さようなら(2015)のレビュー・感想・評価
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多少の忍耐を要します
ちょうど正岡子規の「死後」という文章を読んでいて、言い知れぬ苦痛に襲われていたのだが、この映画を見終わって何か二度同じダメージを受けたような感じを受けてしまった。
死に向かう主人公がまさに子規であり、子規が半ば望んだ死の姿というのがミイラであり、ターニャも半ばそのように変わり果てていくー、どんな形で死というのを見せてくれたとしても、なぜか無駄なようにしか思えのが正直なところ。
死というものをジャミノイドFと同じ目線でスクリーンの前の我々が見ている。我々の気持ちは恐らくアンドロイドの彼女と同じであり、何の感情も湧き上がってこない。それが良いのか悪いのか分からない。多分意味なんて無い。ただその映像を美しいとか、酷いなとか、長いなとか、そう思う程度で、死そのものなんてどうでもいい。
アンドロイドを扱い、壊れゆく世界を扱ってはいるけれども、未来的とか革新的映像をとかそういったものとは無縁の映画。もう敢えて挙げてしまうが「サクリファイス」である。あの映画を見るのと同等の忍耐が必要なのである。
監督はかなり映像美にこだわったという発言をしていたが、個人的にはまだまだ不満が残るものであった。確かに、光の具合やロケーションには感心するものがあった。しかし、個人的に、構図と色彩にややこだわりの無さを感じてしまう。確かに、現代において写実的な油絵を発表するような難しさなのかもしれないけれども、それいゆえに尚更、絵的な部分にこだわりを持って欲しかったと思ってしまう。
ただ、フォルクスワーゲンの登場には舌を巻いた。社会的な問題をトコトン詰め込んだ映画にあって、まるで未来をも予測したようなVWの登場だっただけに、これはまさに社会派映画なのでは!?と勘違いしそうになるくらいだった。先見の妙なのか偶然なのか...まぁねぇー。
最後にひとつ、疑問に思ったことがある。死んだ人に、鳥肌が立つものなのかどうか、それだけが気になってしまった。どうでもいいことなんだろうけど。
ジェミノイドFが超好演
レオナ(ジェミノイドF)が感情あるように段々見えてくるね。舞台と違って、映画だと衣装変えられるし、色んなシチュエーションで撮れるから、本当に生きてるみたいに見えてくる。
「レオナ(ジェミノイドF)がいなくなったら、ターニャはどうなってしまうのか」って思うんだけど、冷静に考えるとレオナはアンドロイドなんだよ。それが拠り所にあるって不思議な感じ。
映画の主題は、アンドロイドとは特に関係ないところにある気がしたなあ。前半は、原発や人種差別の話で、後半はメメント・モリなのかな。
後半は象徴的なシーンが続いて眠くなんのね。そこを耐え切って観たら何か解るのかもと思ったけど、今日は眠くて集中しきれなかったな。体調万全にしてもう一度観ようと思うわ。
青年団の俳優さんも何人か出てくるから、青年団好きのひとは「あ、◯◯さんが」と思いながら観たら楽しいと思うよ。
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