ぼくとアールと彼女のさよならのレビュー・感想・評価
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特別な映画、特別な人
これマジでとにかく・・・・・・、
自分の日本語力の拙さに苦しむ。
映画という文化に触れる機会のある人たち、
特に映画ファンを自認する総ての若い方々に
“試しに”でいいので、“触れて”もらいたい作品。
この映画を知らない人がまだいっぱいいるなんて
本当に信じられない。探せばいっぱいあるのなら
まだまだ幸せは僕らを待っていてくれてるって事になる。
と、明るい気分にもなれるかも知れない。
グレッグとレイチェルが一回だけ
本音で泣いて喧嘩するところがある。
レイチェルは(結果的に、かな)
グレッグが世界で生き延びるきっかけになった。
と、思う。
自分と世界の関係を修復出来ない人達が
戸惑う映画は意外と多くある。と思う。
意外と、そうじゃない映画の方が少ないのかも。
だけどグレッグは戸惑わない(と、自分では決めている)。
そのお陰で、世界と交わらなければならなくなる度に
毎度毎度自己評価は落ち込む一方だったりもする。
文字にすると感じにくいが、
脚本はもちろん、
画面がトニカクモノスゴイ。
音楽も最高。
映画ってソコでミラクルが起きる。
ここまで完成された映画を観られるからこそ、
世界と向き合って生きていける。と、そう思える。
キャスト・スタッフ全員を歴史に留めて欲しい。
何回観ても色褪せない、とはこの事か。
彼女に捧ぐ
ごく平凡な少年と白血病を患う少女。
日本だったら“難病の中心で、悲恋をさけぶ”となるが、ハリウッドだとコメディタッチ。
でもちゃんと、青春の瑞々しさ、爽やかさ、切なさやじんわり染み入る感動も織り交ぜ、巧みな作り。
映画オタクの高校生グレッグ。
母親から近所に住む同級生のレイチェルが白血病である事を聞かされ、彼女の話し相手になるよう命じられるのだが…。
初っぱなからトチるグレッグ。母親から言われ、仕方なく…と口が滑ってしまう。
レイチェルもうんざり。面倒臭そう。
一応形だけでも相手する事に。
愛想尽かされ、これ一回きりと思いきや、また呼ばれる。レイチェルの母親からも気に入られて。
別に何をする訳でもなく、他愛ない話を。
次第に友情を育んでいく。
二人の関係が恋愛ではなく友情なのがいい。
勿論淡い想いは徐々にあったかもしれないが、くっつきそうでくっつかないその距離感が初々しい。
それに、レイチェルは死なない。グレッグがそう語っている。
なら、安心して見れる…?
グレッグは趣味で自主映画を製作している。
世界中の名作映画を内容もタイトルもパロディー化したもの。そのタイトルセンスが結構ウケる。
一人でではなく、親友…いや“仕事仲間”のアールと。
アールも一緒にレイチェルを見舞うようになり、自主製作映画を見ながらワイワイ。
グレッグは勘弁してくれ…な顔だけど。
いつしかレイチェルの為に映画を作ろうと思い立つ。
…のだが、
レイチェルの病状が悪化し始める。化学療法で髪の毛も抜ける。彼女は死なないんじゃ…?
気丈だったレイチェルもさすがに気持ちが不安定に。
グレッグはそんなレイチェルと関係がぎくしゃく。
加えて進路や映画製作も行き詰まり。
レイチェルの事でアールとも喧嘩。
レイチェルが入院。
プロムの日が近付く。
一度レイチェルを誘うも、断られていたグレッグ。
タキシードでめかし込んだグレッグが向かったのは、病院。
二人だけのプロム。完成した映画を一緒に鑑賞。
が、遂にその時が…。
“彼女は死なない”と言っていたが、実はそれ、そうあってほしい願望であった事が最後になって分かる。ここ、胸打ったね…。
アールとも仲直り。
葬儀を終え、レイチェルの部屋を訪れたグレッグは…。
本当に彼女は、素敵な素敵な友達だった。
自分を“ビーバー顔”と自虐するグレッグ。トーマス・マンが好演。
持つべきものは友。ナイスガイなアール役のRJ・サイラー。
だけど何と言っても、レイチェル役のオリヴィア・クックに魅せられる。
小品だが、良作。
ユーモラスで、切なさの後に温かい感動に満たされる。
作品規模やスタッフ/キャストのネームバリューから日本未公開は仕方ないのかもしれないが、公開されていたら口コミで愛されていただろう。
この映画をまだ見てない人たちへ捧ぐ。
少年が「少年」を終えるための日々
決して目立たずかと言って省かれない、ちょうどいいポジションを潜り抜けてハイスクール生活を送る、ちょっと頼りない少年グレッグと、白血病と闘う少女の物語。ともすれば安直なお涙頂戴的なストーリーラインが浮かんでしまいそうだが、この作品をそれを軽く飛び越えるユーモアとシャープさがある。ちょっと「きっと、星のせいじゃない。」が思い出されるが、どちらが良い悪いではなく、対の作品として捉えてもいいかもしれない。どちらかを気に入ったならきっともう一方も好きなはずだし、二作品とも併せて愛したい。
ハイスクール最後の年を、白血病と闘う少女と過ごす日々。いつか「少年」をやめる日が刻々と迫るグレッグと、隣には刻々と「死」へと歩み寄る少女がいる。大学進学と残された高校生活。恋か友情かも分からない絆と、自主製作パロディ映画・・・。そういった積み重ねから、10代後期に訪れる「あと少しで整理がつきそうで、やっぱりうまくまとまらない思春期最後の心のモヤモヤ」が滲むように伝わってくる。少女のために作り始めた映画製作の混沌など、まさにそれだ。そしてそういったモヤモヤする気持ちに片が付く時、つまり映画が完成した時に、グレッグは「少年」を抜け出す。一人の少年のカミング・オブ・エイジ・ストーリーを最後まで丁寧に見つめている。
白血病という病気を扱ってはいるものの、作品がそれに縛られることはまったくなく、10代特有の鋭い感性とユニークな視点で物語が作られているのがとてもいい。主人公のウィットに富んだユーモアと語り口などにそれがよく表れていて、若々しく瑞々しい感性が作品全体に溢れていて実に清々しい。大人が昔を振り返って青春を美化するのではなく、登場人物が「今」を生きているという息吹が感じられるため、登場人物たちのこころの動きに説得力がある。死への向き合い方にも嘘がなくて素敵だ。死を扱う際、どうしても湿っぽくなりがちだが、死さえも少年の成長と重ねて爽やかに描き出されている。かと言って、死を物語の効果として利用したようなあざとさは一切感じない。「死は生の一部だ」という誰かの言葉を思い出し、「少女の死」と「少年の生」が一体化するのを感じ、その時に哀しくも幸福な涙が出た。
そういえば10代の頃、誰かの「死」を突然身近に感じたことがあったような、ふとそんな気がした。実際に身近な人を失ったわけでもないのに、突然誰かの「死」に共鳴し、さながら自分のことのように感じたことが。あれが自分にとっての「カミング・オブ・エイジ」へのステップだったのかな?などということを、この映画を見ながら、思い出していた。
いくら主演俳優が無名だからって、こういう作品を日本で劇場公開しないのはあまりにもったいない。特に高校生には(出来れば卒業までに)ぜひとも見せてあげたい作品だ。
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