冬の街のレビュー・感想・評価
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冬の街:問題の定義(私の人生における)
なぜこの映画が『冬の街』になるのか皆目見当がつかないが、トルコのイスタンブールの冬の街の景色がよく撮影されるので、そうなったのかもしれない。でも、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の他の作品を見れば、冬景色がかなり多い。 これはヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の2002年の作品でこの映画の主人公はある写真家としてある程度成功しているマハムッド。そしてイスタンブールに住んでいて、一人で暮らしている。(この家はヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の住んでいるところを撮影に使ったらしい)先妻は他の男性と再婚してカナダに移住するらしくその話をムハメットにしにくる。でも、先妻が去るにも関わらず、まだ未練があるようで、空港まであとをついていく。 ムハメッドのところにかれの故郷の田舎からユセフが仕事を探しに訪れる。ユスフは田舎の職場で解雇になって、イスタンブールで船荷の仕事を探している。景気が悪く工場の数多くの人が解雇になり、イスタンブールでもその影響が出ていて、仕事にありつけず。毎日を無駄?に過ごしているようにみえる。トルコの景気の悪さを表している。 ムハメットは初めはちょっとユスフに理解を示すが、何日も宿泊し仕事もみつけられないユスフにだんだん自分が疲れてきて、最後は自分でおき忘れていた金色の時計もユセフが盗んだものと思い疑ってユスフのカバンの中まで探してしまっている。ユセフは泥棒の疑いをかけられているのがわかり無罪を証明しようとしているが、ムハメッドは聞く耳を持たず、ユセフは屈辱をうけ、ムハメッドが出かけている間にこっそりさる。ムハメッドは自分で時計をしまい忘れたのがわかっても、それを正直に話して謝らず、自分を正当化する。 ある程度成功して人生を自分の思いのままに過ごしてくると、自分のスペースを人と共有するのが難しくなるし、人によりペースを乱されたくなくなる。それに、人のすることが細かいことでもいちいち気になり、(例えば、ここではユスフの靴の匂いが気になり、奥にしまい込む)人の存在ですら鼻についてしまう。人との歩み寄りが全くできなくなり、一人で過ごすことの方が楽だし好きになる。この危険さをみることができればいいが、『それが何が悪い』という考えになると、自己中になって、社会人としての役割を果たせなくなる。 特に、ムハメッドのような自分の力が認められて、自分の才能が勝負の仕事についている人で、人との会話が少ない仕事だと、人との共有が難しくなり、自分の空間だけが落ち着ける場所になる。結局、誰とも何も共有できなくなったのがムハメッドであり、よく、考えるとこれは自分の将来の姿でもあるかもしれない。 この望みのないような、自己中の彼にも、監督は最後に少し望みを与えた。それは、ユスフが吸っていた安タバコ(ムハメッドはユスフの前で絶対口にしなかった)をムハメッドが口にするシーンだ。ユスフの気持ちになってみようとしていると私は判断した。しかし、これがムハメッドを変えるきっかけになったかどうかは定かではない。 しかし、先妻にたいしてもユセフにたいしても、去っていくものを追うような主人公ムハメットには閉口せざるをえない。自分の発した言葉、行動に正直であるべきで、あとから後悔のような態度を取っても遅い。 現在ムハメッドのような人間が増えてきていると思う。ある程度の収入があり、自分の生活スタイルがあり、自分の心地いい住まいに住んでいると、人間は人と共有することが難しくなる。そして人の良い面を見出しにくくなる。我々はこれに意識を置くべきだ。 この映画は以前見た。ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督は私の好きな監督で、彼の映画を見ることは彼の思想を観察することと同じなような気がする。彼の映画には『人間としての意味』が含まれている。でも、男女同権の見解からの疑問を残す。でも、イスラム教国家、トルコからの発信だからね。
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