「解決篇があるミステリー映画じゃないからね」女が眠る時 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
解決篇があるミステリー映画じゃないからね
『スモーク』のウェイン・ワン監督が日本人スタッフ&キャストで撮った『女が眠る時』、映画は、妄想に駆られた男の狂気が暴走する・・・みたいな売りの、どちらかというとミニシアター向きな映画という雰囲気が漂っている。
伊豆のリゾートホテル、時期は夏。
処女作が有名文藝賞を受賞してヒットもした清水健二(西島秀俊)は、妻の綾(小山田サユリ)と1週間ほどホテルに滞在中。
健二は2作目までは執筆したものの、ここ長期にわたって執筆できずにいた。
ホテルのプールサイドで、歳の離れたカップル(ビートたけし、忽那汐里)に気を奪われた健二は、ふたりを注視するようになっていく・・・というハナシ。
妄念に憑りつかれた男が自滅するハナシかと期待したが、結果的には、ひとを喰ったような小噺みたいなところに落ち着く。
まぁ、それはそれで悪くない。
歳の離れたカップルのハナシも、男が「無垢な若い女性(劇中での台詞)」の寝姿をカメラで撮り続けていること以外は、さして異様でも異常でもない。
となれば、この映画、どこが面白いのか。
たいした秘密でなくても、観る側(健二)からすれば、妄想・妄念は膨らんでいく。
そういうところを、「想像=創造」として語るところが面白い。
ウェイン・ワンの語り口は、フィックスの落ち着いた画面から、手持ちの不安定な画面へと移行して、その妄想・妄念が膨らんでいくところを表している。
また、健二の妄想・妄念が爆発して、パソコンに向かうシーンでは、ズームを用いていて、かなり判り易い表現法といえる。
ミステリー映画のような売りなので、なんらかの解決篇があることを期待すると肩透かしを喰うこと請け合い。
いまの時点で、こういう映画をつくろうという意欲を買って、この点数としておきます。
なお、歳の離れたカップルの経緯は、以下のように解釈します。
男(ビートたけし)は、娘の両親と親友で、共同経営者か何か。
男の裏切りで娘の両親は自殺(もしくは失踪)。
男は、娘を引き取り、愛情をもって育て、贖罪もあり、自分の許から離さない。
娘には、彼がいて、男の許を去ろうとしている・・・
まぁ、それぐらいのどこにでもあるハナシで、これが、どこにでもあるようなハナシでないと、この映画の魅力は半減しちゃうと思うんですが。