ボーダーライン(2015)のレビュー・感想・評価
全48件中、1~20件目を表示
究極の我田引水は良いが。
・結末がなんとなく分っちまうし、悪者が弱っち過ぎちゃう。
・『娘を見ている様だ』臭すぎる台詞。
・『ここは狼の土地だ』相変わらず、捕食者を悪者にする。じゃ、お前は何なんだ!さしずめ、自由と民主主義の仮面を借用したク◯野郎!
究極のズッコケ映画。
やっば、タランティーノだねぇ。
メ◯シコなんだから、プロレスを勉強しないと。
『情け無用◯ジャンコ』には程遠い。
原題 Sicario
製作年 2015年
製作国 アメリカ
劇場公開日 2016年4月9日
上映時間 121分
映倫区分 R15+
ヨハン・ヨハンソン最高
日本では見慣れない砂漠的な乾いた映像と
ヨハン・ヨハンソンの重厚かつ宇宙っぽい
不協和音めいた音楽が最高で、サントラ的に
何回も観ている。
麻薬カルテルや国境問題、複数組織の
玄人の共同作戦が絡み合って誰も幸せに
ならない感じがめちゃ面白かった。
エミリー・ブラントが良かった。
女性FBI捜査官が元々神経衰弱気味なのに、
とことんやられてしまうのがいい。
法律やルールブックが通用しない世界で、
パッと見女性が主役に見えるが、実際は
なんら役にたっていないのがいい。
ある意味リアルが描かれていたと思う。
打ちのめされているのが痛々しい。
気持ちは分かるが綺麗事だけで話が通じる
世界じゃなく地元警察やFBI的仕事は出来ても、
軍事作戦や闇世界の汚い世界ではジョシュ・
ブローリンやめちゃ怪しいCIAドノヴァンや
何者?的なデル・トロが活躍するリアルな感じ
がいい。
淡々とした日常(日本からしたら非日常すぎるが)
淡々とした作戦、淡々とした挫折、
ただの作戦が一つ消化されただけな結末で、
完全な勝利がないのがいい。
デル・トロが復讐を成し遂げたはずだけど
多分もう何も感じていない感じがいい。
最後、サッカーをしてた息子もきっと恐らく
父親と同じように汚職に手を染めるかもしれ
ないし、ギャングや組織の人間になるかも
しれない救いがないほの暗さがまた良かった。
銃撃の音が日常の平和な一コマがみんなが
逞しくて悲しい。
原題の"シカリオ"もカッコいいけど、
1作目に関しては邦題の"ボーダーライン"も
色々意味深で良かった。
エミリー・ブラントを主役とするなら
明らかなラインが他の人達と比べてあって
多分良心を残した人間には踏み越えれない
世界なんだろう。
そこでも突き抜けた存在のデル・トロが
2作目でエミリー・ブラントポジションに
なるのが解せない。
自分の中では2作目はヨハン・ヨハンソンも
亡くなっていたし無かったことになっているw
3作目が進行中らしいが、観たいような観たく
ないような。
狼の死刑宣告。 いや、お前が主人公だったんかいっ!!
アメリカとメキシコ麻薬カルテルの抗争を描いたクライム・サスペンス。
優秀なFBI捜査官のケイトは、麻薬カルテルのボスを逮捕するため国防総省の顧問マットが率いる特別捜査チームに加わるのだが、そこで彼女は想像を遥かに超える”戦争”を体験することになる…。
監督は『プリズナーズ』『複製された男』のドゥニ・ヴィルヌーヴ。
脚本は当時俳優として活動していたテイラー・シェリダン。後に映画監督としても大成する。
FBI捜査官、ケイト・メイサーを演じるのは『プラダを着た悪魔』『オール・ユー・ニード・イズ・キル』の、名優エミリー・ブラント。
チームを指揮する国防総省の顧問、マット・グレイヴァーを演じるのは『グーニーズ』『メン・イン・ブラック3』のジョシュ・ブローリン。
アリゾナ州の警官、テッドを演じるのは『ナイト ミュージアム2』『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のジョン・バーンサル。
捜査チームに加わる謎のメキシコ人、アレハンドロ・ギリックを演じるのは『ユージュアル・サスペクツ』『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の、オスカー俳優ベニチオ・デル・トロ。
うわぁ、面白ぇ……。
メキシコ麻薬戦争を舞台に、二転三転する状況に翻弄されるFBI捜査官ケイトの成長と活躍を描く物語。…かと思いきや。まさかそう来るか〜!
全く先の読めない物語運びと、硬質かつシリアスな作劇、そしてバキバキにキマりまくった映像美。何から何まで一級品。これはちょっと文句のつけようがないんと違う?
監督はドゥニ・ヴィルヌーヴ。彼の作品は『ブレードランナー2049』(2017)しか観たことが無く、「退屈なSF映画を作る人」という程度の認識だったのだが、まさかこれほどまでに本格的なクライムムービーを作れる監督だったとは!!心底驚いてしまいました。正直こういう路線の方が向いてるぞドゥニさん。
ドキュメンタリーかと勘違いしてしまうほどにリアルで緊張感のある絵作り。その丁寧な仕事ぶりと手腕に惚れ惚れしてしまった。
とはいえ、確かにシリアスな雰囲気と上品なルックにはドゥニ・ヴィルヌーヴらしさを感じるものの、この作品からはテイラー・シェリダンの味を強く感じた。
彼の脚本家デビュー作でもある本作。全てを観ているわけではないが、鑑賞した範囲で言えばシェリダンの作る映画はいずれも極限の状況下で繰り広げられる死闘と目を覆いたくなるような人間の業が描かれている。
西部劇の正統進化形とも言える、地に足のついた骨太さが彼の作品の魅力だが、脚本家としてのみ携わっている本作もまさにザ・シェリダンといった味わいで、一筋縄ではいかない過酷なメキシコ麻薬戦争の現状が確かなタッチで描き出されていた。
デビュー作から作家性を醸し出し、しかもこのクオリティで仕上げるって、この人マジで天才なんじゃないの?
ヴィルヌーヴが監督、シェリダンが脚本、そして撮影が名匠ロジャー・ディーキンス。この座組に加えて主演がエミリー・ブラントとベニチオ・デル・トロ。そりゃ映像も物語も凄いことになるよねぇ…。
物語の見せ方も上手い。
主人公ケイトは右も左も分からないまま、カルテルとの戦いの渦中に巻き込まれる。ケイトと同じように、観客も何が何やらよくわからないままこの麻薬戦争の只中に放り込まれる。観客はまさに彼女の目と耳を通して、彼女とまるで同じ心境になりながらこのメキシコ麻薬戦争という出来事を追体験出来る訳です。観ているうちにケイト=自分のような感覚に陥ってくるので、凡百のクライム・ムービーと比べるとその没入感は段違いなものになっていると思う。
しかし、終盤になるとガラッと様相が変わる。ケイトはダミーの主人公であり、実の主人公はギリックであることが判明するのである。
ギリックが主人公になってからは、五里霧中だった物語の焦点がバシッと定まり、ストーリーの骨子が明確になる。まさに暗いトンネルを抜けたかのように視野がスッと開けるといった感じであり、ケイトが暗いトンネルを抜けるとそこには…というストーリー展開と観客の心理の変化が完全にリンクしている。このクールすぎる演出に大いに興奮してしまった🤩
残念だったのはエミリー・ブラントの肉体。せっかく『オール・ユー・ニード・イズ・キル』(2014)であれだけの肉体美を作り上げたのに、本作では痩せすぎなぐらいに体を絞ってしまっている。
もちろんケイトを演じる上での役作りなんだけど、筋肉フェチの自分としてはムキムキのままのエミリー・ブラントが見たかった。いやほんと、『オール・ユー』の時の彼女の腕立て伏せ姿が美しすぎて、夢にまで出てきたからね。あの上腕二頭筋と三角筋は芸術です!!
もう一つ気になる点を挙げるとすれば、ケイトとテッドの出会いからその結末までがあまりにも性急すぎたところかな。テイラー・シェリダン作品にはお馴染みの俳優、ジョン・バーンサルの登場にはおおっ!となったけど、ちょっとこのシークエンスには取ってつけたかのようなチープさを感じてしまった。
『ブレードランナー2049』の時も思ったけど、あんまりヴィルヌーヴは男女のラブシーンが上手くないような気がする。
と、少し文句も言ってしまったが、これは重箱の隅をつつくようなもの。結論を言えば大満足!キャラクター描写、ストーリー、映像、緊張感、善悪を超えたビター過ぎるエンディングまで、とにかく完成度の高い素晴らしいサスペンス映画でした👏
これは続きも観てみたいぞ!!
女子子供も容赦しないベニチオ・デル・トロによる壮絶な復讐劇に、カルチャーショックを覚えた
ドゥニ・ビルヌーブ 監督テイラー・シェリダン脚本による2015年製作(121分/R15+)のアメリカ映画。
原題:Sicario、配給:KADOKAWA、劇場公開日:2016年4月9日。
ビルヌーブ 監督作品ということで、意外性への期待値が大きいこともあってその点では少々物足りなさも感じた。一方かなり個性的な脚本であり、色々考えさせられる、とても興味深い映画であった。また、ストーリーが込み入っていて理解が自分には難しく、2回見て初めて映像の意味が分かったところも幾つかあった。
FBI捜査官を演じたエミリー・ブラントが主役ということなのだが、視聴者目線で正義のヒト視点もあるよという言わばアリバイ作りの様なもので、真の主役はベニチオ・デル・トロ演ずるSicario(殺し屋)であった。
映画の前半は謎だらけだった彼は、妻と愛しい娘をメキシコの新興麻薬カルテルに殺された元検事で、復讐することを目的で生きている1匹狼のコロンビア人。何処の仕事も引き受けるらしいが、今回はコロンビアの老舗麻薬カルテルに雇われていることが後半になって判明。
その彼の復讐を、当初国防省コンサルとか言っていたCIAのジョシュ・ブローリンたちが、混乱よりも秩序を望む大統領の指示下、超法規の立場で全面的にアシストする。つまり、米国国家組織が隣国で、老舗不法組織を使うことで新興不法組織を壊滅させるという非倫理的な構図。
主役たるベニチオ・デル・トロは、良き父親であることが丁寧に描れていたメキシコ人警官を、いともあっさり予想外に殺害。更に、復讐相手のメキシコ人カルテル親分の家に単身乗り込み、無実であるはずの妻及び2人の息子を、本人射殺の前に、息子だけは助けてと頼む彼の目の前で射殺。コレには、かなり衝撃を受けた。今時、主人公が問答無用の家族全員の皆殺しとはと。新しいかたちのハードボイルド像なのか?
一連の違法行為に納得出来なかったエミリー・ブラントだが、ジョシュからは腕力でねじ伏せられ、ベニチオには防弾チョッキの上からとはいえ狙撃され更に銃で脅迫もされて、抵抗できなくなってしまった。米国人的には、強い力にはもっと強い力で対抗するしか無いということなのだろうか。ただ自分の日本人的感性ではそうではないだろう、何か別のやり方がきっと有るはずという気持ちはかなり残った。テロ事件が契機とは言え、多くの民間人をイスラエルが毎日殺害しているという報道の中、特にそう思いたい自分がいる。
監督ドゥニ・ビルヌーブ、製作ベイジル・イバニク 、エドワード・L・マクドネル 、モリー・スミス、 サッド・ラッキンビル、 トレント・ラッキンビル、製作総指揮ジョン・H・スターク、 エリカ・リー エレン・H・シュワルツ、脚本テイラー・シェリダン、撮影ロジャー・ディーキンス、美術パトリス・バーメット、衣装レネー・エイプリル、編集ジョー・ウォーカー、音楽ヨハン・ヨハンソン、音楽監修ジョナサン・ワトキンス。
出演
エミリー・ブラントケイト・メイサー、ベニチオ・デル・トロアレハンドロ、ジョシュ・ブローリンマット・グレイバー、ビクター・ガーバーデイブ・ジェニングス、
ジョン・バーンサルテッドジョン・バーンサル
ダニエル・カルーヤレジー・ウェインダニエル・カルーヤ
ジェフリー・ドノバンスティーブ・フォーシングジェフリー・ドノバン
後味の悪いラスト
冒頭の衝撃シーンから、緊迫感、緊張感の連続で、最後まで画面に釘付けだったが、後味の悪いエンディングだった。結局、真っ当な人間だったのは主人公のエミリー・ブラントと相棒の黒人だけだったということか?
主人公が法を無視しても悪い奴らをやっつけるというヒーローものの映画は結構あるが、その類だったら、ベニチオ・ベル・トロが主人公だ。一匹狼で敵陣に乗り込むのは、昔で言えばマカロニウェスタンのヒーロー、最近の映画ならイコライザーのデンゼル・ワシントンかな。ところが、この映画ではエミリー・ブラントが主人公なので、結局彼は最後に偽りの報告書にサインを彼女に迫る、悪役になってしまった。つまり、エミリー・ブラントの位置づけがイマイチ曖昧のように感じる。そのせいか、次回作では彼が主人公になってるようだ、まだ未見だが。
此処は狼が棲む土地
強い信念を持ってFBI捜査官として挑むケイトをエミリー・ブラントが演じる。悔しさを滲ませ嗚咽する姿が切なく美しい。
作戦メンバーの一員となるアレハンドロをベニチオ・デル・トロが渋い演技で魅せる。深い悲しみを帯びた瞳が印象に残る。
通路を進む赤外線映像がリアルで怖い。
ーCIAが国内活動するにはFBIの同行が必要だからだ
BS-TBSを録画にて鑑賞 (吹替版)
根深い社会問題に解はあるのか・・
麻薬ビジネスを根絶できないとしたら、勝手やり放題のメキシコカルテルよりまだ管理可能なコロンビア組織に首を挿げ替える方が得策と考えたCIA、ただしCIAが国内で合法的に動くにはFBIとの共同作戦しか手が無い、そこで与し易しと選んだのがFBIの女性捜査官ケイト(エミリー・ブラント)でした。ところがCIAのマット(ジョシュ・ブローリン)の強引な作戦を知るにつけケイトは思ったよりストイックで言いなりにはなりません。
CIAも自ら暗殺に手を染める訳にはいかなかったのか実行犯に選んだのが麻薬カルテルに家族を殺された元検察官アレハンドロ(ベニチオ・デル・トロ)、原題のシカリオは暗殺者の意味らしい。
アレハンドロはケイトに、「ここは狼の住む地、君は狼にはなれない、法と秩序が欲しいなら小さな町に移るんだね」と言います。それでは何も解決しないことは自明です、狼より始末が悪いのが人間でしょう。極論すれば余計な雑味を入れず悪を征する痛快アクション映画の方が好みです。
毒を持って毒を制するメキシコ麻薬戦争の過激さだけでも十分映画になるのにわざわざ良識派市民のアリバイの如く葛藤する捜査官を加えたのは正統派社会派ドラマに仕立てようということか、どう思うかは観客に委ねようと曖昧な結末、確かに取り締まり強化だけでは根本問題は解決しないことは分かるが戦いはいつまで続くのだろうか・・。
引き込まれる
ブレイキング・バッドやナルコスを見てからだと、メデジンとかフアレスとかエルパソとか聞き覚えのある地名ばっかりでなんか嬉しかった。
ナルコスと舞台はめっちゃ似てる。
メデジンカルテルのパブロの話もチラッと出てくる。メデジンが衰退していってフアレス?カリ?が台頭してきてる時代の話なのかな。
パブロの時はパブロ一強の時代だったから良かったけど、そんな事なくなって麻薬戦争が起きそうな、、?
主人公は女性かと思ったけど謎のメキシコ人が裏の主人公的な感じだった。
序盤からずっとエグい死体が何体か出てくる。
ジョーンバーンサルはやっぱり悪い役。
終盤、家族全員殺すのはびっくりした。
あそこで簡単にみんな殺されるのはリアリティがある。
最後銃を捨てたのは、エミリーブラントが銃を拾って構えるのを承知で生死を委ねたのだと思った。
本当にコロンビアやメキシコじゃなくて日本に生まれてよかったとつくづく思った。
サッカー少年たちが銃声が聞こえても反応が薄かったシーンはメッセージ性がある。
シカリオ——消耗される暗殺者
北米と南米の狭間の、あまりに危険な軋轢。
そこで起こる麻薬戦争を生々しく描いた、強烈な社会派クライムアクション。
FBIのHRT(人質救出チーム)のケイトは、麻薬王の拠点小屋への突入作戦で、壁いっぱいに隠されたパックづめの死体を見つける。
その日のうちに麻薬王殲滅チームに勧誘され、CIA工作員のマットと身元不明ながら強力な戦闘能力をもつ協力者・アレハンドロと共に、ケイトはメキシコへと潜入する。
そこは普段訪れる平和な観光都市ではなく、裏のメキシコとでも言うべき、恐怖の支配する麻薬王国だった。
だが何よりもケイトを驚かせたのは、交戦規定を無視して無法な攻撃を与えるマットとアレハンドロ——味方たちだったのだ。
容赦なく発砲する敵と味方、処刑を受け四肢の欠けた体が見せしめとしてストリートに無造作に吊り下げられ、街の人間全てが敵に思える状況。
実際にメキシコ国境の町フアレスで撮影された映像は、麻薬戦争の剣呑さを見てるこちらの肌がひりつくほど伝えてきます。
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の切りとった緊張感みなぎる画面で、出色なのはやはりベニチオ・デル・トロ演じる暗殺者・アレハンドロ。
歴戦の戦士たちの中でも飛び抜けて優秀な戦闘員で、麻薬王を心の底から憎む男を、恐ろしいまでに作り上げています。
マット役のジョシュ・ブローリンも、ニヒルに笑いながら法律を無造作に踏み越える襲撃チームのリーダーを存在感抜群に演じています。
ケイト役にはオール・ユー・ニード・イズ・キルで『戦場の牝犬』リタ・ヴラタスキを演じたエミリー・ブラント。
こちらではアメリカ的良心を担う役として、アレハンドロの不気味さを受け止めきれない難しい演技をこなしています。
原題のSICARIO——シカリオ——は、鉄砲玉のように消費される暗殺者を指す言葉。
なぜアレハンドロがそんな呼ばれ方をするようになったのか、メキシコの麻薬の闇の中で蠢く凄惨さを、我々はどう受け止めるのか。
アメリカ本国では、衝撃をもって迎えられた当作。
続編はさらに無惨です。
重いテーマと安っぽい邦題
邦題からエミリー・ブラント主演のB級アクション映画と思いきや、美人で華奢な彼女が演じるのは苦悩するFBI捜査官。彼女は正義と悪の境界でも自分の信じる正義を貫きたいが、そこは混とんとした世界。アメリカとメキシコ国境を挟む活動と自分の揺れる信念。エミリー・ブラントと対峙させるようにベニチオ・デル・トロを配置し、「正義とは」を観客に問いかける。
確かに境界線はテーマではあるが、こういう安易でちゃちな邦題をつける配給会社のセンスを疑う。プロローグで原題の説明までしているのにね。
冒頭の死体とか吊るされた人たちとか、あれが事実としたら、悲惨な戦争を反省して平和な社会を築き、今や平和慣れしているこの国に生れ育った自分の幸せを痛切に感じた。
国境での辛い仕事!の後もヒドイ!
まさか作戦の全貌を知らされずに動かなきゃならないとは。知らない内にオトリになって殺されそうになったり。最後は自殺に見せかけて殺されそうになりながら、あれは作戦でしたと署名させられて。要望されたから望んで来たのに、一体何なんだ!
タイトルなし
不気味な静けさと共に徐々に緊迫感を帯びて行き、暗闇の先やこの先の展開に引き込まれ、一気に見れた。正義感と戦いながらも無力さに葛藤するエミリー・ブラント、法を破ることも辞さない麻薬撲滅チームリーダーのジョシュ・ブローリン、何と言っても、妻子を殺され人生を破滅に追いやったメキシコカルテルへの復讐に静かに残酷に実行に移すベニチオ・デル・トロの演技は圧巻。静けさが不気味。
不穏な空気と緊張感!
やっぱり「緊張感」と書かれてる方いますよね、わかります! 別の映画のレビューにも書きましたが、安全な場所(自宅や映画館)から絶対に行きたくないような危険な場所が舞台の映画を観るのが好きなので(笑) 冒頭の襲撃シーンやメキシコに到着してから現地の警察車両に守ってもらいながら移動するシーンが好きです。 エミリー・ブラント素敵でしたが(笑)・・・真の主役はデル・トロだったんですね! 家族の仇は絶対に打ちたいですよね・・!
麻薬こわい
最初のところを居眠りしてしまい、巻き戻さずに見たので、かなり分からないまま後半までよくもリタイアせず見れた。
が、それも、暗くて何か起きるに違いないと思わせる道中や、メキシコの尋常でないリアルな姿などが、飽きなかった理由。
アメリカがメキシコ移民を入れたくないのも分かる。メキシコやコロンビア、南米の治安、貧困はどうやったらまともになるのか…。
後半になり、仕掛けや罠、潜入の理由、色々分かってきてから一気に面白くなり、最後は切なく終わった。
ベニチオデルトロが古屋一行にちょっと似てるけど、スゴく良かった。彼には生き延びて欲しいって思ってしまった。
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自宅にて鑑賞。原題"Sicario"。ハードでシリアスな内容に張り詰めた空気感を伝えるフィルターと照明を駆使した眉目良い画面が全篇を支配する。後半にJ.ブローリンの“マット・グレイヴァー”が明かす真の狙い(作戦)に度肝を抜かされる。腐敗に対し裏社会との妥協を見出す利己的な国家の思惑を実現する為のシナリオや素性を明かさぬキャラクターを配したミステリー仕掛けの作りは、他国を巻き込むと云う規模の違いこそあれ、韓流に近いテイストだが、各人の私情や恋愛が深くストーリーに絡まない分、更に後味が悪い。65/100点。
・ストーリーとは裏腹に不釣り合いに思える程、多用されるどっしりと構えた全景を捉えるアングルと一見長閑で静的なカメラワークに決して邪魔をしない乍らも微かに低く奏で続けるBGMやSEが独自のテイストとリズムを産み、アーティスティックな世界観の形成に寄与している。
・内容が内容だけにレイティングの考慮と云うよりも作風として、ゴア描写やバイオレンスシーンはスチルや動きの少ない画として登場するのみとなっている。具体的には、それらを暗示させる(水責めに対する大きなウォーターボトルや排水口のアップ等の)静物や状況描写、或いは襲撃者の表情のアップやバストショット等、その瞬間は加害側のみの画とあくまで示唆的に止めており、直接的な描写を避けている。
・フラストレーションは残るもののカタルシスはなかなか得難いビターな物語と云える。事情が判らず、いきなり最前線に立たされ、現実を眼前に葛藤と焦燥を繰り返す常識人を通し、真相や真実が徐々に明かされる展開は有り勝ちでユニークだが、その先に待つラストはそこに至る迄、丹念に繰り返し描かれた日常との対比で残酷さと国家や闇組織と云う権力に対する個人の無力さが際立つ所謂“セカイ”系とは真逆の後味の悪さを残す。
・善と悪、或いは国境と云うダブルミーニングが巧くはまった邦題であるが、オープニングのテロップで解かれる原題に従うと、主役は“アレハンドロ”のB.デル・トロになる。単身、J.セサール・セディージョの“ファウスト・アラルコン”家の晩餐に乗り込み、着席した後の落ち着いた遣り取りや雰囲気は『キル・ビル Vol.2('04)』を想起した。
・屋内・屋外を問わず、計算された色遣いや引き気味が多い構図は、R.ディーキンスによるものだが、A.ウェブの『Crossings: Photographs from the U.S.-Mexico Border('13)』と云う写真集を参考に本作の撮影に臨んだと述べている。D.ヴィルヌーヴ監督とは『プリズナーズ('13)』、本作に次ぎ、『ブレードランナー 2049('17)』で、撮影として三度タッグを組んでいる。
・『ヴィクトリア女王 世紀の愛('09)』を観た監督が気に入り、“ケイト・メイサー”役としてE.ブラントにオファーをした。トレーニングを嫌う彼女は、第一子となる長女ヘイゼルを出産した四箇月後から撮影に加わり、これに応えた。
・小さな布石ともなっているブラジャーの件りは、米国の某フェミニスト団体が正式にセクハラだとコメントを出した。最近では珍しく女性が喫煙するシーンが何度かあるが、E.ブラントの“ケイト・メイサー”が吸う"Indian Creek"と云う銘柄は架空の物らしく、M.ヘルナンデス演じる“シルヴィオ”の寝室等でもこの煙草のパッケージが登場している。
・登場する一部の闇カルテルの名称は実在のものであると云う。"Los Estamos Observando(我々はあなたを見ている)"とのスローガンが写るメキシコの(シウダー・)フアレス市の当時の市長E.エスコバルは本作について、描かれているのは過去の出来事で治安は回復したと市民に鑑賞をボイコットするよう声明を出した。
・続篇として脚本のT.シェリダンが再び筆を執り、B.デル・トロ、J.ブローリンが続投、イタリアのS.ソッリマが新たな監督として、原題"Soldado(仮題、「兵士」の意)"の名の元に'18年リリースを目指し、製作中であると伝えられている。
・鑑賞日:2017年6月4日(日)
これは、正義か、復讐か…
題材はアメリカ・メキシコ国境線で繰り広げられる麻薬カルテルとの攻防。
スラムの悲惨な描写が印象的。
麻薬捜査官の人間模様が複雑に絡み合うストーリー展開。
登場人物のバックボーンや考え方、捜査スタンスが、それぞれ違っていることがポイントなのだが…。
綺麗事やルールだけでは、治安を保てない世界で繰り広げらるアクションシーンに圧巻。
これは、真に迫った復讐劇ではないだろうか。
This is the land of wolf now. 日本で良かった。
このストーリーは現実に近いのでしょうか?もちろんデル・トロのくだりはフィクションとしてもメキシコってあんなに危ない国なの!?ラストのサッカーしてる少年達が銃声が聞こえた時に一瞬立ち止まり、そしてまたサッカーを始めたシーン。慣れちゃってますやん!!こういう作品を観ると日本人で良かったと心から思えます。
所々に挟まれてた警官とサッカー少年のシーン。何処かで絡んで来るんだろうなぁって思ってたら、あっさりデル・トロの囮に使われて殺されちゃうし。メインのストーリー・ラインはあったとしても作ってる側が伝えたかった事はメキシコでの日常の方ではないかと思えてきます。
もう、最初っから銃撃戦で始まり、ずっと緊張感の連続で、麻薬カルテルと復讐という重いテーマを取り扱いながらも、一級のエンターテイメント作品に仕上がってたと思います。
しかし、もしこれが現実ならメキシコの人には甚だ失礼な言い方になりますが、間違ってもメキシコにゃ住めねーなと思いました。日本に住んでる羊な自分は狼の国では生きていけません。日本に生まれて良かった。
「父ちゃん、サッカーやろうよ」
あるメキシコの家族の風景が時折挿入される。サッカー好きの少年が父親と一緒に遊びたがっていて、お母さんは黙って料理をする。その父親がどこかで本編の重要な場面で絡んでくるハズだと期待していると、意外なところであっさりと・・・と、何だかここだけでも悲しくなってきた。そんな悲哀が必ず生まれてくるほどの野獣都市ファレス。
ちょいと正義感が強すぎるFBI誘拐即応班のケイト・メイサー(ブラント)。冒頭のアリゾナ州での奇襲作戦でもカッコよく銃撃戦を制してみせたり、仲間たちが死体の束を見て嘔吐しまくる現場でも平気な顔をして気丈な性格をみせる女性だ。そんな彼女の腕が買われてメキシコの麻薬カルテル撲滅の任務を帯びた特殊部隊にスカウトされる。
怪しい。怪しすぎるほどの特殊部隊。そこのサンダル男マット(ジョシュ・ブローリン)はCIAなのか国防総省直属なのかもはっきりしないし、部隊には刑務所から仮出所している者もいるくらいだ。そんな中、物静かで何を考えてるかもわからないアレハンドロ(ベニチオ・デル・トロ)も不気味だ。そんなアレハンドロの経歴もメキシコで検察官をやってた事実や、ケイトの相棒であるレジー(ダニエル・カルーヤ)も法律の学位を取ってることから、正義や法律順守といったものまでテーマとなっている。
実際は麻薬カルテルを“混乱させる”ことが彼らの任務。そこには仲間の動きさえ把握できない作戦、自由射撃、超法規措置といった、一般人から見ると善と悪との区別さえつかなくなるような部隊だったのだ。そんなところにマネーロンダリングを追及しようと正義の盾を振りかざすケイトが入ったもんだから、彼女さえオトリとされ、一味を捕らえようとする。すでにアメリカとメキシコの国境地帯は戦場そのものだったのだ。
後半のメインになるのはアレハンドロの復讐劇。混乱させるという名目なんて、もはや彼の視界には入っていなかった。カルテルのナンバー3と言われた男に妻と娘を殺された復讐の狼。そこにたどり着くまでには汚職まみれの警官だって無慈悲に殺していくのだ(サッカー好きの息子がいようがいまいが関係なしだ)。さすがに屋敷のメイドだけは殺さなかったところに人間性が残されていた気がする。
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作も何本か観てきて感じたのは、重厚な自然を背景にして、人間がいかに小さいものだということを表現しているとこと。レフ版を使わず(実際は知りませんが)に陰影をわざとらしく映し、露光を高めにしているような、独特の色彩があります。また、重低音で体に訴えてくる音楽というよりシンセノイズ。あまり多用されると眠くなってくるのが欠点かもしれない・・・
人と獣の境とは
アメリカ/メキシコ国境で繰り広げられる対麻薬戦争。
その恐るべき様相を描いた『ボーダーライン』。
続編『ボーダーライン/ソルジャーズ・デイ』の
公開にあわせて久々に再鑑賞。
監督は『灼熱の魂』『ブレードランナー2049』等の
ドゥニ・ヴィルヌーヴだが、エンタメ性を確保しつつも
テーマ性の強い作風で知られる彼の作品中では、
本作は最もエンタメ寄りの作品という気がする。
...
冒頭からズンズンズンと低く響くドラムの不穏さ。
FBIの突入作戦で始まるオープニングからして強烈。
真っ昼間の乾いた空気の中、さして広くもない家に
立ち並ぶ、ビニール袋入りの死体・死体・死体……。
ほぼ全編、主人公ケイトの視点で進む物語。
誰も彼女に状況を説明してくれないので、観客も
ケイトと同じ立場で次々と異様な事態を見せられる。
逆さ吊りの首無し死体、高架上での無慈悲な銃撃戦、
味方である警察が、友人が、こちらに銃口を向けてくる様。
黄砂色の荒涼とした風景と、重く唸るようなスコアも
相俟って、この映画は終始こちらに不安と緊張感を強いる。
ケイトもFBIの突入部隊員なので、並の人間よりは
遥かにタフだ。だが、国防総省の指揮官マットと
その片腕アレハンドロはそれよりも更にタフだ。
――いや、タフというより、彼らは倫理観という
リミッターがパキンと外れている。
カルテル壊滅という大きな目的の為、1000万ドル
規模の資金洗浄に目をつぶる。捜査を円滑に進める為、
『正義を果たしたい』というケイトの信念を利用する。
息子のいる父親を、ためらいもなく肉の盾にして敵を欺く。
彼らは勝つ為に手段を選ばないし一瞬の躊躇すらしない。
...
終盤、自身の正義を踏みにじられて初めて涙を見せる
ケイトに――『俺の大切な人に似ている』彼女に――
アレハンドロは慰めとも取れなくもない言葉をかける。
「小さな街へ行け、法秩序が今も残る土地へ。
君はここで生き残れない。君は狼じゃない。
そして、ここはいまや狼の土地だ。」
恐ろしい考えだが、倫理観や善悪とは結局の所、
文明社会というシステムを円滑に機能させるために
人間が作り上げたプロトコルに過ぎないのだろうか。
獣の行動原理には善も悪も存在しない。自分や
自分の家族が生き残れるか殺されるか。それだけだ。
正義や倫理が一切通用しない土地。
人と獣の境目が曖昧な、荒涼たる土地。
人はいったいどこまでが“人”で、どこからが“獣”なのか?
少なくとも分かるのは、アレハンドロはとっくに
その境を越えて戻れなくなった人間だった。
愛する家族を無惨に殺された時点で、彼は
“人”であることをやめてしまったんだろう。
ケイトはその境を越えることはできなかったし、
そうせずに済むチャンスが残っているならば、
そうしなくて良かったのだと心底思う。
...
物語の最後……戻らない父親のベッドを見つめる少年。
サッカー場の近くで聴こえる銃声を聴き、凍り付く
母親たち。一瞬動きを止めた後、すぐに試合へと
戻る子どもたち。どこか諦めたようなその表情。
こんな日常があってたまるかと言いたくなるが、
これもまた地球の裏側で繰り広げられている日常。
<了>
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余談:
そういやベニチオ・デル・トロって『ウルフマン』で
狼男を演じてましたね。何か狼に縁があるんかねえ、彼。
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