ハッピーアワーのレビュー・感想・評価
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胃の腑の声を聞く
「ハッピーアワー」
この題名?反意語?
30代は、森羅万象が押し寄せる未曾有の時間?
☆☆☆平凡な日常を送る4人の30代の女性が、非日常の事件に出会う。
そんな映画です。
濱口竜介監督のこの作品は、日常を描いていて「非日常」へ
連れて行かれます。
①ワークショップ
②朗読会
この2つのシーンが日常から非日常へと誘う鍵になります。
人は何故に講演会とか美術展、コンサート、展示会・・・
へ向かうのかが分かった気がする。
《非日常な空間に身を置く》
そのために人は、わざわざ出かける。
①ワークショップ
鳥飼の開催したワークショップは風変わりなものだった。
額と額を合わせて、相手の考えてたことを当てる。
鳥飼は最初にパイプ椅子を斜めに立てて見せます。
《ここで一気に非日常に時間は変わる》
2人1組になり、相手のお腹に耳をあてる。
音が聞こえる。
臓物の動く音。
胃が食物を消化する音。
これが聴診器を当てたように聞こえるらしい。
一気に他者が身近な人に変わる。
《魔法にかけられたのです》
そうして純は告白する。
1、離婚裁判をしていること。
2、理由は純の浮気
夫は別れたがらず、裁判は泥沼化してると告白する。
あかり(看護師)
桜子(主婦)
芙美(編集者。夫も編集者)
純(離婚訴訟中の女性)
あかり、桜子、芙美の3人は純の心配に心を砕くことになる。
★事件その①
純は妊娠している。
それも大嫌いは離婚を望んでいる夫の子供。
純は親友たち4人で出掛けた有馬温泉の一泊旅行のその足で、
失踪する。
★事件その②
桜子の中3の息子が幼馴染の女子を妊娠させる。
★事件その③
あかりが有能でない後輩看護師に腹を立てて、
階段を落下して骨折する。
☆☆☆朗読会(芙美の夫が担当する若い女性作家の)でも、芙美が混乱する。
★事件その④
芙美の夫が女性作家に恋をしているのを確信した芙美。
離婚を切り出して、別れを告げる。
★事件(おまけ)
芙美の夫が、トラックと激突して、あかりの病院に救急搬送される。
手術を受ける。
芙美が駆けつける。
「ざまあみろって言ってやる」
ここで映画は終わるのです。
結構な波瀾万丈の展開。
オープニングのピクニック。
4人の親友の女子会のはずが、とんでもない告白大会。
4人みんな本音で話します。
あかり「嘘があったら私は友達でいられない」
この言葉のように、日常の殻を破って行く女たち。
5時間超えの長編映画。
インターミッションの3分間が2度入ります。
中弛みなし。
主役の4人は素人俳優だとか。
結構な重み。
面白かったです。
見応えがありました。
wowowで録画し、2回視聴しました。
5時間超の作品でしたが、非常に見応えがありました。主人公4人の日常が丁寧に描かれ、4人それぞれの決断も見れて良かったです。
何気ないシーンがたくさん伏線になっており、全てが繋がっている映画です。意味のないシーンは一つも無かったように思えます。
序盤のワークショップでの「腑を聞く」は、後々の女性4人やそれぞれの夫婦の関係性に当てはまり、腑を聞くことの重要性が浮き彫りになりました。ワークショップ後の自動販売機の伏線も見事に回収されてましたね。
また印象に残った点は、あかりは「友達なら全部話して欲しい」に対して、芙美は「友達でも(聞かれなければ)全部話さない」という点は2人それぞれに共感しましたね。
残念な点は、ところどころセリフが聞き取り難かったです。終盤に電車で男性が桜子に何と声をかけたかが、いくらボリューム上げても聞き取れませんでした。
また、終盤に展開を詰め込みすぎた感があるので、もう少し尺が長くても良かったかなと思います。
理解あっていいねっていう台詞の空虚さよ
冒頭のシーンで「配偶者が理解あっていいね」と4人の女性が言い合う。この理解ってなんだっていうのはこの作品のテーマなのかなと思う。
人が他者を理解するというのはなんて難しいことなんだろう。家族だろうと夫婦だろうと友人だろうと、なかなかうまくいかない。他者は謎に満ちている。
コミュニケーション不全だったり、そもそも伝えることを諦めていたり恐れていたり、発した言葉が感情とズレを生じていたり、自分の価値観と違うものを受け入れられなかったり、代弁は無意味だしなどいろんな要因で、人は理解しあえないということが作品を通じて伝わってくる。
世界は人によっては美しかったり残酷だったりする中で、じゃどうすれば?どうやって理解しあえば?
一つ提示されるのは身体的コミュニケーション。接触する、抱きしめる、セックスする。でもそれはちょっと癒やされるだけで、解決にはなりえない。
では?
「では?」の後を語らないのは、底の浅さを見透かされたくないからだっていう自嘲も挟まれるけど、確かにこれはもう、どうしようもない話。
だから、ドライブ・マイ・カーと同じく、こんなわけのわからない世界でわけのわからない他者とつきあって苦しんだり喜んだりしていくのだから、わたしたちには「ハッピーアワー」が必要だよね、ってそう思う。
ドキュメンタリーのようにリアルな感じで淡々とした4人の日常が描かれる。特にたいして大きな出来事もないままなのに、その中で起きるあれこれや発せられる言葉は、なかなかいい具合に刺激的でいろいろ考えさせられた。新しい映画の楽しみ方を感じた。
ただ個人的にどうしても気になったのは共同脚本にしてなぜこれかなと思う点。
「○○には女性を殴る甲斐性はない」と女性が男を評するシーン、この言い方必要かな。その女性の浅さを示そうとしてるにしても、なくていいかなと思う。この台詞が気にならないことが残念。
大河ドラマのようでした。要所で大笑いしました。
早寝早起きの自分が、何年かぶりに夜更かししてしまいました。ときどき、顔が暗くて見えないまま話しつづけるショットがあり、それが妙にミステリアスで最初に引き込まれました。これはもう数回みて考察してみようと思います。心理学でいう「ペルソナ」のことかな?そりゃ考えすぎかな。
主人公4人でもあり、1人1時間は必要であるとして、決して飽きずに、大河ドラマ5-6話分を一気に見終わった気分でした。4人とも女性だが、若くして成熟しているともいえるし、しかし実はまだまだ若く、成長の余白と希望がある。その一方、さくら子の義母は生き抜いた老人の知恵がある。彼女は常に論理を超えた存在にも見えた。そんな対比でみていました。また主人公らは決して回避せずにもがいており、逞しく、その振る舞いはむしろ羨ましいと映った。その点、男どもは何とも脆弱で、女性の手のひらの上で泳がされているだけかいな、と何度も大笑いしました。
夕暮れと朝焼けの物語
私の家族は映画を観ながらよく寝る。8割は寝る。(最近では『シビル・ウォー』で寝てて、すごく面白いのに睡眠障害ではないかと心配になった。)
本作上映時間、5時間27分。
プロの俳優さんではない方々が主演。
冒頭、公園のシーンがあまりにも棒読みで心配になる。これで5時間持つの?と。
朗読会のシーンなど眠気さそってんのか?と思わせる場面も延々と続く。
確実に寝るだろうなと思いながら家族と一緒に観た。が、一睡もしなかった。映画に釘付けだった。凄い映画だった。
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「ハッピーアワー」。
居酒屋などで「ハッピーアワー」と称してビール半額などのサービスをやってたりする。たいていは開店まもない夕暮れ、17〜19時くらいだろうか。
本作は、30代後半、人生の夕暮れにさしかかった女性たちの物語。
夕暮れ…昼とも夜ともつかない。変わり目であり分岐点の時間帯にさしかかった人たちの物語。
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親友で何でも分かり合っていると思っていた、あかり、桜子、芙美、純の4人。だが、互いに知らない素顔が少しずつ見えてくる。
最初は、アマチュアの方々の、こなれてない硬い演技が気になってしょうがなかった。だが所々、彼女らの真情が垣間見えるような、生々しい表情が映し出され、そのギャップにドキっとさせられる。彼女らの硬い皮を剥いで素顔を掘り出すような臨場感がある。登場人物たちが役の設定上被っている「硬い皮」であり、演者本人の皮でもある。「素顔を晒した」とこちらが感じても、それが本当の「素顔」かは判らない、判ったつもりは許さないスリリングさがある。
桜子、純が連れ立って街中を歩くシーンがあって、その姿があまりにも街並になじんでいて(有名は俳優さんだとどこかしらオーラがあって群衆の中で目立ってしまう)、ああリアルだなあと思う。観続けるうちに,私の知人もこういう表情するなあとか、前にどこかで会ったことあるような人たちだなあという親近感・既視感も湧いてくる。そういう意味でもリアルである。リアルな存在感が増していくのだが、その一方、麻雀のシーン(「はじめまして純です」)やクラブのシーン(担ぎ上げられるあかり)など、普段の生活ではこんなことしないだろうというシーンもあって、彼女らがリアルな人物ではなく、映画というフィクションの世界の住人であるという当たり前のことに気付かされたりもする。どこにでも居そうで、どこにも居ない人たち。
彼女たちを捉えるアングルは、突発的なハプニング的なものではなく周到に考え抜かれたものであり、構図も極めて映画的な企みに満ちている。リアルさとフィクショナルな映画的企みが混然一体となって迫ってくる。
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終盤、芙美が朝焼けをバックに歩くシーンが印象的だった。
人生の分岐点にさしかかった彼女たちは「選択」する。
分岐点で惑って立ち止まっていた彼女らの時間が再び動き出したような気がした。ああ、これは人生の夕暮れの物語ではなく、何かが動きだし始まる物語だったのだと思った。朝焼けの物語だったのだと。彼女らの選択が「良かったのか・悪かったのか」が重要なのではなく(この映画は「判ったつもり」で断を下さない謙虚さに満ちている)、始まる事が重要だったのだと。
女性たちが毅然と歩き始めるなか、対する夫たちは分岐点で立ち止まったままだ。その対比もまた、残酷さと隣り合わせの映画的な面白さに満ちている。
観る価値なし
俳優さんの演技は素人にしては見応えあり。特に女性陣はプロには出せない素人ならではの良さが引き立ち、映画の内容に合っていた。その分が星ひとつ。
映画そのものは駄作、5時間と3900円かけて観たのに残念、腹が立って仕方がなくて一晩眠れなかった。
普通の人の日常生活を単にトレースしただけの内容にエンターテイメントとしての映画の価値は見出せない。登場人物は自分の枠組みと思い込みの中だけで生活して、出来事は色々と起こるがそこに発見も気づきも変化もなく話が進んでいく。30代後半の女性仲良し4人組(独身、既婚子供あり、既婚子供なし、既婚離婚訴訟中)が織りなす学園ドラマ版のような映画。現実の方がもっと厳しく、あたたかく、複雑ですよ。人物の描き方にも深みがない。
観る側の立場に全く立たず作られた作品。浅い。
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