「軽妙でさわやかな悲劇」ぼくとアールと彼女のさよなら 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0軽妙でさわやかな悲劇

2020年7月11日
PCから投稿

少女が死んでいく、となれば、悲しいけれど、人間なんだから、悲しさの表現には、いろいろある。という映画。

グレッグと、幼馴染みアール、癌で露命となったレイチェルの、お話。
全編に、グレッグとアールが趣味で製作するショートムービーが出てくる。古典映画のパロディだが、その凄まじい諧謔に、目を奪われた。
ヘルツォーク、ゴダール、ベルイマン、スコセッシ、ヴィスコンティ、ニコラスローグ……。解るのも解らないのもあった。短いカットでの紹介だから、洒落の意図はほとんど解らなかった。

ただし、これらのショートムービーは、この映画の骨子とは、関係がない。
いくつ解るか、みたいなことは、権威主義な山の手の映画評論の場で取り沙汰されていればいいことであって、映画にぜんぜん詳しくない人でも、この映画の清爽と悲哀は、じゅうぶんに理解できる。
万人向けの映画に、解る人には解る、みたいな、そもそも無い権威を水増しするのは間違いだ。

この映画は、いうなれば学園もので、同じく学園ものの、ジョンヒューズ監督作やミーンガールズやEasyAやヘザースのように、暢楽な気分で見ていられる。詩的でもないし、気取ってもいない。

ところが、何となく実感のないまま、レイチェルに死なれてみると、激しい無力感におそわれる。
本のくりぬきの中に永遠に生き続けるグレッグ・アール・レイチェル。壁に描かれたリスたち。パラパラ絵。遺された手紙「今年彼の成績が落ちたのは全ての時間を私のために使ってくれたからです」。──それらのシーンから、悲しみが怒濤のように降ってくる。
精一杯生きた小さな命が終わってしまったという実感が、グレッグと観衆に降ってくる。

泣けても爽やか。悲劇なのに軽妙。
日本人には絶対につくれない映画だと思った。

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津次郎