祈りのちからのレビュー・感想・評価
全15件を表示
祈ったって面白くならない
こちらもハリウッド宗教映画。
見たばかりの『天国からの奇跡』は同じく宗教映画の類いであっても、家族の絆や人と人の交流、難病が私自身が患ったものと似ている所もあり、実話ベースなのも含めなかなか悪くなかったのだが、こちらは…。
老女クララは戦争で夫を亡くしてから、人生の不条理や悲劇と闘う事、祈る事を信じる。
とある家族。不動産業者のエリザベス、エリート営業マンの夫、幼い娘。一見裕福で幸せそうだが、仕事依存の夫に不満を募らせ、不倫も疑う。娘ともしっかり向き合えず、家族は問題を抱えていた。
ある日エリザベスは売却を考えているクララの家へ。クララは家族に問題を抱えている事を知り、クローゼットへ案内する。
そこは祈りの部屋。“ウォー・ルーム”。
クララはエリザベスに夫や抱えている問題を“祈る”事を提案する…。
ズバリ言えば、仕事で訪問した先が、宗教ばあさんの家。
勧誘され、ミイラ取りがミイラに。
夫や抱えている問題はサタンのせい。祈って、声高らかに追い出す事で救われる。
宗教ばあさんじゃなかった。宗教キチ○イ。
最初は乗り気じゃなかったエリザベスも次第に影響。宗教って、弱ってる人の心に入り込む。良くも悪くも。
祈ってから、夫やその仕事(クビになるほどの不祥事)、娘との向き合いなど家族関係が良くなっていく。
夫も祈るように。
祈った者は救われる。
迷える我ら子羊たちに祈りを。
そもそも“ウォー・ルーム”って…? 懺悔の部屋と違うの…?
宗教観もピンと来ず、ついでに話もつまらなく、祈りや宗教や神よイエスよ万歳でハッピーエンドと言われても…。
完全に宗教PR映画。
宗教に関心の無い者にとっては、こればっかりは祈ったって面白くならない。
この話をロシアとウクライナの人達に聞かせたいね。
ジーザスの贖罪って事だ。
良いね。
この話をロシアとウクライナの人達に聞かせたいね。
ちょっと、アナクロかもしれないし、男目線な所はあるが、争いを無くす戦略は真の敵を見つける事だと思う。
一歩間違えるとカルトな引きこもりになっちまうけどね。
『何があっても神を信じるんでしょ』僕も神みたいな者を信じたいけどね。
追記 キリスト教は信じる者を増やす事を良しとしている。一方でユダヤ教は選民思想だ。だから、ユダヤ教が迫害された歴史もある。その点も理解しないと。
永久保存版🙆♂️
自分は無宗教で、宗教には全く興味がない。宗教色の強さに拒否感も有ったが、バラバラの家族が絆を取り戻していくストーリーに引き込まれ感動した。仕事は大事だけど、家族の方が圧倒的に大事。凄く良い映画だと思う。
単純なキリスト映画と捕らえる人に、、
まずこの映画は男女(カップル、夫婦)関係や人間関係に悩める人におすすめするべき映画である。
人間関係に全く悩みのない人が見た場合、ただのキリスト(カトリック)の広告映画ですか?
ってなってしまうのも分からなくはない。
しかし、そこは一度忘れてほしい、宗教観ではなく哲学として客観視してもらえると、この映画のすばらしさが分かると思います。
宗教と聞くと日本はいい印象を持っていない人が多く、タブー扱いされがちです、オ○ム(実質的テロ集団となった)や創○学会(会員数が異常なためアンチも多い)など宗教に対して、いい印象を持ってない人が多いと思いますが、宗教とは本来、己を高めるための哲学の経典だと思うし、神は己の中にいるということを知れる映画だと思います。
ステキな話
初めはなんだこりゃ?て感じでした。
でも涙が止まらなくて心から泣けました。
罪を告白して悔い改める。
祈りを捧げる。
正しく戦う。
キリスト教ではないから、神を信じる。とかはわからないけど、プラスに考える事。人を思いやる事。
考え方と見方を変える事。そういった意味に捉えました。
辛い時や壁にぶち当たった時に観たい最高の映画でした。
神に代わりに戦ってもらえるよう祈る
正しい武器で正しく戦う方法を伝授するわ
クローゼットがウォールーム
祈りの気配が染み込んでる
アメリカ人が土下座してるの初めて見た
布教が目的の映画
ダブルダッチが楽しそう
エンディング曲はわかりやすいコンテンポラリークリスチャンミュージック
批評されないことが問題
教会を通して前売りチケットが販売され観客の大半がクリスチャンである類いの(いわゆる)「クリスチャン映画」の典型で、この種の映画に感動する人は確かにいるから、こういう映画の存在には、それなりの意味はある。
しかし、映画を批判する人を「信仰がない」を決めつけたり試写会の関係者がチケットの前売りに協力しない教会や牧師を非難するような風潮の中では、万人の心を打つ優れた映画は育たない。
このサイトにも批判的なレビューは載っていないが、それは決して良いことではない。「批評に値しない」と思われて「無視された」可能性が高いのだから。
いや、それどころか、この映画は多くの人に不快と思われた可能性もある。
「最も関わりたくない人」をアンケート調査すると「他人に指図する人」や「私生活に干渉する人」が上位に挙がるこの時代、主人公を導く老婆の言動は「パワーハラスメント」でもある。主人公は、不動産販売の営業を円滑に進めるためには老婆との語らいを拒絶することができないのだから。
「うっかり教会に行ったら、こんな婆さんに付きまとわれるのでは?」と未信者に思わせてしまうことで、この映画は、キリスト教の伝道に害になる危険も孕んでいる。
また、この映画はキリスト教の教義とも相容れない点が多々ある。
信仰とは、こんなに安易なものなのだろうか?
・・・映画では「妻が夫を赦したら夫も反省してハッピーエンド」だが、いい気になった夫が更に妻を軽んじて虐待するのが現実社会だ。夫は、自分の犯行(会社の商品の詐取)を上司に告白し、映画では暖かく受け入れられるが、実社会では、彼は失業するはずだ。子供と一緒に参加した競技会でも下位に甘んじるだろう。そして、主人公も夫も、どん底に落ちるだろう。
この時こそ、信仰が試され、主人公も妻も、このどん底でこそ、主イエスと出会う「かも」しれない。本当の「祈りのちから」とは、ここから始まるはずなのだ。
キリスト教は、「祈ったらうまく行きました、めでたし、めでたし!」の「ご利益(ごりやく)信仰」ではない。
「祈っても祈っても何もよいことは起こらない」ところから信仰がはじまる。夫は、失業したあげく妻を殴り倒して失踪し、子供たちは家出し少年院に入るかもしれない。しかし、目に見える「現実」がそうであっても、「今まで私には見えなかったけど、本当は、祈りがかなえられていたんだ!」と解る瞬間が(もしも)妻におとずれたならば、そのときの歓喜と神への感謝こそが「祈りのちから」なのだ。
しかし、この映画は、「祈り」を幸福追求の手段のように描き、「祈りのちから」を「アラジンの魔法のランプ」のレベルにまで引き下げている。そして、そのことが全く気づかれず、問題にもされず、論じ合われることもない。
・・・これが問題だ。
これは私へのメッセージ
SONYピクチャーズの映画は
たぶんクリスチヤンの方のセレクトと思います。天国からの奇跡 復活を見てからのこの映画です。
私は洗礼を受けながら 教会を離れる生活で
杜撰な人生です。たぶん 私が これを実践しなさいというメッセージです。サタンに負けてばかりで これは 私が最後の手段と感じます。感謝します。
観る意味のある映画
神戸で鑑賞。20年ぶりに行った映画館。
サタンと戦う部屋というのが、祈りの部屋。
サタンは私的にはエゴだが、サタンもエゴも私みたいだけれど、<私>ではない。
この悪との戦い方はとてもポジティブで、パワフル。でも本当に戦っているのは私ではない。神を信じているのではないが、祈りの力は信じて共有できると感じた。
号泣!
この映画を観るべきだとレビューを書いてくださった方、本当にありがとうございました。日本人にとっては宗教なんて胡散臭いと思われがちなジャンルですが、本当に観てよかったです。
他人のために祈ること、他人を赦すこと、人のせいにしないこと、自分が変わることで相手が変わり、よい方向へ向かっていくなら、映画のようなことを実践してみるのもいいのではないでしょうか。
色んなシーンで号泣しましたが、やはり父娘のダブルダッチ大会での活躍シーンは涙が止まりませんでした。
この映画を観る前だったら、主人公と同じ立場だったらすぐに旦那と別れてシングルマザーの道を安易に選んだかもしれません。数分に一組が離婚する時代、これほど不倫が横行している時代、結婚生活に疑問を持つ若者が増えていく時代だからこそ、宗教云々の話は抜きにして多くの人に観てもらいたい、素敵な映画でした。
簡単なテーマだが奥が深い
さすがに信仰心の篤いクリスチャンが多い国アメリカの映画だけあって、映画の中でJesusという言葉がやたらに出てくる。強盗までJesus nameという言葉で撃退できるくらいである。
原題の「WAR ROOM」は祈りの部屋のことだ。世界は神と悪魔の戦争であり、悪魔に打ち勝つためには非力な自分が戦うのではなく、祈りによって神の力で悪魔を打倒するのが人間にできる唯一の方法だと、老婆クララは力説する。悪魔とは人のプライドであり、憎悪であり、悪い行ないである。人そのものではない。だから自分に関わるすべての人を愛し、その人のために祈るのだ。
聖書に「汝の敵を愛し、迫害する者のために祈れ」(マタイ伝第5章)「敵を愛し、憎む者に親切にせよ。呪う者を祝福し、辱しめる者のために祈れ」(ルカ伝第6章)と書かれてあるとおりである。
聖書だけではなく、仏教の経典や大正の詩人の詩にも、同じテーマについて述べているものがあることを思い出した。
般若心経には、次の一節がある。
「心無罣礙。無罣礙故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃」
罣礙とは難しい言葉だが、人間のプライドであり、愛着であり、執着であり、憎悪であり、一言で言うとこだわりである。それらを捨てれば涅槃(ニルヴァーナ)の境地に至ることができると書かれてある。
中原中也の「山羊の歌」の中の「無題」という詩に次の一節がある。
「かくは悲しく生きん世に、なが心 かたくなにしてあらしめな。われはわが、したしさにはあらんとねがへば なが心、かたくなにしてあらしめな。かたくなにしてあるときは、心に眼(まなこ) 魂に、言葉のはたらきあとを絶つ なごやかにしてあらんとき、人みなは生(あ)れしながらの うまし夢、またそがことわり分ち得ん」
「頑なの心は、理解に欠けて、なすべきをしらず、ただ利に走り、意気消沈して、怒りやすく、人に嫌はれて、自らも悲しい。されば人よ、つねにまづ従はんとせよ。従ひて、迎へられんとには非ず、従ふことのみ学びとなるべく、学びて 汝が品格を高め、そが働きの裕(ゆた)かとならんため!」
いずれも、自分自身の凝り固まった心をほぐしていけば、周囲の心もほぐれていき、心を通い合わせることができる、それは本当に幸せなことだというテーマだ。簡単だが奥が深い。
とても感動的ないい映画だった。
感動的
この映画もジャンルで言うとクリスチャン映画との事で、この前見た「天国からの奇跡」同様にかなり感動したが、感動の中身がちょっと違った。実現しそうにない奇跡よりも身近に感じられる。
今回は祈りを戦いと言う強さが凄かった。故に原題は「War Room」
メインの人物達が黒人と言うのも新鮮だった。
宗教とか、神とか別にしても、人としてどう生きるか?人とどう関わって生きるべきか?そんな事を考えさせる映画だった。納得する部分が多かった。
そして神に対して祈ると言うのは自分に向けた決意なのではないかと思った。そして「神」とは自分の中の「良心」ではないかと感じた。
何故なら自分には嘘はつけない。隠し事も他人には隠せても自分には出来ないから。
映画では家族の関係修復をする為のポイントとして、相手を赦し、自分は戦わずに代わりに神様に戦って貰うと言う、それがとても的を得ていた事に凄く感動した。
これは他者を操るテクニックのようにも取れた。
宗教感は抜きにしてもこの映画は色々考えさせてくれて、何故か泣いてしまう程の感動があった。
夫婦の絆、親子の繋がり、それぞれのエピソードも良く出来ていて、楽しめる。
キーパーソンである祈りを勧めるおばあちゃん!彼女のパワフルなのが凄く良かった。元気貰える感じで、監督さん、ビジネスガール、ビジネスボーイの為の続編とか作ってくれないかな。
全15件を表示