「一寸先は分からない」永い言い訳 U-3153さんの映画レビュー(感想・評価)
一寸先は分からない
再生の話でも、懺悔の話でもなかった。
ましてや、愛の再確認とかの話でもない。
生きていくって話だった。
自分の時間は進むのだ、と。
後悔も幸福も、全てひっくるめて流れて、過ぎていくものだと。
奥さんの親友の遺族に触れ合うようになって、楽しい時間を満喫する主人公。
そこには妻への執着のカケラもない。
自分の母性とか性同一性障害でもあったのかと思う程活き活きしてた。
物語は、妻に対する何かではなくて、ほぼ、この家族との新しい時間が描かれていく。
その中で、時折差し込まれる台詞が刺さりはするが…主人公は楽しそうだ。
なぜ、監督はこういうテイストにしたのだろうかと考えてしまう。
永い言い訳とは、どういった意味なのだろうか?
永いって単語だけで、物理的な長さではなく時間的な長さを想像してしまう。
これから死んでいった妻に言い訳をするのだろうか?人生を通して。
誰に対してのものなのだろう?
ラストは妻の遺品を片付けるカットで終わる。
携帯の衝撃的な一文が真実かどうかの答えもなく、彼が何に寄り添うのかの兆しもない。
このラストから思うのは、やはり愛などという感情は妻に対しては芽生えておらず、親友家族への未練を感じてしまう。
なんていうか、それだって日常なのだ。
人の死なんてイベントは珍しい事ではない。
必ず訪れる。
最後、妻が愛用していたハサミを手に取る。
ようやく、ここにきて、亡くなった奥さんへの興味が沸いたようにも見れる。
今、この時から、彼はナレーションと時に語った「妻の死と共に生きていく」って調べだけだった言葉を実践していくのかもしれない。
というか…きっとここからが永い言い訳の本編なんだろう。
彼が、これから他者と関わる人生を選んでいき、その都度、妻の面影を感じる「ほら、だから言ったじゃない」そんな事への言い訳をずっとしながら今は亡き妻とともに歩んでいくのであろう。もしくはもっと重たい十字架なのか。
だから、「永い」って言葉であったり「言い訳」っていう他者を必要とする言葉だったりするんだな。
うん、勝手に納得。
物語には長い時間が設けてあり、親友家族と過ごしていた時、主人公はふくよかで、母親と見紛うばかりであった。
小説を出版する頃には痩せていて、浮足立つ事もなくなったようにもみえた。
本木さんの演技は、やっぱ好きだなあ。
黒木華や池松壮介も出てたけど、なんつうかステージが違うというか…同じ次元ではなかったようにさえ思う。