「最難関な作品」ひそひそ星 R41さんの映画レビュー(感想・評価)
最難関な作品
タイトル名は、宇宙船が最後に立ち寄る人間だけしかいない惑星。30デシベル以上出せば人間が死ぬ可能性があると注意を受ける。
しかし、そもそも宇宙船のAI(コンピュータ・機械)もアンドロイド鈴木洋子も、最初からひそひそ話しかしていない。
昭和40年ごろのデザイン 宇宙船の内部はまるで当時のアパート AIも当時の機械のようなデザインで、宇宙船そのものは神社のような佇まいをしている。
鈴木洋子はこの宇宙船をレンタルして宅配の任務をしている。
宅配は人間が人間に対してだけするもので、早々に発明されていたテレポーテーション技術は、最初だけよかったものの距離と時間に対するあこがれは人間にとって心臓がときめくようなものだと、鈴木洋子は考える。
目まぐるしく変わる曜日は、宇宙船のスピードを表しているのだろう。鈴木の挙動ごとに次々と曜日が変わってゆく。
鈴木はテープレコーダーに、次にこの船をレンタルする者に向けて宇宙船での暇つぶしの仕方を録音していて、それはすでに14年分溜まっている。
しかしそれは本当だろうか?
鈴木は朝(仮に)蛇口の水が滴るのを見て、それを止めるまでに3日ほど要しているが、それは地球時間との相対的な時間であり宇宙船での時間ではない。
つまり鈴木にとっての1日は1年くらいに等しいのかもしれない。
そうであれば、14年とは2週間程度だ。しかし壊れつつある蛇口とヒンジねじが外れた衣装箪笥、特にテープレコーダーに記載された日付は、14年を物語っている。
逆に鈴木洋子の認識設定が誤っているという設定なのかもしれないが、この曜日による時間軸の設定は、若干おかしいと思う。曜日という概念そのものを採用した理由が分からない。
また、荷物の受取人が時間経過的理由ですでに死亡していることもあるが、奇妙な隣人たちが荷物を受取ってくれる。その場所、荷物の届ける先はすべて「フクシマ」に設定されている。
この設定が福島の現状として表現されていることがもの悲しさを伝えている。
届け先は廃墟化した建物 砂地に埋もれた場所 誰もいない町…
人間の男が廃墟の街に転がる空き缶を踏みつけると、それが靴底にハマり、そのまま音を立てて歩いている。小学校の時同じことをした記憶がある。
カメを見つけ、放置された昭和デザインの自転車に乗る。
男はアンドロイドの鈴木にあれこれ問うが、最後に宇宙船の窓にスプレーをする。
鈴木は仕方なく一度降りて窓を拭くが、これが何を意味していたのだろう? 男の徘徊行動から見ても理解できなかった。
その後鈴木は、別の惑星で男と同じシチュエーションが起き、彼女も同じように空き缶を靴に挟んだまま音を立てて歩く。
鈴木はこの男から自転車を知ることで、どこか別の惑星にあった自転車に荷物を付けて乗る。
AIの音声は子供の声に設定されていて、このAiが見ているのが、どこかの星に着陸した時に入り込んだ虫 AIはその虫が苦手だ。
ある時鈴木は届ける箱の中身が気になりいくつかを覗くが、箱の中には写真のフィルムや蝶の標本、写真、紙コップなどおおよそつまらなものしか入ってない。
鈴木は砂浜のタバコ屋に荷物を届けた後タバコを買う。これは人間というものに興味が出たのだろうか。
さて、
冒頭から「水滴」が登場する。それがケトルに入れられ、中の水すべてが捨てられる。これは津波の象徴だと思う。命の水は人を殺すものにもなる。
荷物の届け先は、当時とは変わってしまった廃墟。
誰もいない町にも、探せばどこかに人がいるようだ。それとも荷物を取りに普段は行かないそこまで来たのかもしれない。
少年は地下鉄で荷物を受取り、鈴木に昭和レトロなカメラをくれた。
鈴木のファインダー越しの対象物はAIだった。想い出というものがないアンドロイドにとって近しい存在がAIだったのだろう。
その後鈴木は最後に靴に挟まった空き缶を箱の中に入れる。
それは鈴木がこの宅配業の中で得た思い出だったと考える。
ひそひそ星では人間の営みが影絵になって登場する。これは当時の福島の人々の日常だろう。その一つに荷物を渡すと、中身を見た家族が泣く。中身がなんだったのかはわからないが、鈴木にとって不思議なことだったと思われる。
機会にとっての記憶はそれだけのことだが、薄れ忘れ行く人間の記憶は、時に「想い出」として大切にされる。それは単なる記憶ではなく、その前後のことまでも彷彿とさせるエネルギーなのだ。
箱の中の紙コップは、紙コップではなく、届けられる人と届ける人とをつなぐ大切な「想い出」だ。
鈴木は最後にこの想い出という概念に触れたのだろう。
同時に人々に福島を忘れないでと言っているのかもしれない。
鈴木洋子以外すべてが福島のエキストラだったと思われる。
福島の人々に贈られたのが、「いつまでも覚えていますよ」ということなのだろうか?
最初の配達地で一瞬だけモノクロからカラーになった箇所があった。この意図もわからない。
また、AIの咳や鈴木のくしゃみなどどのような意味があるのだろう?
荷物を届けた老夫婦に「少しそこまで歩きませんか?」と言われて歩く鈴木。会話などはない。この意味も不明だ。
作品全体がモノクロでかなり徹底して昭和40年代をデザインしているが、福島は昭和40年代なのだろうか? 自転車がそうであったし街並みもそう見えなくはないが、そこに昭和の意味を持たせる意味が分からない。
AIが軌道上に接触する可能性のある宇宙塵のことを「隕石」というあたりがとても怪しい。
様々な点で不明な作品だった。せめて途中で眠くなるようにできなかったのかなと思った。
本当に、映画のレビューを読んでいても頭痛くなる様な作品。
自分の理解力や共感性の無さにうんざりします。どうやらこの作品は、昭和40年代の郷愁と2011.3.11を組み合わせて園子温テイストで仕上げた作品。自叙伝的で、ある意味恐ろしさすら感じる作品でしたね。長いレビューお疲れ様です。堪能させていただきました。