しみを感じるように。
ついでにまた想像を。
漣が大学を中退したのは、少なからず父親との確執に起因するだろう。それほど亀裂が入った二人なのに、生き方を見つけた漣は心変わりをして連絡をとった。その穏やかな声のトーンに泣けた。
公衆電話を使ったのは、海へ捨てた携帯を新調するのをやめたからだ。
死を意識して携帯が不要になった薫と、生き方を見つけて携帯に縛られることがなくなった漣との対比がいい。
苦悶する主人公にありがちな、わぁわぁガナることなどなく、内なる悩みと苦しみをじわじわとにじみ出すような演技は見事。
どこか、宮本輝の小説のような話だった。
いま、チラシに書かれた「tokyo sunrise」の文字を見つけた。まるで、都会に住む若者たちへのエールのようだ。
二日も経つのに僕は、まだこの映画の余韻に捕らわれている。
僕からは、主役二人と、監督にこそエールを。
絶望はいつでもすぐそこにある
親友が身を投じた崖に行き絶望するも宿に戻る。
その宿の調理場で暖かい料理を無言で提供され、食べる。
生きていることを実感するかのように書き込みながら涙を流す。
このシーンは涙が止まらなかった。
緊迫からの安堵感を描いたこのシーンは誰でも経験したことがきっとあるはず。
この作品は、中川龍太郎監督の体験に基づいた映画。
長くも印象に残るタイトル「走れ、絶望に追いつかれない速さで」は監督の親友が励ましてくれた時にくれた言葉だった。
この言葉を基に描いたものがこの映画。
監督が感じた虚無感と親友への愛がこの映画を通して感じた。
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