「.」ボーダーライン(2015) 瀬雨伊府 琴さんの映画レビュー(感想・評価)
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自宅にて鑑賞。原題"Sicario"。ハードでシリアスな内容に張り詰めた空気感を伝えるフィルターと照明を駆使した眉目良い画面が全篇を支配する。後半にJ.ブローリンの“マット・グレイヴァー”が明かす真の狙い(作戦)に度肝を抜かされる。腐敗に対し裏社会との妥協を見出す利己的な国家の思惑を実現する為のシナリオや素性を明かさぬキャラクターを配したミステリー仕掛けの作りは、他国を巻き込むと云う規模の違いこそあれ、韓流に近いテイストだが、各人の私情や恋愛が深くストーリーに絡まない分、更に後味が悪い。65/100点。
・ストーリーとは裏腹に不釣り合いに思える程、多用されるどっしりと構えた全景を捉えるアングルと一見長閑で静的なカメラワークに決して邪魔をしない乍らも微かに低く奏で続けるBGMやSEが独自のテイストとリズムを産み、アーティスティックな世界観の形成に寄与している。
・内容が内容だけにレイティングの考慮と云うよりも作風として、ゴア描写やバイオレンスシーンはスチルや動きの少ない画として登場するのみとなっている。具体的には、それらを暗示させる(水責めに対する大きなウォーターボトルや排水口のアップ等の)静物や状況描写、或いは襲撃者の表情のアップやバストショット等、その瞬間は加害側のみの画とあくまで示唆的に止めており、直接的な描写を避けている。
・フラストレーションは残るもののカタルシスはなかなか得難いビターな物語と云える。事情が判らず、いきなり最前線に立たされ、現実を眼前に葛藤と焦燥を繰り返す常識人を通し、真相や真実が徐々に明かされる展開は有り勝ちでユニークだが、その先に待つラストはそこに至る迄、丹念に繰り返し描かれた日常との対比で残酷さと国家や闇組織と云う権力に対する個人の無力さが際立つ所謂“セカイ”系とは真逆の後味の悪さを残す。
・善と悪、或いは国境と云うダブルミーニングが巧くはまった邦題であるが、オープニングのテロップで解かれる原題に従うと、主役は“アレハンドロ”のB.デル・トロになる。単身、J.セサール・セディージョの“ファウスト・アラルコン”家の晩餐に乗り込み、着席した後の落ち着いた遣り取りや雰囲気は『キル・ビル Vol.2('04)』を想起した。
・屋内・屋外を問わず、計算された色遣いや引き気味が多い構図は、R.ディーキンスによるものだが、A.ウェブの『Crossings: Photographs from the U.S.-Mexico Border('13)』と云う写真集を参考に本作の撮影に臨んだと述べている。D.ヴィルヌーヴ監督とは『プリズナーズ('13)』、本作に次ぎ、『ブレードランナー 2049('17)』で、撮影として三度タッグを組んでいる。
・『ヴィクトリア女王 世紀の愛('09)』を観た監督が気に入り、“ケイト・メイサー”役としてE.ブラントにオファーをした。トレーニングを嫌う彼女は、第一子となる長女ヘイゼルを出産した四箇月後から撮影に加わり、これに応えた。
・小さな布石ともなっているブラジャーの件りは、米国の某フェミニスト団体が正式にセクハラだとコメントを出した。最近では珍しく女性が喫煙するシーンが何度かあるが、E.ブラントの“ケイト・メイサー”が吸う"Indian Creek"と云う銘柄は架空の物らしく、M.ヘルナンデス演じる“シルヴィオ”の寝室等でもこの煙草のパッケージが登場している。
・登場する一部の闇カルテルの名称は実在のものであると云う。"Los Estamos Observando(我々はあなたを見ている)"とのスローガンが写るメキシコの(シウダー・)フアレス市の当時の市長E.エスコバルは本作について、描かれているのは過去の出来事で治安は回復したと市民に鑑賞をボイコットするよう声明を出した。
・続篇として脚本のT.シェリダンが再び筆を執り、B.デル・トロ、J.ブローリンが続投、イタリアのS.ソッリマが新たな監督として、原題"Soldado(仮題、「兵士」の意)"の名の元に'18年リリースを目指し、製作中であると伝えられている。
・鑑賞日:2017年6月4日(日)