「爆弾と視聴率とエンタメの関係?」グッドモーニングショー ユキト@アマミヤさんの映画レビュー(感想・評価)
爆弾と視聴率とエンタメの関係?
最初はねぇ~、これスルーしようかな、と思ってたんですよ。
でも観て正解でした。お金払った分は、ちゃんと「おもしろい!!」という作品に仕上がってます。
本作は映画の初めから、時間軸がリアルタイムで進行する、というのが大きな特徴です。
ほとんど回想シーンなどを挟まず、まさに今、目の前で起こっている分、秒、単位の時間、ワンカット、ワンカットが極めてスリリングな効果を生み出しています。
主人公はニュースキャスター、澄田真吾(中井貴一)
相方の女性キャスターに小川圭子(長澤まさみ)
彼女の失恋を慰めようとした澄田のちょっとした優しさ。そこにつけ込んだ圭子。実は肉食系女子なのです。澄田と、まんまと男女の関係を作ってしまった、という設定からお話は始まります。
今朝もいつも通り、ニュースワイドショー番組の司会を務める二人。
最近、視聴率の落ちを気にしているのは、スタジオの奥で腕組みしているプロデューサー、石山(時任三郎)
本作、いい俳優さん使ってるんですよねぇ。
きっと俳優さんたちのギャラは、高くついたんだろうと思います。
ただ、作品全体の予算としては、そこそこリーズナブルに作られたのではないか、と推測します。
本作の面白さにどんどんはまり込んで行きながら、片方で僕は、やや冷静に
「これは低予算でも、おもしろい映画が作れる格好の見本だ!」
という思いを強く感じていたのです。
映画にとって予算は極めて重要な要素です。
例えば「時代劇を作ろう!」と監督、プロデューサーが決めた時点で、内容はともかく「金のかかる映画」を覚悟しなければなりません。
対照的に「これだけしか予算がない」
という場合、答えは簡単です。
①現代劇にする
②ロケはなるべくやらない、できれば室内劇にする。
③登場人物を少なく、エキストラをなるべく使わない。
④有名俳優を使わない
本作では知名度の高い、有名俳優を”止むを得ず”使ってます。
これは宣伝広告、興行収入を睨んで、費用対効果を狙ったものであることは言うまでもありません。
本作の舞台が「ワイドショー番組のスタジオである」と言う点も見逃せませんね。
ちなみに制作はフジテレビ。
なんのことはない、本作で使う舞台装置や機材は、すでに「ぜんぶ揃っている」わけです。新たに機材を買う費用もいらない。
なお、低予算で大ヒットを飛ばした映画の例があります。
矢口史靖監督の
「ウォーターボーイズ」
「スウィングガールズ」
などが格好の例でしょう。
登場人物を演じたのは、当時、全く無名俳優であった、妻夫木聡、玉木宏、上野樹里、貫地谷しほり、と言った人たち。
彼らは、これらの出演作で広く世に知られるようになりましたね。
ちなみに「スウィングガールズ」については予算5億ぐらいで、21・5億円を稼ぎ出す大ヒットとなったそうです。
さて、本作に戻りましょう。
朝のニュース番組の進行中、突然速報が入ります。
立てこもり事件発生!
人質は数人。
犯人は銃と爆弾を持っている。
更には犯人の要求が、なんと
「ニュースキャスター、澄田真一、本人をここに連れてこい!!」
警察の物々しい警護の元、澄田は犯人の立てこもり現場へ向かいます。
このとき、番組スタッフやプロデューサーたちにとっては、まさに「独占スクープ」
こんなに「美味しい」ことはありません。z
全国のお茶の間の視線を独占できる。
視聴率が稼げる!!
番組スタッフは、澄田の防弾及び特殊「防爆」スーツ(ちなみにアカデミー賞を獲った「ハートロッカー」で主人公が着るやつです)に、こっそりカメラを仕込みます。
キャスター澄田と、犯人の緊迫したやりとりが、生中継できる!!
心の中はまさに狂喜乱舞状態のスタッフたち。
当のニュースキャスター澄田は、身の危険に怯えながら、犯人の説得を試みるのですが……。
まあ、テレビ局にとってみれば、キャスターひとり、事件で殺されたところで、視聴率が稼げ、スポンサーが喜べば「言うことなし」なのです。
もし万が一、キャスター死亡、なんてことになったら、それこそしばらくは、ワイドショーや特集番組で、またバンバン視聴率が稼げるわけです。
危険な場所へ向かわせたのは警察とテレビ局ではありますが、犯人の要求であり、なにより、キャスター澄田、本人も了解済みなんですね。
合法的な人殺しシーンが取れるなら、
それさえも「エンターテイメント」になってしまう。
本作中に「テレビの報道なんて、しょせんエンタメなんだよ」
と言う趣旨のセリフがあります。
本作を象徴する一言でしょう。
報道はテレビ局にとって「商品」の一つに過ぎない。
僕たち一般市民は、常日頃から、こういった「加工済み情報」に、ある種、飼いならされているかのようです。
食品添加物なしでは、もう美味しいと感じない料理と同じでしょう。
メディアの情報に飼いならされた僕たちの日常。
市民の世論や感情、何より、正義と真実は「分かりやすいはずである」と、思い込まされていること。
そして、お茶の間で他人事のエンタメとして報道を楽しむ「一般市民の欺瞞」さえも、本作は炙り出して見せているかのよう。
表面は薄っぺらいエンタメ作品を「あえて」装いつつ、実はかなり深掘りできる作品だと僕は思いますよ。