ぼくとアールと彼女のさよならのレビュー・感想・評価
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多くの人に観ていただきたい秀作!
日本では劇場未公開となった本作は、独特のストーリーとキャラの面白さ、そして映画そのものへのオマージュが詰まった秀作だ。何より面白いのは主人公の物の見方、感じ方だろう。学校内を世界の縮図に見立て、どんな国家(グループ)ともソツなく付き合っていく彼の飄々とした目線は、常に特殊な語り口となって我々を魅了してやまない。だが彼もやがて壁にぶつかり、飄々とした衣を脱ぎ捨て、闘病中の少女を励ますためにオリジナル映画を創ろうと情熱を燃やし始める。そんな主人公の心境の変化がたまらなく清々しく、誰しもが経験する大人への第一歩として実に魅力的。ブライアン・イーノの音楽、ストップ・モーションを駆使した不可思議なアニメも、この柔らかい触感に独創的な色合いを添える。完璧な映画とは言い難いが、むしろその不完全さも含めて親しみは増すばかり。サンダンスでの受賞も頷ける愛すべき作品だ。
特別な映画、特別な人
これマジでとにかく・・・・・・、
自分の日本語力の拙さに苦しむ。
映画という文化に触れる機会のある人たち、
特に映画ファンを自認する総ての若い方々に
“試しに”でいいので、“触れて”もらいたい作品。
この映画を知らない人がまだいっぱいいるなんて
本当に信じられない。探せばいっぱいあるのなら
まだまだ幸せは僕らを待っていてくれてるって事になる。
と、明るい気分にもなれるかも知れない。
グレッグとレイチェルが一回だけ
本音で泣いて喧嘩するところがある。
レイチェルは(結果的に、かな)
グレッグが世界で生き延びるきっかけになった。
と、思う。
自分と世界の関係を修復出来ない人達が
戸惑う映画は意外と多くある。と思う。
意外と、そうじゃない映画の方が少ないのかも。
だけどグレッグは戸惑わない(と、自分では決めている)。
そのお陰で、世界と交わらなければならなくなる度に
毎度毎度自己評価は落ち込む一方だったりもする。
文字にすると感じにくいが、
脚本はもちろん、
画面がトニカクモノスゴイ。
音楽も最高。
映画ってソコでミラクルが起きる。
ここまで完成された映画を観られるからこそ、
世界と向き合って生きていける。と、そう思える。
キャスト・スタッフ全員を歴史に留めて欲しい。
何回観ても色褪せない、とはこの事か。
美しい映像、音楽
彼女に捧ぐ
ごく平凡な少年と白血病を患う少女。
日本だったら“難病の中心で、悲恋をさけぶ”となるが、ハリウッドだとコメディタッチ。
でもちゃんと、青春の瑞々しさ、爽やかさ、切なさやじんわり染み入る感動も織り交ぜ、巧みな作り。
映画オタクの高校生グレッグ。
母親から近所に住む同級生のレイチェルが白血病である事を聞かされ、彼女の話し相手になるよう命じられるのだが…。
初っぱなからトチるグレッグ。母親から言われ、仕方なく…と口が滑ってしまう。
レイチェルもうんざり。面倒臭そう。
一応形だけでも相手する事に。
愛想尽かされ、これ一回きりと思いきや、また呼ばれる。レイチェルの母親からも気に入られて。
別に何をする訳でもなく、他愛ない話を。
次第に友情を育んでいく。
二人の関係が恋愛ではなく友情なのがいい。
勿論淡い想いは徐々にあったかもしれないが、くっつきそうでくっつかないその距離感が初々しい。
それに、レイチェルは死なない。グレッグがそう語っている。
なら、安心して見れる…?
グレッグは趣味で自主映画を製作している。
世界中の名作映画を内容もタイトルもパロディー化したもの。そのタイトルセンスが結構ウケる。
一人でではなく、親友…いや“仕事仲間”のアールと。
アールも一緒にレイチェルを見舞うようになり、自主製作映画を見ながらワイワイ。
グレッグは勘弁してくれ…な顔だけど。
いつしかレイチェルの為に映画を作ろうと思い立つ。
…のだが、
レイチェルの病状が悪化し始める。化学療法で髪の毛も抜ける。彼女は死なないんじゃ…?
気丈だったレイチェルもさすがに気持ちが不安定に。
グレッグはそんなレイチェルと関係がぎくしゃく。
加えて進路や映画製作も行き詰まり。
レイチェルの事でアールとも喧嘩。
レイチェルが入院。
プロムの日が近付く。
一度レイチェルを誘うも、断られていたグレッグ。
タキシードでめかし込んだグレッグが向かったのは、病院。
二人だけのプロム。完成した映画を一緒に鑑賞。
が、遂にその時が…。
“彼女は死なない”と言っていたが、実はそれ、そうあってほしい願望であった事が最後になって分かる。ここ、胸打ったね…。
アールとも仲直り。
葬儀を終え、レイチェルの部屋を訪れたグレッグは…。
本当に彼女は、素敵な素敵な友達だった。
自分を“ビーバー顔”と自虐するグレッグ。トーマス・マンが好演。
持つべきものは友。ナイスガイなアール役のRJ・サイラー。
だけど何と言っても、レイチェル役のオリヴィア・クックに魅せられる。
小品だが、良作。
ユーモラスで、切なさの後に温かい感動に満たされる。
作品規模やスタッフ/キャストのネームバリューから日本未公開は仕方ないのかもしれないが、公開されていたら口コミで愛されていただろう。
この映画をまだ見てない人たちへ捧ぐ。
骨髄性白血病の女の子と友達になった。母親に話し相手になるように言わ...
骨髄性白血病の女の子と友達になった。母親に話し相手になるように言われたのがきっかけで。アールという(友達)ともう42本以上映画を撮っている。死にゆく彼女の為に映画を作った。それも誰かに言われてなんだけど。彼女とは友達で、でも本当に大切に思ってたし大好きだった。みたいな話。
大袈裟なことはなくて気取ってなく、ナチュラルな作風。面白い人が多くて、笑いの要素は多め。先生や親までも良いキャラ。レイチェルの母からハサミの話しを聞き、それがラスト彼女の部屋に置いてある本でわかるんだけどそこが唯一のうるうる場面か。泣かせにはいってなくて涙堪えてみたいな終わり。
#青春#学園#難病ものなんだけど、優しくてトボけた部分もあって味がある。
グレッグとアール二人だけでほぼ二人しか出てないような映画を撮ってるところが超良い。
木綿仕立てのオレンジA sockwork Orange
午後2時48分のカウボーイPM2:48 Cowboy
とか、名作のパロディみたいな。
雰囲気どこか90年代の映画みたいに感じた。
日本語吹き替え版は小野賢章&早見沙織というアニメ好きなら反応してしまう組み合わせ。
かなりの良作です。
軽妙でさわやかな悲劇
少女が死んでいく、となれば、悲しいけれど、人間なんだから、悲しさの表現には、いろいろある。という映画。
グレッグと、幼馴染みアール、癌で露命となったレイチェルの、お話。
全編に、グレッグとアールが趣味で製作するショートムービーが出てくる。古典映画のパロディだが、その凄まじい諧謔に、目を奪われた。
ヘルツォーク、ゴダール、ベルイマン、スコセッシ、ヴィスコンティ、ニコラスローグ……。解るのも解らないのもあった。短いカットでの紹介だから、洒落の意図はほとんど解らなかった。
ただし、これらのショートムービーは、この映画の骨子とは、関係がない。
いくつ解るか、みたいなことは、権威主義な山の手の映画評論の場で取り沙汰されていればいいことであって、映画にぜんぜん詳しくない人でも、この映画の清爽と悲哀は、じゅうぶんに理解できる。
万人向けの映画に、解る人には解る、みたいな、そもそも無い権威を水増しするのは間違いだ。
この映画は、いうなれば学園もので、同じく学園ものの、ジョンヒューズ監督作やミーンガールズやEasyAやヘザースのように、暢楽な気分で見ていられる。詩的でもないし、気取ってもいない。
ところが、何となく実感のないまま、レイチェルに死なれてみると、激しい無力感におそわれる。
本のくりぬきの中に永遠に生き続けるグレッグ・アール・レイチェル。壁に描かれたリスたち。パラパラ絵。遺された手紙「今年彼の成績が落ちたのは全ての時間を私のために使ってくれたからです」。──それらのシーンから、悲しみが怒濤のように降ってくる。
精一杯生きた小さな命が終わってしまったという実感が、グレッグと観衆に降ってくる。
泣けても爽やか。悲劇なのに軽妙。
日本人には絶対につくれない映画だと思った。
金字塔
映画好きというより、映画制作に携わる人向けといったところか
レイチェル(クック)のための映画作りを同級生の巨乳の女の子マディソンから提案され、何を作ろうかと迷いながら過ごす日々。結局4か月間何も作れず、州立大学の選考も落ちてしまう。レイチェルが効果のない治療を止めると聞いて、見舞いにも行き辛くなってしまったグレッグ(マン)。マディソン(キャサリン・ヒューズ)からプロムに誘われ初めてのタキシードを着るのだった。
ビーバー顔で貧相な男と自虐的になるグレッグ。未完成ながらもレイチェルのために撮った動画を見せるために病院へと向かう。意味不明のストップモーションアニメだって彼女を喜ばせたに違いない。
学校の先生も時にはいいことを言う。人が死んでからその人となりが理解できてくるなんて、結局は人生後悔だらけなんだけど、物語的にはその真意を言い当てている。若いころなんて、人の死の重さを知らない。身近な人が亡くなってから、その存在が大切だったと気づくものだ。グレッグも彼女の遺品を見て、リスが好きだったり、ハサミが好きで分厚い本に立体的に切り抜いた作品がすべて会話につながってたことで涙する。
Oner
2015年サンダンス映画祭でグランプリを獲得したアルフォンソ・ゴメス=レホン監督の作品。
一番最初に目に止まるのは、カメラワークとフレーミング。
カメラワークはかなり多くのワンショット撮影を用いており、まるでカメラがダンスをするかのように部屋の中をぐるぐると回るような動きをします。
このカメラワークは単純にプロダクションで時間と手間がかかり大変ということがまずあります。それをこれだけの数取り入れたのはかなり大変だったんだろうと思いますね。
しかし、その力は映画の中で十分に発揮されていたと思います。まず、観客の視線と注目を集め、映画に食いつかせるという意味でワンショットはとても機能していました。
それに加え、ストーリーと主人公グレッグの心情の波に乗って、カメラワークの趣向が変化し、時には戻っていき、最終的には進化する様子には驚きました。
そしてフレーミング。マーティンスコセッシのもとで修行したということからも納得いきますが、多くのショットで、シンメトリーだったり、フレームに平行な画角がとても多かったです。
それもまた、サブコンシャス的にグレッグの心情を表現していたり、グレッグが暮らす環境というものを描く技術として用いられていました。
それに加えて、ストップモーションを使ったおとぎ話のようなフィクションの世界を劇中に登場させるところからも、そのきちっとしたフレーミングが、コメディ要素だったり、高校生のピュアな感情だったりをとても効果的に表現していました。
ストーリーはいわゆる恋愛もので、見ていながらワクワクすることはできませんでしたが、クライマックスのシーンにはある程度驚かされました。そこまでのドラマ要素から飛躍して、抽象的な比喩的表現をドラマに重ねることで、そこまでの高校生らしいピュアな様子と、そこから自分の色を見つけていくキャラクターたちの個性だったり、その集団の絆だったりを受け取ることができました。
撮影に関して言えば、ワイドレンズの使い方でさらにフィクション要素を夢だったり、超現実的なものへと転身させていくところには、映画の序盤からとても惹きつけられました。
ワイドレンズの空間を引き延ばす効果を使って、キャラクターの若さや不安定な様子を描き、ズームインを使って観客をあえてキャラクターから遠ざけ、観客個人の目でグレッグを見せることによって、観客も一人のキャラクターとしてその映画に登場するような感覚を与えています。
これまでにはあまりロマンス映画で見られなかった角度のキャラクター展開で、今後の作品でロマンスコメディを作っていくのかが気になりますね。
映画好きほど好きになる作品。
たまたまTSUTAYAにて本作を発見し、鑑賞。ここ最近では一番好きな作品となった。
ストーリーは主人公の青年が白血病に苦しむ少女と親しくなり、徐々に主人公が変わっていくというもの。
まず、ストーリー自体が自分の好みであった。青年と少女の親はどっちもどこか変だし、主人公もユーモアはあるけど、ひねくれてる。そんなキャラがそろっていてコメディ要素もあって、とても見やすいのにヒューマンドラマ要素もあって、じわじわと心にしみる映画であった。主人公がオマージュ映画の製作をしていることもあって、映画好きの人なら笑えるシーンもたくさんある。
ラストに迫るにつれて主人公の心の変化が見えてきて、コメディ要素は消えてくる。でも、そのメリハリも良かったし、主人公の語り口調もストレートに響くものがあった。
ラストシーンでは思わず涙が溢れた…
音楽、カメラワークなどの演出面も申し訳なく、ハートフルな青春映画としてかなり見やすい作品であった。
優しさ
なぜに劇場公開しない、、、
語り口だけで面白くなる
主人公(トーマス・マン)は映画オタクの高校生で、幼馴染の友人と名作映画のパロディを撮って楽しんでいた。
ママから友人の娘(オリビア・クック)が白血病になったので励ましてやってくれ、と頼まれる。
ぎこちない二人だったがそのうち・・・。
難病モノの青春恋愛ドラマだが語り口がとても面白く、最後まで楽しめる。
周囲に流される生き方の心地よさ
近頃は自己目標を設定し、そこに向かって自らのキャリア設計をする生き方が推奨される。
しかし、この作品の主人公は、母親に言われて仕方なく白血病の少女のもとへ出向き、「君と一日一緒にいないと母親がマジでうざいんだ。レブロン・ジェームズ並に」と少女を説得し、しぶしぶ共に時間を過ごすところから関係を始める。
完全な無気力、無目的、受動的な生き方。
でも、そういう時期、そういう生き方は確実にあるし、だからどうした。目標に向かって生きるだけが人生ではない。周りの状況に流され、毎日を事無くやり過ごすことに集中した生き方にだって、必ず何かしらの意義はあるはずだ。そう思わせてくれる映画。
自分の価値は、自分が全て知っているわけではない。だから、まずは流されてみよう。そうすることで、これまで素通りしていた物事の中に、思いがけない価値を見出すこともあるのから。そう優しく語ってくれるような作品であった。
少女に送った映像作品の完全版がDVDでは視聴できる。よく意味は分からないところもあるけれど、自分の身に起こるモヤモヤを、身近な物に託して表現したような感じがした。どこか、ミシェル・ゴンドリーに通じる作風を感じた。
某放送局の、感動ポルノ的な24時間番組を、妻に強制的に見せられたからか、口直しに最高の作品であった。
少年が「少年」を終えるための日々
決して目立たずかと言って省かれない、ちょうどいいポジションを潜り抜けてハイスクール生活を送る、ちょっと頼りない少年グレッグと、白血病と闘う少女の物語。ともすれば安直なお涙頂戴的なストーリーラインが浮かんでしまいそうだが、この作品をそれを軽く飛び越えるユーモアとシャープさがある。ちょっと「きっと、星のせいじゃない。」が思い出されるが、どちらが良い悪いではなく、対の作品として捉えてもいいかもしれない。どちらかを気に入ったならきっともう一方も好きなはずだし、二作品とも併せて愛したい。
ハイスクール最後の年を、白血病と闘う少女と過ごす日々。いつか「少年」をやめる日が刻々と迫るグレッグと、隣には刻々と「死」へと歩み寄る少女がいる。大学進学と残された高校生活。恋か友情かも分からない絆と、自主製作パロディ映画・・・。そういった積み重ねから、10代後期に訪れる「あと少しで整理がつきそうで、やっぱりうまくまとまらない思春期最後の心のモヤモヤ」が滲むように伝わってくる。少女のために作り始めた映画製作の混沌など、まさにそれだ。そしてそういったモヤモヤする気持ちに片が付く時、つまり映画が完成した時に、グレッグは「少年」を抜け出す。一人の少年のカミング・オブ・エイジ・ストーリーを最後まで丁寧に見つめている。
白血病という病気を扱ってはいるものの、作品がそれに縛られることはまったくなく、10代特有の鋭い感性とユニークな視点で物語が作られているのがとてもいい。主人公のウィットに富んだユーモアと語り口などにそれがよく表れていて、若々しく瑞々しい感性が作品全体に溢れていて実に清々しい。大人が昔を振り返って青春を美化するのではなく、登場人物が「今」を生きているという息吹が感じられるため、登場人物たちのこころの動きに説得力がある。死への向き合い方にも嘘がなくて素敵だ。死を扱う際、どうしても湿っぽくなりがちだが、死さえも少年の成長と重ねて爽やかに描き出されている。かと言って、死を物語の効果として利用したようなあざとさは一切感じない。「死は生の一部だ」という誰かの言葉を思い出し、「少女の死」と「少年の生」が一体化するのを感じ、その時に哀しくも幸福な涙が出た。
そういえば10代の頃、誰かの「死」を突然身近に感じたことがあったような、ふとそんな気がした。実際に身近な人を失ったわけでもないのに、突然誰かの「死」に共鳴し、さながら自分のことのように感じたことが。あれが自分にとっての「カミング・オブ・エイジ」へのステップだったのかな?などということを、この映画を見ながら、思い出していた。
いくら主演俳優が無名だからって、こういう作品を日本で劇場公開しないのはあまりにもったいない。特に高校生には(出来れば卒業までに)ぜひとも見せてあげたい作品だ。
映画の映画、男女の友情がテーマ。 辛抱強いヒロインとナイーブな主人...
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