「『ウワアア!監督同い年いいい!』」走れ、絶望に追いつかれない速さで RiNさんの映画レビュー(感想・評価)
『ウワアア!監督同い年いいい!』
だからでしょうか、もう、いちいち、いちいち思い出を引っ張りあげられる。この映画のひとつひとつの場面たちが、わたしの拙い人生の何某かをいちいち釣り上げる。そういう釣り針で溢れている。
たとえばこれは喪失の物語で、近い作風では橋口監督の「恋人たち」があるけれど、わたしにはまだ、妻と子供を亡くす痛みは、想像はできてもどこか夢物語でした。それよりもずっと、「親友の突然の死」のほうが、リアリティのある悲劇であり、その親友の昔の恋人のほうが、リアリティのある存在なのです。
親友との青春の日々は、わたしにもこれでもかと覚えがあり、たとえば朝方の駅前通りでのやりとりや、たとえばマグカップで飲む安酒の味は、手に届く範囲にあるのです。
そして、常に傍にある緩く柔らかな絶望の影。これは、不況ネイティヴや悟り世代と称される、独特の空気感なのかもしれません。
忘れようとしていたあの人のあの言葉とか、あの日の虚勢とか、あの朝の後悔とか、小さな嘘と大きな嘘とか、蓋をして奥にしまって埃をかぶっていたはずの思い出たち。そういう、実にパーソナルなものと、恐ろしいほどリンクしてしまいました。
引っ込み思案で感情を表に出すことが苦手な主人公・漣。対照的に、人当たりが良く甘い顔の美男でいつも輪の中心にいるような親友・薫。そんな彼の突然の自殺を受け入れるため、薫のルーツを探す旅に出る漣の物語。
冒頭、背中を丸め、就活用の安っぽい黒スーツとビニール傘で、決まり悪そうに微笑み手を振る薫の後ろ姿も、降りたシャッターの前で降り出した雨を避けタバコを吸う同級生たちも、そんな薫の後ろ姿を怖い顔で見送る元恋人・理沙子の眼差しも、点滅する歩行者用信号の嘘くさい青緑色も、雨に乱反射する赤いテールランプの行列も、それらを包み込む東京のどこかの街の喧騒も、まるでわたしの記憶そのもののように、見知ったものでした。
全編にわたり、わたしはこの物語をずっと前から知っていたような気分にさせられます。崖のあの彼女の涙の訳も、朝日の屋上での鼓舞するような言葉も、知っていたような気がするのです。
既視感とも少し違うこのノスタルジアは、他のどの監督の作品とも違うように思いました。一番近いのが、世代の近いバンドが紡ぐ詩の世界。
そういえば、中川監督は詩人なのでした。
今後、彼が紡ぐ世界はきっと、わたしたちの目線と近いところにいてくれるのではないかと期待しています。
ひとは、未来に希望がなければ生きられないと、強く感じました。でもそれは大それたものである必要はなくて、明日はあのドラマの日だ、とか、期間限定のアイスが今週末からだ、とか、来月には好きなバンドのライブがある、とか、来年には友達に子供が生まれる、とか、そんなもんでいい。そんなもんでいいから、そんなもんを目指して、絶望に追いつかれない速さで、走っていかなくちゃならないんだろうな。