「黒人たちの怒りの声が音楽に変わる軌跡」ストレイト・アウタ・コンプトン 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
黒人たちの怒りの声が音楽に変わる軌跡
伝説のラップ・グループ「N.W.A.」の伝記映画として作られたのが、彼らの伝説のアルバムと同名の「ストレイト・アウタ・コンプトン」である。しかしながら、この映画は単純に「伝記」と括るべき映画ではないだろう。作り手も「伝記」としてこの映画を作ったようには見えない。もっと違う魂を込めた作品のように思える。何しろこの映画は、Wikipediaか何かを見れば分かるような略歴にはさほど興味を示していない。ただ略歴を語るだけの伝記映画で終わることを許していないのだ。寧ろ、登場人物それぞれの躍動する心の叫びに常に耳を傾けている。そして作品を通じて観客に投げかける思いは、そのまま彼らが音楽を通じて投げかけてきた思いに通じているのが分かる。映画を作る目的と、彼らの作ってきた音楽の意義とが合致しているからこそ、物語に説得力が生まれている。
前半部分で描かれる、音楽事業を始め成功していくまでの過程では、物語自体に強いビートとうねるようなグルーヴが走っており、ぐっと引き寄せられる。その合間合間に、黒人であるがための、そしてコンプトンという街で育った荒くれ者であるが故の差別と矛盾と社会問題という緊張感を斬り込んでいく。彼らがどんな環境で、どんな身分で、どんな生活を送らされていたか、その環境で生き抜くために彼らは何を思い何をするのか・・・。そういったものをまざまざと見せつける。そしてまたそれこそが、彼らの音楽と創作意欲の糧になっている様を克明に表す。ラップ音楽という文化の歴史を思えば、そもそも黒人たちの魂の叫びであり、怒りの声であった。映画は彼らの怒りと嘆きを見つめ、それが音楽に変わる様子を見逃さない。そして後半、その怒りの種類が成功によって変化し、亀裂を生んでいく様も見落とさなかった。
後半部分では、彼らの成功の代償が描かれていく。そこでも映画は、彼らの内から湧く怒りと心の声に対し適切にフォーカスを合わせ、ラップ音楽の根本と映画の主題を見誤らない。そこに、よくあるスターの成功と転落の伝記映画のような自己憐憫は一切見えない。後半、少々物語が辛気臭くなったのは惜しい気もするが、作品自体からも登場人物たちそれぞれからも、怒りや悔しさや悲しみを思い切り蹴り飛ばすほどの勢いとエネルギーとヴァイタリティが伝わるため、感傷などは跳ねつけて寄せ付けていないから頼もしい。そして、音楽を通じ、伝記映画を通じ、映画がきちんと黒人文化の偉大さと多民族国家の社会問題に向き合うその姿勢は、もはや崇高ですらあった。
全編に亘り、ほとばしるほどのエネルギーを感じる作品だ。そして切ないほどに愛を感じる。ボタンの掛け違えを解くことが出来ずに分裂してしまったグループだが、それでも思い出と音楽と仲間とに、今では深い愛情があるのだということが感じられる。映画のプロデューサーには、アイス・キューブとドクター・ドレーが名を連ねて、映画は「in loving memory of Eric 'Eazy-E' Wright」の言葉で締め括られる。怒り、悲しみ、喜び、愛、すべてがエネルギッシュで、感動的な映画だった。