「DPは本当に第四の壁を超えたか?」デッドプール SP_Hitoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
DPは本当に第四の壁を超えたか?
デッドプールの最大の特徴は「第四の壁」の存在を知っていること(自分がフィクション世界のキャラであるという自覚があること)だけど、これが本当に映画で表現されるのかどうかがすごく気になっていた。
漫画だったらよくあることだろうけど、マーベルの実写映画のシリーズって、リアリティのある映像と世界観にこだわってきたと思うんで、ほんとにやるの?やる覚悟あるの?それでこれまで積み上げてきた世界観を破壊することにならないの?って…。
で、普通にやってて驚いたし、思ったより陳腐な感じにはなってないかな…と思う。
でも、映画で第四の壁やるのはやっぱ難しいなー。まず、どうしても演じている俳優を意識してしまう。本当に画面の外にいる観客に向かって話してるわけじゃない、って思ってしまう。
最後、エンドロールが終わった後、バスローブを着たデッドプールが現れて来て言う。
「まだ帰らないの? …帰って帰って。オマケ映像なんかないよ。黒い眼帯つけたサミュエルジャクソンなんか出てこないよ」
この映像見て思うのは、こういう仕掛けにしようと考えた監督なりがいて、このセリフを書いた脚本家がいて、その通りに演じろと言われたデッドプールの俳優がいて、この映像をとったカメラマンがいて…、と無数の人が関わっているということ。
キャラが自立して発言したり行動してるわけじゃない(もちろん漫画だってそうだけど、漫画はキャラが自立して考えたり行動したりしていることがなぜか信じられる)。
ということは、実はデッドプールは第四の壁を超えていない。第四の壁を超えているという設定の世界に閉じ込められたままで、やはり僕らとデッドプールの間には厳然と第四の壁が存在してる、って思っちゃう。
それはそれとして、映画そのものはよくできてて面白かった。
でもコメディ中心なので、どうしても「ああ、アメリカ人はこういうことで笑うのね」みたいな感覚で見てしまう。笑いは文化や言語の壁がある。
ヒーローらしさなんてクソ食らえ、ってのもいい。
「ホントはいいやつ」なんて匂わせなかったらもっと良かったけど。
起こっている表面的な出来事はすごく陰惨で悲劇的なんだけど、それをシリアスにドラマチックに受け止めるんじゃなくて、奇妙に日常感覚でたんたんと処理しちゃうノリが面白い(最近、ジャンプ+の「ファイアパンチ」がこんな感じだった)。
結局はハッピーエンド、ってのは個人的にはちょっとがっかりした。もちろん、ここまできたらヒロインには助かってほしいなー、と思いつつ、でもここでヒロイン助かって大団円だったら、他のヒーローものと何が違うの?って思ってしまったんで…。
原作は読んでないけど、wikiに載ってた設定はすごく面白そうだった。
死の神のデスと相思相愛になるが、デスに片思いのサノスに「不死の呪い」をかけられ、死んでデスに会うことができなくなってしまう。それで、どうにかして死ぬことが目的になる。
こっちの方がギリシャ神話的な悲劇の感じで面白そうだなー。
陰惨で悲劇的な境遇におかれてこそ、能天気な性格とふざけた設定が生きると思う。