「監督の、少女に対する性的目線ばかり感じる」湯を沸かすほどの熱い愛 千鶴さんの映画レビュー(感想・評価)
監督の、少女に対する性的目線ばかり感じる
感動作とあるが、信じられない。批判せずにいられないシーンがいくつもある。
単なる駄作ならいいが、許しがたいのは、少女を性的な目線で見ているとしか思えないシーンである。
まず一つ、いじめられていた娘が制服を盗まれるが、授業中に自らジャージを脱ぎ、パンツとブラジャーだけになるシーン。
これが「いじめに勇気を持って立ち向かった」ことらしいが、目を疑った。ただ少女の生々しい下着姿を見せたかっただけなのでは。
この伏線として、白いブラジャーの色気のなさに母が気づき、かわいいものを娘にプレゼントするシーンがあるが、ここでも「彼氏は?」とか「もうそろそろこういうのをするべき」などと言っている。思春期の子供の性愛事情に干渉するこんな母親はただでさえいやだが、これを男性監督が描いたのかと思うと何重にも気持ち悪い。
もう一つは、以前に住んでいたアパートの玄関でしゃがみこんでいた妹(連れ子)を連れ帰るシーン。
立たせようとした瞬間、妹はお漏らしをしてしまう。
小学生(推定)がお漏らしをしているシーンを真っ正面から撮っているのだが、このお漏らしに必要性がほとんど感じられない。
お漏らしをしたパンツをその場で母が脱がせるシーンも撮り、姉は意味もなく「あゆこ、ここにあり」などといってお漏らしパンツをアパートのノブに引っ掛けて帰るのである。
これも非常に性的なものを感じて気持ち悪い。
さらに一つ、母と娘2人がドライブをしているとき。
そもそも目眩を起こすほどの末期癌患者に運転旅行を許すことが信じがたいが、そこに突然得体の知れない若い男が来てヒッチハイクを志願してくる。
これを許す母も母である。
この男は、母娘3人と食事中、ヒッチハイクの途中で起きたいかにもおもしろいエピソードという感じで
「50代くらいの女トラック運転手に乗せてもらったとき、ラブホに連れていかれてしまった。イケるかも、と思ったけど最終的には怖くて逃げてきた」
というような話をするのである。
高校生と小学生の女の子に対して、である。
信じられない。それを母娘3人も楽しく聞いているという設定なのがありえない。
栃木県の設定なのに幼馴染が関西弁だとか、浮気して帰ってきて全然仕事せず見舞いにすらいかない夫が「憎めない存在」でもなんでもなくただただ腹立たしく見えるとか、ダメな部分を上げたらキリがないが、特に許せないのが上記のような少女と性をめぐる部分である。
中野量太監督の良識を疑う。
役者陣は豪華すぎるほど豪華なので文句はない。
ものすごくやりづらい役なのに、杉咲花はとてもがんばっていた。
各批評サイトで「人生で一番の映画」などのコメントが目立ち、評価が高すぎるのも気になる。単純に考えても役者の演技以外は駄作の部類。
このご指摘とやり取り、観る我々にもそして監督や編集にも大きな勉強になったと思います。
余命少ない双葉の切羽詰まった中での非日常作戦と娘たちの顛末。
長く撮ったフィルムの中から編集さんがどこを集中的に残そうとしたかによってもすっかり作品の主題は変容してしまうし。
製作側に“少女性愛癖”があるのかないのか、原作を探してみます。
色々なご意見が寄せられていますが、この映画の演出はどう解釈しようが、監督が泣かせの技巧に走ることに気を取られて、性暴力に怯える女性やイジメ被害者に寄り添う誠意が感じられない、ということが問題なのだと思います。流れにまかせてうっかり見てるとつい泣かされてしまうのですが、私の場合は、死者への尊厳よりもタイトルを活かすためとしか思えないラストの演出で、何かおかしいぞ、この映画は、となりました。
愛情よりも不誠実さに溢れた映画だと思います。
千鶴さんの勇気あるレビューは実は痛みを伴う悲痛な叫びとも思えたので、遅まきながらコメントさせていただきました。
あの教室で下着になるシーンですが、あれは安澄が自分なりに考えた必死の抵抗だったと思います。
大人に比べて、思春期の中学生の方がはるかに羞恥心の処理の仕方を知りません。
それでも、あの方法を選択したのは、かなり追い込まれていたコトを差し引いても、相当な覚悟があったと思われます。
いじめは、自殺者が後をたたないほど、当の本人にとっては命懸けの闘いです。
その時、安澄が身につけていたのが、双葉がプレゼントしてくれた下着でした。
安澄は、母がそばにいてくれるような、一緒に闘ってくれてるような気持ちだったんじゃないでしょうか⁉︎
双葉が学校に呼び出されて、絵の具まみれの安澄に、何色が好き?と聞きます。
安澄は「水色」と答えます。
双葉がプレゼントした下着の色は水色でした。
母の愛情が垣間見えるシーンでした。
映画の中の登場人物が、その都度ベストな判断をするワケではありません。
受け取り方は人それぞれですが、ぼくは、衝撃的でしたがそんなに悪意のある性的なシーンだとは思いませんでした。
鮎子がおもらしをするシーンも、そもそも自分の尿でさえ汚ないイメージがあります。
ましてや人のは尚更です。
ですが、双葉は鮎子をパンツを脱がせただけで、そのまま躊躇なく抱きかかえます。
双葉が鮎子のコトを大切な家族の一員として受け入れているコトが伝わってくるシーンだと思います。
安澄も、そのおしっこでぬれたパンツをそのまま素手で持ってドアノブにかけます。
妹に対する愛情がなければできないコトです。
松坂桃李が演じる拓海が、親子連れに不向きな空気の読めないエピソードを話すシーンも、
一見、イケメンで好青年に見える拓海の、実は壊れて自分の人生を見失っている状態をよく表しているシーンだと思いました。
しかも、それは双葉にバレていて、双葉との出会いで拓海は癒されて、自分の人生を取り戻していくキッカケになっていきます。
とにかく、この映画は愛に溢れていました。
何度も号泣しました。
一番泣けたシーンは、安澄が本当の母親と会って、手話のコトを話す件りです。
そこに双葉の姿はありませんでしたが、画面いっぱいに双葉の愛情が溢れていました。
大好きな映画です。
寒い中、じっと待ってて、迎えに来てくれた人に抱き上げられ、抱きしめられほっとした瞬間におもらし。
性的なものでも何でもありません。そして、鮎子ここにありでくすっとなる。いやらしいですかね。
Edwin さん
あれが少女でなければ何なのでしょうか。
仮に成人女性だろうと、大勢の前で下着姿になる行為はどう見ても性的でしょう。
それを少女にさせているのだから、さらに問題なのです。
カズ さん
そういう問題じゃないです。
なぜ少女の尿そのものを詳細に撮る必要があるのか?ということです。そんな気味の悪い方法を取らなくても、長く待っていたことくらい表現できます。
前者の下着シーンは、あれで良いかな(^_^;)
暴力に訴えない遣り方&監督の好みもあるだろうし(^_^;)
後者のお漏らしはいらんし、やり過ぎ?と
は思いましたが(^_^;)