ホース・マネーのレビュー・感想・評価
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ペドロ・コスタ 記憶の断片群
ペドロ・コスタの初期3作と比べストーリー性はほぼないと理解していたので、寝落ちしないように上映時間を選び、体調を整えて鑑賞に臨みました。最後まで観ることはできました。では把握できたかというとかなり怪しいですが...雰囲気に浸ることは出来ました。
冒頭のジェイコブ・リースの妙に味のある数枚の写真、そして病院とおぼしき建物の階段を下り、暗い廊下を歩くシーンに、昨年東京都写真美術館で開催された「PEDRO COSTA INTERVISIONS」の暗闇を思い出しました。
朽ち果てた労働現場、森、エレベーター内でのブリキ人形のような兵隊との会話など、時間(歴史もかな)空間を彷徨うヴェントゥーラに翻弄され続けました。
廃屋で甥と歌う場面 なんか歌詞の細かな違いにこだわってましたが、心が通じている風でなかなかいいシーンでした。この時だけ手が震えていなかったし。
あとヴィタリナの喪服がわりの黒革のコート、めちゃカッコよかったです。
他にはない現実感
例えば、ジャ・ジャンクーの映画のような、人々から見捨てられ廃れた建物や、人々に顧みられることのない貧しい者しか立ち入らないであろう施設の描写。これらは強い現実感を伴って、観客の前に立ち上がっていくる。
しかし反面、動きの少ないカメラワークと、登場人物にとっての現実と虚構を行き来する編集は、観る者に忍耐と集中力、又はそれらを放棄してスクリーンに映っていることへ身を委ねることを要求する。
ポルトガル社会の底辺で生きることを宿命づけられた黒人たち。この人々の生き様を、ドキュメンタリーのような現実感で包み込むように描く。
被写体への照明の当て方やカメラの動きは計算されているので、ドキュメンタリーではないことはすぐに分かる。はたしてスクリーンの中に自分が見せられているのが、現実の再現なのか、誰かの想像の再現なのか判別しがたい苛立ちを伴いながら、不思議な世界観へと誘い込まれる。
ジャ・ジャンクー映画のリアリズムが、誰かにとっての現実を再現しようとしたものとするならば、ペドロ・コスタは誰かの記憶や感傷の再現を試みることで、観客に現実感を味わわせている。
山岸凉子の怪談かと思った
病院とおぼしき所に居る老人が思い出を語る。生まれ故郷の話や、出稼ぎ先で巻き込まれた事件など、思い出は時代と場所を行ったり来たりしながら進んでいく。
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観ながら、山岸凉子の怪談漫画みたいだなあと。死んだ人が自分が死んだと気付かずに思い入れのある場所と時代を彷徨うという(タイトル失念)。
冒頭、暗い洞穴みたいな所から出てくるのも、冥土から出てくるみたいだし。
夜の病院の食堂(?)でスープ呑むところなんて、ああ、病院にこういう幽霊出そうだね…と思うし。
老人を訪ねてくる人もいるんだが、何だか墓参りして墓に話しかけてる感じもするし。
もう、こりゃ、絶対幽霊でしょ、と感じてしまう。
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だが、しかし、これはかなり失礼な感想だ。
主人公のベントゥーラは、まだ死んでいないベントゥーラ本人が演じているのだもの。
「演じている」と言っていいのか。ベントゥーラ本人が、自分が体験した思い出を語っているだけだ。
大きな事件の話もあるが、それよりもささやかな、「あの時飛んでたのはツバメじゃない」とか、着ていたシャツの色とか、唄の歌詞とか、細々したことを延々と話しているだけだ。
それなのに、怪談のようなファンタジーのような異界に連れていかれる。
個のドキュメンタリーが寓話に昇華される、この浮遊感。
個の物語が普遍へと昇華したからこそ。老人ベントゥーラの生々しい記憶が、なんの縁もゆかりもない観客にもなだれこんでくる。知る由もなかった遠い異国の老人が、共感・共有といった生易しいレベルではなく身近な存在となる。
ペドロ・コスタの映像は、一体全体どんなマジックを使ったのか。不思議で不思議でならない。
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追記:他の方も書いておられるが、不思議な映画だけどもベントゥーラに愛着が湧く。シンプルにただそれだけで充分なのかもしれんねとも思う。
捉え方が解らない
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