ハッピーアワー : 映画評論・批評
2015年12月8日更新
2015年12月12日よりシアター・イメージフォーラムほかにてロードショー
既成の映画の枠を取り払い、別次元の生々しさを獲得した大長編
普通の商業映画は2時間前後に収めることが半ば強制的に義務づけられており、あらゆる場面をそつなく描き、物語をテンポよく語ることがよしとされる。こうした既成の枠組みや思い込みをすべて無視し、型破りであることが許されるインディーズの強みを全面的に展開させた5時間17分の大長編、それが神戸の即興演技ワークショップから生まれた「ハッピーアワー」である。
主人公はアラフォーの域に達しつつある30代の女性4人組。バツイチだったり、中学生の息子がいたりとそれぞれ抱える事情は異なるものの、彼女たちは何もかも打ち明け合える親友同士の絆で結ばれている。しかし誰にでも秘密がある。とある飲み会の場でひとりが衝撃的な告白をしたことをきっかけに、4人の穏やかな日常がぐらりと揺らぎ出す。
図らずもこの出来事は職場やプライベートでその場で空気を読んだり、面倒を起こさないよう嫌なことを我慢したりするのが当たり前になっていた4人の閉塞した現実をあぶり出していく。日頃の忍耐が限界に達し、張りつめていた何かが切れ、内からせり上がってくる得体の知れない不安や痛み。有名スターどころかプロの俳優すら不在で、ベストセラーの原作や派手な視覚効果とも一切無縁のこの映画は、“私の人生、何かが間違っている”“そもそも私とは誰なのか”といった根源的な疑問にぶち当たってしまったヒロインたちが、友情と孤独の狭間で宙ぶらりんとなり、もがき、傷つき、慈しみ合う姿を、フラットな眼差しで見つめ続ける。
異例の時間的な長さがダイレクトに反映された会話シーンは、赤裸々な口論や奇妙な堂々巡りの押し問答をはらみ、困惑や戦慄を呼び起こす瞬間が満載されている。いちいち特筆したくなるすばらしい場面はいくつもあるが、とりわけ物語の大きな転換点となる有馬温泉のシークエンスと、主人公のひとりが失踪を遂げるフェリー出港のシーンは鳥肌もの。通常の劇映画では体験しえない別次元の生々しさを獲得し、人間の愛おしさと不可解さを観る者の胸に染み渡らせてくるこの映画は、もしや新しい概念の“長編映画”を発明したのではないかとさえ思えてくる。
(高橋諭治)