劇場公開日 2015年10月3日

  • 予告編を見る

顔のないヒトラーたちのレビュー・感想・評価

全26件中、21~26件目を表示

4.0「悪」は常に平凡な者を狙う。

2015年12月11日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

怖い

知的

罪を犯した個人が、自分を客観的に見つめることは、それだけで勇気がいる。
ましてや、国家ぐるみの戦争犯罪を、国家が率直に認めることは、なおさら難しい。ドイツはそれをやってのけた。
うがった見方をすれば、ドイツにはヒトラーという「独裁者」圧倒的な「ワルモノ」がいたことで、反省を早期に促す、ある種の触媒になったのではないだろうか?
ヒトラーという、人類史上類を見ない独裁者に罪を被せることで、ドイツは贖罪をしやすい土壌がすでにあったのかもしれない……と僕は、勝手にそう思い込んでいた。
ところが、本作を鑑賞してびっくりした。
本作で描かれる1950~1960年代。当時の西ドイツでは、けっして国全体で戦争犯罪を見つめようとする姿勢は、まだなかったことが伺い知れるのである。
というのも、その頃まだナチスに加担した人は存命であり、その数、なんと数千人。ごく普通の「善良な市民」として、ドイツ国内に紛れ込んでいたのである。
本作は、新米の裁判所検事ヨハンが、かつての「ナチス」党員の、アウシュヴィッツでの犯罪を徹底的に追及してゆく、というストーリーである。これは事実に基づいたセミ・ドキュメンタリーだ。
主人公の若い検察官ヨハン。彼にまわってくる事件、案件は、せいぜい交通違反の罰金をいくらにするか? などという小さな案件ばかりだ。
なにせ彼はまだ検察官になりたて、ペーペーの新人なのだ。お役所の中にあって、最も低いヒエラルキー、ポジションしか与えられていない。
ある日、ヨハンは新聞記者グルニカから、一つの情報を知らされる。
「元ナチの親衛隊員が教員をやってるんだ、こんなこと許されていいのか?!  そいつは元、どこにいたと思う? あのアウシュヴィッツだぜ」
このとき1958年、戦後すでに13年が経ち、ドイツの人々は、あの忌まわしい戦争を忘れよう、としていたのが、本作からうかがえる。
なんと当時、ドイツの若者の多くは「アウシュヴィッツ」という象徴的な「単語」さえ知らない者が多かったらしい。
グルニカからの有力情報は、お役所の中では誰も相手にされなかった。
しかし、ヨハンは若さゆえの正義感からだろうか、この新聞記者の告発を調べてみようと思い立つ。
しかし、それはまさに決して開けてはならない「パンドラの箱」「迷宮」「地獄への入り口」に他ならなかった。
ヨハンはまったくそれに気がつかずに、そのドアを開けてしまったのである。
ナチス容疑者の内偵を密かに進める、主人公ヨハン達検察チーム。
かつてのナチ党員は、ある者は学校教師として勤め、ある者は街のパン屋さんとして実直に働いている。
ニコニコしながら美味しいパンを焼く職人さん。この好人物が、まさか元ナチス党員とは誰も思わないだろう。
しかしアウシュヴィッツ強制収容所で、幼い子供を壁に何度もぶつけ、なぶり殺しにしたのは、今パンを運んでいる、まさにこの男なのだ。
また、大量のユダヤ人をガス室に送り込んでいた男が、いまや教師として平然と勤務していたりする。
やがて、この「アウシュヴィッツ」を巡る事件は、西ドイツに住む人々、ほぼすべての人が「ナチスに加担していた疑いがある」という問題に発展してゆく。ヨハンはやがて自分の父や母でさえ「ナチスの協力者」ではなかったか?
という壁にぶち当たる。
「しょうがないじゃない、そういう時代だったんだから!!」
誰もがそういう。ヨハンの恋人さえも。
だが、ヨハンには心強い味方がいた。
職場のトップ。首席検事バウアーである。
彼はユダヤ人だった。
「しっかりしろ、ヨハン。まず被害者と加害者を特定しろ。確実な証拠を掴むのだ。 明らかな犯罪行為を立証するんだ! 私がこの職にある間にな……」
この事件を引っ掻き回すことは、西ドイツ政府にとってもタブーであったのだ。首席検事バウアーは知っている。いつ自分が左遷されるかもしれないことを。
やがてヨハン達、検察チームは、十数人の容疑者の割り出しに成功。彼らを逮捕し、告訴に踏み切る。
こうして「アウシュヴィッツ裁判」が始まるのである。
しかし、ヨハン達が最も追及したかった男が捕まらない。
それは温厚な医師である。
彼は収容所で双子を選び出す。そして数多くの、おぞましい人体実験を行った。男の名前はヨーゼフ・メンゲレ。別名「死の天使」
1963年12月に始まったこの「アウシュヴィッツ裁判」によって、国家的な犯罪行為が明らかとなる。
本作の公式サイトでは、ドイツのメルケル首相が述べた、追悼式典でのコメントが紹介されている。
「私たちドイツ人は恥の気持ちでいっぱいです。何百万人もの人々を殺害した犯罪を見て見ぬふりをしたのは、ドイツ人自身だったからです。私たちドイツ人は過去を記憶しておく『責任』があります」
時に権力の地位にあるものは、都合の悪い過去を顧みようとしない。更には、「歴史など書き換えてしまえばいい」という、信じられないほど傲慢な態度をとる者もいる。一例を挙げれば、旧日本軍の731部隊については未だに謎の部分が多い。
本作で描かれる、裁判で告訴された被告達。彼らはある種の「みせしめ」に過ぎなかったのかもしれない。
「もっと悪い奴はいる」
おそらく被告達はそう思っていただろう。事実ヨゼーフ・メンゲレは、まんまと逃げおおせ、一度も逮捕されることもなく天寿を全うした。死因は水泳中の心臓発作だった。
本作のタイトルは「顔のないヒトラー達」
実は、善良な一般市民、僕も含め人の心の中には当然、すくなからず「悪」が存在し、残虐性や、攻撃性もある。
そしてなにより、それらは「凡庸な」「普通の」人々の、こころのなかに、そして日常生活の中に、こっそりと潜んでいる、ということである。
ガス室へ送られたのは普通の市民だった。
そしてガス室へ送ったのも、また、「普通の市民」だったのである。
人々の心の中に巣食う「小さな悪魔」をうまくあやつる「扇動者」が出現した時、小さな悪魔はその本性を剥き出しにする。
「巨悪」を平然と行う、「暴力装置」へと変貌するのだ。
その本質は、意思を持たない怪物、別名「群衆」なのである。
以前僕は「ハンナ・アーレント」という作品を鑑賞した。
ナチスの戦争犯罪者アイヒマンの裁判を傍聴した、哲学者ハンナ・アーレント女史の伝記映画である。ハンナ・アーレントは裁判を傍聴しながら気づく。アイヒマンは中身が空っぽの男なのだ、自分の意思というものがまるでないのだ。
被告席に座る男は、単なるヒトラーの「イエスマン」だったのだ。
裁判を傍聴する過程で彼女はやがてひとつの「確信」を得る。
「平凡な市民」の中に巣食う「悪」こそ着目すべきだ、ということを。
それは扇動者に利用されれば、恐るべき「浸透力」「伝染力」を持って「大衆」を瞬く間に支配するのだ。
ハンナ・アーレントは、これを「悪の凡庸さ」と名付けた。

ヒトラーは平凡な男だった、という。
そのあまりの平凡さが「悪のブラックホール」へと大衆を飲み込んでいったのかもしれない。その危険は今も続いている。

コメントする 1件)
共感した! 1件)
ユキト@アマミヤ

3.5ジャスティスを貫くほど苦しむ

2015年11月7日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

怖い

知的

普通の人間が簡単に残酷になれてしまう。
正義、裁き、だけで片付かないからこその苦悩。

コメントする (0件)
共感した! 1件)
Rubysparks

3.5ちょっと期待しすぎたかな

2015年10月19日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

興奮

歴史的事実を暴く内容でした
その過程でもう少しなにか展開が・・・・
と思ったのですが、あまり脚色は無かったようです。
ドイツに限らず、全ての戦争経験がある国に関係あることだと思います。

コメントする (0件)
共感した! 1件)
シネパラ

4.5時として人間は恐ろしい生き物となる事実を忘れてはいけない。

2015年10月12日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

悲しい

怖い

この映画の時代設定が、1958年であり、アウシュビッツがあまり知られていていない頃であったという点。その時代に生きてい る人間の気持ちに合わせるのは結構難しいものがあった。今年2015年を生きている私にとっては、時間のズレを感じずに は入られない。しかし、このような「人間」として、人道的に許すことの出来ないことを、形として再認識させるには十分であると感じさせる作品に仕上がっている。中盤は、メンゲレへのへの執拗な追跡が、すこ し退屈であった。しかし、バウアー検事総長の台詞の一つ一つがグサリとくる。(プログラム 参照)メッセージ性が溢れ出るこの映画。久しぶりに胸打つ作品であった。

コメントする (0件)
共感した! 1件)
突貫小僧

3.0描かれている事実は確かに凄い

2015年10月6日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

主演の描かれ方があまりにも青すぎて、あまり感情移入ができない。青いながらも、もっと深みがあるだろうと思ってしまった。歴史的事実をもとにして、その切り口が正義に燃える若者?であったように感じたので、なおさらそのキモの部分をしっかりと描いてほしかった。
歴史的事実は映画にすべき凄いもの。日本では戦後、自国民を裁こうとする変わり者がいなかったのだから・・・。

コメントする 1件)
共感した! 3件)
SH

3.5日本人は見るべき。そして、果たして日本はどうかと考えるべき

2015年10月3日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

難しい

2015年の今年は戦後70年を迎えたわけですが、世界にはもう一つ戦後70年を迎えている国があります。この作品は、もう一つの戦後70年を迎えた国ドイツが、自身の戦争責任とどの様に向き合ったかを描いた骨太の作品。

今でこそ、ドイツは戦争責任を自分できちんと総括した国と称されている訳ですが、そこに至るまでは、こんな苦労があったんですね。ドイツ人のことなので、戦争終結を持って、理性的に、速やかにきちんと自身の過去と向き合ったのかと思っていたんですが、完全に勉強不足でした。

翻って我が国。この作品で描かれたドイツのような、自分自身できちんと自分の過去の行いと向き合ったでしょうかね?この作品でも描かれていますが、「もう忘れたい」とか「父の世代を糾弾するのか」と言う事もあって、ちゃんと自分自身で過去の振り返りをきちんとしていない気がしてなりません。

いまの日本人は見るべき映画だと思います。

コメントする (0件)
共感した! 3件)
勝手な評論家