クリーピー 偽りの隣人のレビュー・感想・評価
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記号的
またしてもムナクソ邦画。
『クリーピー』な雰囲気を出したいのは分かるんだけど、描きたいシーンをただ描くためにキャラクターを記号的に動かしている感じで、都度都度の動機が分からず混乱する。
これは主人公以外のすべてのキャラクターに共通なので、「え!?そうなの?なんで?」てなったままほったらかされる事態の連続… 原作が悪いのかしら…
どうやって嫁を取り込んだのかも不明なままだし…
モヤモヤしたまま…
終始不穏
ずっと映像や音響など演出が不穏で不気味で緊張感のある作品でした
突っ込みどころと言えば香川照之があからさまに不信人物で、そんなやつにほいほい絡んでいく竹内結子もとうなのかな?と思いました
なんでいかにもあやしい隣人にシチューなんか持っていくの!?などなど
他にも東出さんや笹野さんや登場人物達の無用心な行動が多すぎるのが気になりました
突っ込みどころ多々ありりましたが面白かったです。
観賞する前はかなり単発レビューで荒らされてるのでどうなのかな?と思いましたが昔から黒沢映画は好みがハッキリ別れがちでしたし、観賞して賛否別れるのも改めて納得です
竹内結子は「産声」を上げる
まず、この作品には横縞、縦縞の「ボーダーライン」が至るところに出てくる。
アパートや路地の手すり、大学の壁、高倉の家の柱など。
さらには野上が廃屋を調べる際に、懐中電灯の光をカメラに向けるのだが、映らせてはいけないはずの光の反射とシャッタースピードの差異による波型のノイズという普通なら「ミス」となる物をあえて使ってまで「横縞」を作り出している。
これが偶然な訳が無い。
なぜ「ボーダーライン」なのか。
精神病のひとつに、この「ボーダーライン」と名のついた病名がある。
境界性パーソナリティ障害。
この障害を持つ者は、1人で居る事に耐え切れず、他者を求め、他者に自分を見つけようとし、そして「自分の力ではなく他者に頼る」傾向がある。
これはどう見ても西野の事を指している。
賭けてもいい。絶対に偶然な訳がない。
普通の映画なら、医者なり何なりを登場させ「西野さんはボーダーラインでしょう」などと言わせ、西野がああいった言動を繰り返す原因を、簡単に「言葉で説明」してしまうだろう。
だが、黒沢清がそんな事をするはずがない。
彼はあくまでも「画面」で語る。
「知識」という映画とは関係の無い物を「言葉」という目に見えない物で語ったりはしない。
映画の邪魔にならない程度のヒントは置いといたから、気になるなら後は勝手に調べろという話なのである。
シマシマ模様の話はここまでにして、結局西野は何がしたかったのかという話に行こう。
というよりも、監督が西野に、また、登場人物に「何をさせたかったのか」という話に近い。
西野は前述した病気である。
1人に耐えられない彼。
しかし、そんな障害を持つ者が、人とうまく交流出来るはずもない。
そんな彼が、どういう行動に出るか。
「家族」を作り出しているのである。
偽物の家族を形成し、他者の「家」で生活を共にする。
だが、そんな他人の人生を乗っ取る生活が、何の支障も無く続くはずが無い。
だからこそ彼は、新たな「家」を求め、転々としたのだ。
そんな彼が殺人を犯す。
すると、その被害者はまるで「胎児」のように体を丸め、羊水に浸かっているかのように、ビニールで密閉され、へその緒が付いているかのように見えるチューブを使って、圧縮される。
彼によって作られるのは死体ではなく、全く逆の「胎児」であり、生まれるのを待ちわびる新しい命である。
彼はそうやって、新しい「家族」を形成しているのだ。
なぜ最後、竹内結子に、観客の鼓膜を破らんほどに絶叫させ「赤ん坊のような号泣」をさせたのか。
ひたすら扇風機を使って「風」を求めていた彼女は、生まれ変わって救われたのか。
その反対なのか。
「死んだ者」が「胎児」に遡るならば「生き残った者」は「生まれたての赤ん坊」で止まる、という事なのか。
彼女の産声を聞きながら、不敵に笑う西野の顔で、映画は終わる。
ちなみに、隠れ家には病院のようなベッドがあり、彼は注射を使うため、西野はまるで医者のように見えるが、彼が使う注射の中身は何なのか、女の子が死体にかける液体は何なのか、一切の説明が無い。
そして何より、西野が結局誰なのかは全く解らない。
「起源」もなければ「動機」もない。
僕の考察など、ただの推測に過ぎない。
明確な答えは何ひとつ無く、無駄な事は説明しないのがたまらなく良い。
正直、考察はしてみたものの、死体を前述したように扱う西野は、どう考えても頭がおかしいとしか言いようがなく、僕の考察が監督の意図した物と合っているかは知らない。
だが、それも仕方ない。
西野というサイコパスの考える事など、ましてや黒沢清という天才の考えなど、僕には理解できないから。
いつものように、ことさらにビニールやカーテンを揺らし、草木は風に吹かれ、怪しげなスクリーンプロセスがあり、素晴らしい黒沢映画だった。
照明を長回し撮影の途中で変えるなど、高度な撮影も行なっており、6年前の事件現場における、ドローンを用いた「グイーン」と上昇する俯瞰撮影も凄い効果を発揮しているし、電車がやってくるタイミングも素晴らしい。
大学でのガラスを隔てた、重苦しい「手前の空気」と、和気あいあいとした「奥の空気」の差異が良い。
また、警察署内や、西野の家の隠し部屋に続く廊下の感じなど、いつもながら、廃屋感による不気味さが出ていて、とても良い。
余談だが、笹野高史の見事な床下への落ちっぷりには笑った。
とんねるずの番組だったら絶賛されているだろう。
まだ一回しか見ておらず、この監督の細部は多いため、見落としもいくらでもあるだろう。
そのため、こんなにいいかげんで、玉虫色の考察になってしまった。
もう一度見れば、また新しい発見があるはず。
それぐらい豊かな細部に彩られた傑作だった。
不気味さ十分伝わりました
元刑事の高倉夫妻が越してきた先の隣人西野にまつわる不気味な話。
予告で「あの人、お父さんじゃ無い!」って言ってたので内容は予想どおり。
サイコパスを香川照之が見事に怪演。
気持ち悪くもあり、親切でもあり…まったくわからない犯罪心理。
6年前の未解決一家失踪事件が気にかかり調べているうちに隣人水田家から5人の遺体を発見。
高倉は西野を疑いだす。西野の娘が言った「あの人、お父さんじゃ無い」だとしたらあれは誰だ?
高倉の妻、康子に必要以上に迫る西野。康子の心の闇に付け入りマインドコントロールや薬物で支配する。
それが西野のやり方だ。
西野家の娘、澪は両親の死体処理を自ら行い西野にすっかり支配されていた。
康子もまた西野のいうがままである。
高倉までもが西野に洗脳されファミリーの一員として新しい場所で暮らすのか?と不安になっていたがチャンス到来‼︎ バーン・バーン・バーン…
いとも呆気なく西野は死んだ。
澪は犬と一緒に走り去り。高倉夫妻は抱き合い康子が大声でワーワー泣く。
ここでエンドロール…
えーっ…ここでおしまいですか?
それなら勝手に結末を妄想します。
①警察に捕まるが正当防衛などにより無罪
②今度は高倉夫妻が澪と犬を連れ偽りの隣人となる
③実は西野は死んでいなく、全部高倉がやったと証言する
キリストは「汝の隣人を愛せよ」と言っているが怖い世の中になりましたね。
黒沢清節が全開!
クリーピーという何と直接的なタイトルだろうかと少し不安だったが、
黒沢清節が全開だった為、監督のファンの僕は楽しめた。
前半は特に黒沢清らしい表現が続く。
独特な照明使い。
例えば失踪事件で残された娘が大学で事件を語るシーンはワンカット長回しだが、照明がゆーっくり暗くなっていく。娘の語りが終わると照明が前の明るさに戻る。
他にも、高倉夫妻宅での食事シーンで、高倉と西野が隣の部屋に移動しコソコソ話すシーンは極端に暗い上に、西野の背後の壁には緑の光が反射していて不気味だ。
劇中の部屋内には緑の照明なんて無い。そこらへんの辻褄や、物理的ロジックは、映画表現の為に無視するのが黒沢清映画の特徴なので、そこに付いていけない人は黒沢清映画を楽しめないかもしれない。
その様な照明の強弱や、異様な光色を使うのは、不吉さを表現する黒沢清ならではの手法なのだ。
他にも、東出くん扮する若い刑事が空き家に侵入するシーンでは、懐中電灯の光のフリッカーが出てしまっている。これはカメラのシャッタースピードをその光に合わせ無いが故に出てしまう、いわば光の波の様なもので、映像制作の世界ではタブーだ。しかしこれも不吉さを表現する為にわざと利用している。
風表現。
黒沢清映画には「風」も表現方法としてよく用いられる。
風になびく草木の影が壁に反射したり、外から入る風でカーテンが揺れたり…
今回は特に草木が揺れる。風の音を効果音として明らかに足している。聴覚的にも不穏さを表現している。
そして車窓のスクリーンプロセス。
これはもはや黒沢清のトレードマーク!
今時グリーンバックを使わずにスクリーンプロセスを使うなんてと思うが、監督は過去作でもスクリーンプロセスを使っていて、その意図は、異様な雰囲気を出す為と答えている。
何度見ても笑ってしまうが。笑
特筆すべきはあの死体処理方法!
死体を真空パックにするなんて今まで観た事がなくて新鮮だった!
文字通り「真空パックで新鮮だった!」笑
これは原作にはなく、監督のオリジナルアイディアとの事。
話のプロットは正直「冷たい熱帯魚」にそっくりだ。
近所のおじさんが連続殺人犯で、
まずは主人公の嫁が取り込まれる。
冷たい熱帯魚にそっくり。
ラストで死んだ父に暴言を吐く娘、ってのも冷たい熱帯魚にそっくり。
死体処理方法をじっくり描くのもそっくり。
黒沢清の過去作にもそっくりだと思った。
他者を洗脳して、人を殺させるという設定は「cure」の殺人犯と全く同じ。
西野宅のビニールカーテンも「cure」に出てくる。
西野の死体の周りを枯葉が舞う所を俯瞰で見せるラストは、「贖罪」の第2話のラストと全く一緒。
西野がテレビでクラゲを見ているが、「アカルイミライ」ではクラゲが重要な役割を担う。監督はどうやらクラゲが好きらしい。
黒沢清監督の初期作品ほど過激な描写や恐ろしい表現はないが、黒沢清ファンなら楽しめる作品だと思う。
どうやって
西野さんになったのか?という部分、人に入り込む術のようなものの描写が足りない気がしましたが、サイコパスとしては充分で、楽しめました。小気味よい恐怖感が、まさに、クリーピーでした。
さすがでした!
ゾクゾクする展開にヒヤヒヤするストーリー、待ってましたの香川照之のクドくてネチっこくて嫌らしい熱演!
何が本当で何が偽りなのか全てを疑いながらも最後は納得出来る展開。
やっぱり香川照之と西島秀俊の作品には外れが無いですね♪
まさにクリーピーだが…
その名に偽りなしというクリーピーな映画だった。が、原作ありの割に話の作りが荒いなという印象。一応ハッピーエンドの部類に入るんだろうがカタルシスを得ない終わり方も個人的には残念。雰囲気は好きな感じだったが評価は「もう少し頑張りましょう」
どこにでもある、わけじゃないけど
おそらくモチーフは、北九州や尼崎の事件なんでしょうね。
どこにでもある、わけじゃないけど全くないわけでもないのが怖い。
小さな不信が家族に亀裂を生み、相手に話せない小さな秘密を作り、さらに孤立させ、小さな出来事を針小棒大に騒ぎ立てて負い目を感じさせ、最終的に完全に支配下に置く・・・。そのプロセスの全てが描かれてるわけじゃないけど、それがあったであろうことは暗示されている。
月並みですが、家族がしっかり話し合うことの大切さを感じました。
自分が実際にこういう場面に遭遇した時に、果たして逃げ切れるのだろうか?
あともうちょっと!
役者さんたちの演出は人間味がない役でした!!役者さんたちも香川さんのように心がないような役でした!上手すぎです。
ストーリー的には突っ込みたいところ多いのですが。特に川口春菜さん。なんなのか分からず終わった。
グロさはなかった!強いて言うなら死体を袋詰めにしてるだけかな!
後は銃で三回撃つだけ!ビックリするシーンは三回くらいしかなかった!
(-_-)役者に落ち度なし
役者に落ち度なし!
香川、西島、竹内 演技善戦!
脚本 ストーリーは二番煎じでしょ。
『黒い家』『冷たい熱帯魚』『羊たちの沈黙』
足して3で割って0.5がけした感じ。真似だな!
何でこんな映画にこの3人がでたのかよくわからんな?
ご近所物語
香川照之さんの怪演もキモチワルイですが、あの女の子のほうがもっと不気味。。。あの子、あれで普通に学校通ってるなんて本当に怖い。
ちょっと消化不良なとこもなくはないけど、予想通りの不快感いっぱいで面白かったと思う。解放されたラストなのに明るさを感じさせないのはもう仕方ないんでしょう。普通の生活に戻れない。でもちょっと前まで普通だったはずなのに、気付いたら普通じゃないほうが当たり前になってるから。。。安堵からくるというより、普通に戻れない恐怖がラストの叫びだったのかな。
ちなみに。不透明なカーテンや椅子、スタンドライト。『CURE 』でも使われてた演出が観られて懐かしさを感じる。
絶対にお勧めできない☆5
一言ことで言うなら、凄い、娯楽としての面白さを全て捨て去って、ただひたすらに異常な世界を描いているからだ。
サイコパスが主題となっている本作、全編が異様な雰囲気に包まれており、爽快感や興奮とは程遠いものとなっている。
結末を迎えてもそれは変わらず、見終わった後もすっきりすることは無い。だが、主題がサイコパスという、絶対に理解できないものを扱っているのだから、本作は観客が理解できなくて成功なのだろう。
映画における、芸術の側面を強く見出せる本作、普段映画を見ない人に勧めることできないが、映画が好きでよく見に行くという人には、お勧めできる。
サイコパスを天才香川照之が怪演
引っ越してきたら、サイコパス、異常犯罪者が隣人であったという設定のスリラーである。香川照之演ずる正体不明の男がとにかく怖い。犬をうまくからめたあたりもうまい。大学の犯罪心理学者という設定もきいている。
未解決になっている六年前に起きた一家失踪事件があり、その詳細が少しずつ明らかになってゆく。と、同時に元刑事の主人公高倉の妻の様子に異変が起き始める。映画全体からすると、会話などでかなりの部分を観客の想像力で補うような構造になっている。どぎつい描写は比較的少ないが、地上波テレビでは放送できない作品だ。
まず、六年前の事件については、修学旅行で不在だったためひとり残された長女のたどたどしい記憶によって口述される。この場面は事件そのものの説明ではないものの、むしろそれがゆえにリアルだ。窓越しの若々しい大学生たちを背景に語られるその内容は、あくまでも事件前夜の家族たちの断片的な記憶。修学旅行前日以前の相手不明の電話だったり、窓越しの誰かわからない男の姿だったりとあやふやだ。しかしこのシーンの演出は完璧だと思う。
高倉のかつての同僚刑事が事件の再捜査を始めたあたりから夫婦二人の高倉家の恐怖は現実化する。謎の爆発から始まり隣に住む西野ではない男の正体が明らかに。中学生の娘の尋常ではない試練。全く姿を見せない西野の妻の最後。隣家にある地獄。同僚刑事たちと妻と高倉と犬のマックスが巻き込まれてゆく。かなりきつかった。
デビッド・フィンチャーの「セブン」のように絶望的ではないラストではなかったことがせめてもの救いだ。しかし後味はよくない。住宅街の一軒家にあのような広い地下室は、もちろんあまりリアルではないが、まったく有り得ない話ではない。
忍び寄る
無防備に開け放たれた窓辺で
カーテンをそよがせるすきま風
這い寄るというよりは
そんなふうに忍び寄る現実感の欠乏。
現実そのものとの乖離とでもいうのでしょうか
刑事さんたちの無力さがハンパないですw
冒頭の密閉された取調室の窓が思い出されます。
役者さんたちもとてもよかったです。
香川さんは凄い
けれど、何にしろ後味が悪い映画でしたね。
エンドロールの後に何か救われるエピソードが欲しかったですね。
何故あんな完璧な防音室があるのか、高校生の娘(?)は何故逃げないのか?他にも突っ込みたいところいっぱいでした。全体に流れるサスペンス的要素は悪くないので、せめてエンディングにひと工夫欲しかったですね。
深淵、覗き込むべからず 【スコア修正】
あの、今回レビューの文章に食事中の方には不向きな
表現があるのでちょっとご注意ください。というか、
全体的に不快な内容の多いレビューになってます。
すみません。
いやあ、怖い、怖い、恐ろしい、恐ろしい映画でしたね(淀川さんか)。
本作の宣伝で竹内結子が語っていた感想以上にピタリ
と来る言葉が浮かばないので引用させてもらうと、
「何かとんでもなく悪い夢を見た」という厭(いや)な後味。
一晩経った今も、心に残った“ぬめり”が取れない。
トイレ掃除をしていたら、普段洗わない所に
びっしり張った黒黴を見つけてしまったような、
ぼんやりしてる間に内側を侵食されたような、そんな感覚。
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本作の予告を観た時、僕は同監督の傑作スリラー
『CURE』の再来を期待していたのだが、本作からは
『CURE』とは似て非なる恐怖と狂気を感じた。
『CURE』は殺人衝動を励起させる男が登場するが、
本作に登場する“西野”はタイプが違う。
彼は人から意思を、自我を奪う。
“西野”の言動は滅茶苦茶だ。
1粒1000円のチョコレートですかと問うあの無神経さや、
初対面の隣人にずけずけと文句と脅しを垂れる傲慢さ、
そのくせ席を譲ったり料理を誉めたりとフレンドリーな面もある。
行動規範がさっぱり分からないし、どこまでが
計算でどこまでが本音だったのかも分からない。
最後も高倉に銃を渡して自滅というあまりにも間抜けな最後。
(「ぇえっ?」じゃねえよ(笑))
他人が自分の為に働くことは、彼にとっては
呼吸と同じくらいに自然なことだったんだろう。
本多家の娘が助かったのも、西野家の娘を生かしていたのも、
たぶん自分で死体処理するのが面倒だったからに違いない。
悪い事や汚い事は全部他人の責任。
自分を養う事すらも他人の責任。
そんな滅茶苦茶な論理なのに、
なぜか人がそれに従ってしまうのは、きっと自責の念から。
“西野”は相手にほんの小さな負い目の念を抱かせたら、
そのわずかな傷口をまるで蠕虫(ぜんちゅう)のように
少しずつ少しずつ拡げて皮膚の下へと潜り込んで(creep)いく。
「自分はよくない人間だ、責められて当然の人間だ」
と、そう思わせるまでに相手の心を食い潰す。
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こんな非人間的な人間がいる訳がない。
こんな犯行が世間の目に触れない訳がない。
この物語は所詮フィクションだ、と笑えればまだマシだが……
2012年に発覚した、尼崎事件を思い出してしまった。
主犯の女が、見ず知らずの家族を集めて疑似家族を構成し、
財産を奪うのみならず、親戚同士での暴力を強要、
死亡者・行方不明者数は10名以上という異常な事件。
最初の不審死発生は1987年にまで遡るという。
詳細を覚えていなかったのでレビューを書く前に
調べたのだが、聞けば聞くほど本作とよく似ているし
胸糞が悪い。正直、知らなければよかったとさえ思う。
何が目的なのか? 何が発端なのか?
何が心因なのか? 何故そんなことが出来るのか?
何で? 何でだ? こいつは本当に同じ生き物か?
いくら問い掛けても納得のいく回答は出ないだろう。
そう、この映画で最も恐ろしいのはここだ。
他者を完全に理解することなどできない。
人には、他者が決して理解できない暗部がある。
興味本位でそれを覗こうなどと、ゆめゆめ思わない方が良い。
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それとも、自分のことすら理解しきれないのに、
他者のことを理解しきれる訳も無いのだろうか。
高倉の妻は、自分にあんな暗い側面があること
に気付いてさえいなかっただろう。
彼女が崩れていく過程は飛び飛びにしか描写されないが、
想像力でなんとなく補間はできるし、その曖昧さが
かえって事件の得体の知れなさを強めていると感じる。
彼女はきっともう元の彼女に戻ることは出来ないだろう。
何もかもが壊れてしまったような最後の絶叫が、
未だに頭を離れてくれない。
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隣家同士の狭い付き合いではなく、地域ぐるみの
コミュニケーションが濃密だった時代なら、こんな
異常事態にもすぐに気付くことができたのだろうか。
昔から同じような事件はあっただろうし単純に
そう言い切ることもできないが、この物語においては
地域間・夫婦間のコミュニケーション不足が
事件の発覚を遅らせたのは確か。
だからと言って全くご近所付き合いをしない訳にも行かないし、そもそもご近所さんが
異常者だなんて誰も予測できないし、
人同士の距離感というのはまこと測り難いもの。
この映画の恐怖の根源は、コミュニケーション
そのものについての恐れなのかもしれない。
鑑賞直後は4.0判定くらいに感じていたのだが……
レビューを書くため思い出す度、この映画が恐ろしく
思えてくる……普通は印象が薄れていくものなのに。
鑑賞中は明白に感じられた恐怖が、ぼんやりとした
恐怖に変化するにつれ、溶け出したアイスがこちらの
手を汚すかのように、ぬるりと身内に浸透してくる。
ああ、観なきゃ良かったのか観て良かったのか……。
※初め5.0判定を付けたが、他の作品がそれを超えてきたので
申し訳無いけれど4.5判定に引き下げさせていただきます。
<2016.06.18鑑賞>
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余談1:
不可解な事件への興味と興奮を抑え切れない高倉に
ついても書きたかったが長くなるので割愛。
余談2:
人間不信になりそうな本作を観ていたら……
無性に犬か猫が飼いたくなってしまった。
この映画で安心して見てられたのは
君だけだったよマックスくん……
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