ワンダーウーマン : 映画評論・批評
2017年8月15日更新
2017年8月25日より丸の内ピカデリーほかにてロードショー
勇壮な女戦士が現代に取り戻す、DCスーパーヒーロー映画の崇高なる精神
「マーベル・シネマティック・ユニバース」を順調に展開させているマーベルに比べ、「DCエクステンデッド・ユニバース」の仕切りに少々もたつきが感じられるDC。マーベルと競合しようと成果を急ぐあまり「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」(16)は精度を欠いた出来になってしまい、来たる「ジャスティス・リーグ」への不安は募るばかりだ。
しかし、本来アメコミヒーローの実写映画化は、DCが模範を示してきたはずだ。特にこのジャンルの基盤となっているクリストファー・リーヴ主演の「スーパーマン」(78)は、現実とファンタスティックな設定をシームレスに接合。スーパーヒーローが人間社会において正義をまっとうする、その成長の物語を気高く描いていた。
「ワンダーウーマン」は、そんなDC映画の起点に戻り、先行きへの不安を一気に解消する作品になっている。邪神アレスの脅威に備え、日々戦闘力を鍛え上げてきたアマゾン族の女戦士たち。だが外界から閉ざされてきた彼女らの島に、第一次世界大戦の影響が及び、アマゾン族のプリンセス・ダイアナ(ガル・ギャドット)は人間界との関わりを余儀なくされていく。そして、戦争の背後にアレスの存在を感じた彼女は、ドイツの毒ガス虐殺計画を阻止しようと動く英軍スパイ・スティーブ(クリス・パイン)と目的を一致させ、人類を救うために島を後にするのだ。「世の中に不正が起これば、何もしないか行動するかだ」という、彼の信念に自らを重ねながら。
だが、強者が弱者を迫害し、女性の権利が剥奪された人間界を目の当たりにして、ダイアナは岐路に立たされる。人類は守るに値する存在なのかーー? 本作はこうした問いをダイアナに投げかけ、彼女が自らの意志によって守護神=ワンダーウーマンとなっていく過程を力強く捉えていく。スーパーヒーローとして不確定な者が、市井の人々にその自覚をうながされていく展開も、「スーパーマン」の精神を汲むものとして見る者の魂を高揚させる。
それはもう、マーベルに勝つとか負けるといった問題ではない。DCがかつて確実に持っていた、スーパーヒーロー映画のあるべき姿。それを「ワンダーウーマン」で取り戻したことがたまらなく誇らしく、そして頼もしいのだ。
(尾﨑一男)