この世界の片隅にのレビュー・感想・評価
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言葉にできない感動
エンドロールが終わって映画館の灯がついても、余韻に浸りたくってすぐにカフェに入りました(笑)
あの時代の暗さを前半は全く感じない。
今を生きる私たちと同じに人を好きになって世間話をして生活をする。
忍び寄ってくる闇にどんどん日常が壊される。
それでも生きている限り笑顔で生活を取り戻そうとする。
全てが美しく逞しかった。
言葉にするとなんだかありきたりでわたしの表現力ではとても表せませんし失礼な気がする。あの時代の日常を現実を強さを観た気がしました。
あっているか自信はありませんが作中印象にのこった台詞を載せます。
「私は笑顔の容れ物です」
「泣いてばかりじゃ勿体ない。...塩分が」
「すずが普通でよかった。普通のことで笑って怒って。すずだけはずっと普通でいてくれ。」
「この世界の片隅でうちを見つけてくれてありがとう」
2つの台詞が今も響く
2週間ほど前に見た。
細やかな仕草が、やさしくていねいに描かれているいとおしい映画だった。
見終わったあと原作を手に入れ読んでみた。
全く同じ世界が映画に表現されていることにまた感動した。
主人公のすずが日本が敗戦したラジオ放送を聞き叫んだ台詞と、夫に「周作さん、この世界の片隅に私を見つけてくれてありがとう。」という台詞が今も心の中で反響している。
このアニメの中に、人の魂がしっかりと宿っていたと再実感した。
毎日を明るい色で生きていく
やっと福島での上映が決まった!
いつ上映するのかなと隣町の映画館の上映予定スケジュールをチェックし続け(地元の映画館ではまず上映しないので)、何とか年内鑑賞に間に合った!
当初はそれほど興味惹かれなかったが、ここまで評判いいと俄然見たくなってくるのがいつもながらのミーハー心。
時期的に今年最後の劇場鑑賞。
締め括りに相応しい名作であった!
今年は本当にアニメ映画の当たり年。
「君の名は。」も「聲の形」も非常に良かったが、より日本人の心に響くのは本作ではなかろうか。
まずは当時の市井の人々の営み。
自分はその時約マイナス40歳ぐらいだが、その時代の空気や息遣いをしかと感じた錯覚に陥った。
これは何年もリサーチしたという片渕監督の丹念な描写と演出に尽きる。
開幕からこの素朴な手描きの画に心満たされた。
「君の名は。」のような圧倒的な映像美にも魅了されるが、このタッチの画こそ温もりと(マイナス40歳の自分が言うのも何だが)あの時代の懐かしさを誘う。
すずが美しい。
実年齢より幼く見え、凄い美人でもない。
心が清らかなのだ。小さな些細な事に素直に笑い、泣き、喜ぶ。
それらがとても魅力的。だからこそ、時折容姿さえも美しく見映える事も。
性格はおっとりほんわか…と言うか、かなりボーッと抜けている。
完璧な嫁ではないが、彼女なりに嫁いだ先で健気に奉公し、減っていく食材で工夫を凝らして食事を作る姿に、嫁さんになってほしいと思った。
そんなほっこりするような人柄のすずに、自身も天然な能年玲奈改めのんの声がピタリとハマった。
プロの声優ではないので序盤の子供時代と成長した大人時代で声の違いをつける事は出来なかったが、穏やかな人柄と共に広島弁が耳に心地よい。
あまりにも突然だった。
広島・江波から呉へ嫁に行く事に。
慣れないお嫁さんとしての生活、小姑はちとキツいが、義理の両親は優しい。
夫は不器用だが、愛情深い。すずを嫁に欲したのは、ある出会いからの彼のたっての希望であった。
すずには仄かに想いを寄せていた幼馴染みが居たが、二人は少しずつ愛を育んでいく。
キス・シーンがアニメ史上屈指と言ってもいいくらい美しい。
すずと幼馴染みの再会、夫の計らい、嫉妬、初めての夫婦喧嘩、キツいけど優しい優しい一面もある義理の姉、愛らしいその娘…。
ヘコむ時もあるけど、食べて、笑って。
貧しく、苦労が絶えない中で見つけるささやかながらも満ち溢れる幸せ。
それが人の本当の幸せではないだろうか。
絵を描く事が大好きなすず。
毎日を、明るい色で描いていく。
…突然、それはドス黒く混入し始める。
夢見心地な感傷に浸っていると、ハッと気付く。
ここは広島。この時代。
忍び寄り、どんどん濃くなっていく戦争の色…。
誰かのレビューで、広島・呉は太平洋戦争の起点というのがあった。
確かに歴史的に振り返るとそうなのだろう。
しかし、呉を拠点にしたのも、戦争を始めたのも、国だ。
そこに住む人たちには何の罪も無い。むしろ被害者だ。
壊されていく。
日常が。
ささやかな幸せが。
奪われていく。
手を繋いでいた愛する人が。
自分の体が。
失われていく。
大切なものが。
何もかも。
戦争物を見る時、いつも必ず重視する点。
庶民の姿を通して、戦争の不条理を訴える。
これまで見た中でも特に胸に重苦しくのしかかった。
一日何度も鳴る空襲警報にうんざり。
防空壕の中から聞こえる爆撃音が怖い。恐ろしい。
表記される年月。それが“あの日”に近付くにつれ、タイムリミットのようにハラハラする。
呉は爆心地から離れている為直接的な描写ではなく、玉音放送~終戦も割とあっさり描かれる。
当時の人々にとってもそうだったのだろう。
突然何かが起きて、突然何かが終わる。
庶民はただ流されるだけ。
戦争は終わった。
多くのものを壊して。奪って。
庶民の営みは変わらず続く。
いやそれ所か、より貧しく、苦しく、辛く、悲しく、疲れ果てて。
そんな中からまた見つけていかなければならない。
ありふれた日常を。ささやかで満ち溢れた幸せを。
この喧騒とした世界。
その日陰のような片隅で、ひっそりと美しく咲く一輪の花。
再び、毎日を明るい色で描いていく。
私たちは生きている。生きていく。
昭和19年、故郷から呉に18歳で見知らぬ男のもとに嫁いだすず。海軍...
昭和19年、故郷から呉に18歳で見知らぬ男のもとに嫁いだすず。海軍の拠点である呉はすぐさま空襲の標的となり、戦火がじわじわ忍び寄って来る日々を家族とともに健気に暮らしていたが、ますます激しくなる戦火がすずから大事なものを少しずつ奪っていく。
真っ向から戦争そのものを描くのではなく、主人公達が慎ましく暮らす様を繊細なタッチで描き、あくまでも明るく健気に生きるすずの姿を通してかの大戦がもたらした取り返しのつかない惨劇を見つめるドラマ。涙がとめどなく溢れ、客電が点いても暫し立ち上がれず、立ち上がってもまた感情がぶり返して泣き崩れてしまう・・・要するに本作は映画史にくっきりと名を残すべき大傑作。これをスクリーンで鑑賞できたことにもう感謝の思いしかありません。
今度こそ間違ったバスに乗らずに済むだろうか?
初めて『君の名は。』を見てしばらく経った頃、『聲の形』や『この世界の片隅に』も凄い映画らしいという噂をネット上で見かけ、『聲の形』と『この世界の片隅に』を同じ日に見に行った。
2つとも噂に違わぬ大傑作で、私が今までに見た映画のベスト10を塗り替え、
『聲の形』は7位に、『この世界の片隅に』は6位に、新たに入った。
『この世界の片隅に』を初めて見たのは公開から約1週間経った時期だったが、その時点では私の住所の近所に上映館が無かったので、わざわざ隣県の映画館まで足を運んだ。――そこまでしても十二分におつりが来る程の素晴らしさだった。
戦争について深く考えさせてくれる作品としては、
『ジョニーは戦場に行った』に匹敵する大傑作と言える。
『ジョニーは戦場に行った』と『この世界の片隅に』を続けて鑑賞したなら、戦争についてさらに深く考えたくなるだろう。
『この世界の片隅に』は第2次世界大戦をテーマにした映画であるが、少なくとも全体の2/3ぐらいにさしかかるまでは戦争の陰惨なイメージは感じられない。
その大きな要因は主人公・すずの人柄ゆえであろう。
何と言うか、「ほんわか」という形容がぴったりくる、見ていて癒されるあるいは微笑ましくなるような人柄だと思った。
すずさんをとりまく環境もどこかのんびりしており、
「本当に戦争中なのか?」と訝しくなるぐらいだ。
とは言え、戦艦大和建造地と思しき場所を通過しようとする列車で唐突に全ての窓が閉め切られて車内が真っ暗になったシーン1つ取っても、時代考証が疎かであるとは思えない。
(戦時中は一般庶民には極秘だったはずの大和型戦艦の情報をすずさんが知り得る程度に情報が漏れてる件には少し違和感を覚えたが、「情報漏洩防止の難しさ、あるいは旧日本軍の情報戦能力の脆弱さを描写したものだろう」と思って脳内解釈した)
満席だった上映室ではのんびりしたすずさんの日常に対する微笑みと思しき微かな笑い声がたびたび漏れたが、物語が進むにつれ、すずさんをとりまく環境にも戦争の陰惨さが忍び寄ってくる。
そして、その陰惨さは不意打ちのごとく牙を剥く。
空襲で落下してきた時限爆弾が炸裂し、すずさんの姪・晴美の命とすずさんの右手を奪った。
そのシーンでは、映画を見ている私自身の右手がちゃんと存在するのを半ば無意識に確かめる程に、すずさんに感情移入した。
……大なり小なり創作活動をする者にとって、利き手を失うという事は、想像するだけでも悪夢である。
大きな精神的衝撃を受けたすずさんにさらに追い打ちをかけるかの様な、敗戦の報。
ここに至り、すずさんは激情をあらわにして号泣する。
その激情の大部分は「悔しさ」であると感じられた。
私が思うに、この映画が伝えたい事の1つは
「戦争の陰惨さや理不尽は大勢の人が気付かないうちに忍び寄ってくる」
と言う事ではないかと思う。
大正から昭和初期にかけての日本は不景気ながらも、世界全体から見れば、一般庶民がそこそこ平穏に暮らせる程度に、平和だったという。
その当時と今の日本が似た状況に在る様な気がしてならない。
(世界の強国と言われる国々の間で火種がくすぶっている様子が、溢れる雑多な情報の隙間から垣間見える)
今度こそ、間違ったバスに乗らずに済ませたいものだ。
ところで、最近の某イラスト投稿サイトでは、
「戦後に義手を付けて再び創作活動に勤しむ、すずさんの絵」を時々見かける。
ほんわかした人柄の中に激情を秘めたすずさんの事なので、映画で描かれた時代の後、めげずに再び絵を描く決心をしたのだと、信じたい。
食べて笑って生きていく。
クラウドファンディングによる公開と、のんが声優で復活と
いうことで少しずつ話題になっていった作品が、今では凄い
反響をよんでいる。のんが主人公すずと見事にシンクロした
この作品は、戦時中の市井の人々を温かく描き出しユーモア
に満ち溢れている。彼女の声が目の前に広がる悲劇を和らげ
おそらくは皆がそうしたのであろう生活を淡々と描いていく。
呉に嫁入りしたすずはそのゆったりとした持ち前の明るさを
武器に優しい夫や両親、口煩い小姑(緑子か?)と毎日働いて
いくのだがそれは終生変わらない。妄想好きなすずが冒頭で
何かを発見し、それがラストに繋がる演出には号泣なのだが
爆弾が降る日々の生活の中で逞しく家族を支えたのは戦争に
駆り出された男たちも、家を守った女たちも同じに違いない。
敗戦で日本がどうなるかなんてことより明日の食糧難を考え
なきゃならない女たちには終戦を伝える玉音放送だって長い。
はぁやっと終わった、よっこらしょ。なんて笑ってしまった。
そうだよな、皆こうやって何も分からないまま毎日を必死に
生きた時代なんだ。野花も人間もこの世界の片隅でささやか
に咲きささやかな一生を笑いながら生きていきたいと願った。
戦中戦後だけでなく、全ての人に共通する想いが溢れる作品。
(夫婦の関係もよかった。夫にはすずが初恋の人だったんだね)
素晴らしい映画
今後も語り継がれるであろう作品だと思います。
本当に素晴らしかった。
誤解されがちだが、「戦争はダメだ!」とかいったただの反戦映画では無いという事。
戦時中の広島ともあればそう捉えられるのも無理は無いが。
(自分も最初はそう思ってました笑)
あくまですずさんやその家族のただの日常がメインのストーリーです。戦時中だって日常はあるし、楽しいことも悲しいこともあるし夢を持ったり愛を育んだり。ほんとに今と変わらない人達の普通の営みがそこにはあって、そこにたまたま戦争があっただけの話なのです。
でもそのたまたまの戦争によってすずさんは日々試行錯誤を繰り返しながらもご飯を作り洗濯をして。でもその戦争によってすずさんの好きな絵を書くことまで奪われてしまう。。。
それでもすずさんは前を向いて一生懸命生きようとする。。
その姿に心を奪われるのです。
でも基本はほのぼのしていてしかも結構笑える映画です笑
原爆が落とされた「あの日」のシーンの直後にも笑えるシーンがあるくらいこの大きな戦争という要素に物語が負けていないのです。
そして勿論戦争の恐怖もあります。
カウントダウンしていく演出の為自分達はその日付を知っています。
「早く春にならないかなぁ」の後誰もが「いや、ならないほうが・・・」と。。。
ただ全体的にはほのぼのしていて笑える映画であり、愛もある映画なので誰もがみやすい映画であることは間違いないです。
そしてやはりすずさんの声ののんさん!
すずさんはのんさんである!
素晴らしい映画です。
とにかく心が震えた
絵のタッチはものすごく漫画っぽいのにやけにリアルな体験をした。
普通の戦争映画だとずっと戦争のシーンが続くため、どこか非日常、おとぎ話的な感じがするが、この映画だとあくまで日常が主体でそこに戦争が入ってくる。だから自分たちの生活の地続きに感じられリアルだし、敵襲を絵の具で表現したところや、防空壕が襲われるシーン(特に音響)など観たことない衝撃で印象強く、とにかく感動した。(感動した=泣けるという意味ではなく、なんとも言い難い心にズンとくる驚きや楽しさや怖さが伝わった。)
本当の広島だ!本当の呉だ!
描写の一つ一つが細かく描かれてて、本当の広島や呉にいながら彼女たちの物語を観ている様な気になります。(当然見たことはないんですが)一方でコミカルなシーンで早回しで説教するところがあったり、主人公の心情を絵で表したり、アニメならではの独特な表現も満載です。
しかも台詞にもリアリティーがあって、冗談の言い方や、各々の話が重なったりして、この人たちが「この世界の片隅に」いたんだと感じることができます。
原作をなぞっているからなのか、一話一話のオチをそのまま入れてくるのがちょっとクドく感じましたが、それも良さかな?
観ている我々は原発がいつどこに落ちるか、戦争の結果はどうなるか、オチを知っているわけですが、その事が逆に彼女たちを可哀想に思うことにつながり、タイムリミットが近付くごどにどんどん作品に引き込まれていきます。
色んな戦争の物語を見てきましたし、戦争を苦しみを「毎日空襲が来て怖いだろうなあ」くらいには分かっていたつもりですが、この作品のように周囲のプレッシャーや自分への責任に苦しみながら生きていかなければならない人々の姿は、想像出来ませんでした。
話題先行ではないし、絵が綺麗なだけで騒がれている作品ではありません!
是非見に行ってほしいです。
一言では言い表せられない歴史に残るアニメ。
タイトル通り、この作品は、一言では言い表せられません。
大切な何かを失ってしまいそうだから…
普通の映画なら、「ここのシーン」「あのシーン」と説明出来るが、この作品は、全てのシーンが不可欠である。全てを見ることによって込み上げてる作品の完成度は、今迄のアニメでは成し得なかった新たなる次元を超えた表現へと達している。
そして、もう一つはクラウドファンディングによる「市民」からの情熱を持ってして作り上げられた作品。というのもまたこの作品の力強さ、そして製作陣の執念を感じます。
すごいよかった。
なんも思わんウチのまま死にたかった
ちょっとこまいかねぇ
やっぱりこれ洗濯してください
セリフが強い。
戦争やっぱり何があってもダメだし
いろんな人と助け合って笑って生きていきたい。
人生に残る作品
少しぼんやりしているすずさんの嫁入り騒動記。
当時の生活や風習を丁寧に描写しているので登場人物の実在感が半端無い。故にその日常にいきなり乱入してくる空襲や機銃掃射の恐怖感は短いカットだが際立つ。
生きていれば楽しい事、悲しい事、辛い事、失ってしまった事、後悔する事、色々あるけれど。
だけど無くした事で逆に得る絆もある。
だから頑張って生きていきなさい。
これは優しい人生の応援歌。
この世界の片隅に
テンポがとても良く、映像にも引き込まれました。
戦争という現実の前で様々な事が起こり、一つとっても結構な重みがあるのですが、それを軽やかに描いていく。
すずさんはじめ、当時の方のたくましさ、しなやかさが心に残ります。
息子を亡くしたお母さんが、泣いてばかりだと、塩分もったいのうもんねぇ〜と笑い飛ばす。
大好きな母親も父親も同時に亡くしたのに、すんなりと受け止めるすず。
戦争という現実の前では、悲しい事を悲しめないのかな、、
ただ、それが悲壮感ではなく、人間の力強さとして感じられるので、爽やかで清々しい。
全て嘘でも強がりでもないのだけれど「ぼーっとして死にたかった」は張り裂けた想いだったんだろな。
すずさんの、真っ直ぐで、ただ複雑な不安定さもある中で、難しい世の中を生き抜いてる姿に、心揺さぶられました。
したたかであることの幸福と悲哀
広島に生まれ育ち、父が呉の出身であることから、ある使命感のようなものを持って鑑賞しました。
とても良作の映画でした。
最後に残った感情としては、やはり表現に戸惑うものがありますが、とめどないやるせなさ、切なさ…という言葉がなんとか当てはまる、そんな想いです。
この映画の特筆すべきはやはり、日常に溶け込みながら、平坦に、けれど確実に、戦争の脅威が人々を呑み込んでゆく描写。
まさに日常と表裏一体のように進んでゆくそれが、ただ恐ろしく感じました。すずや、取り巻く人々の笑顔や素朴な生活が面白く、丁寧に描かれるほどに、その恐ろしさは絶えず際立ちました。
すずたちにとって、初めは些細な生活の変化だったでしょう。
なんとなくご飯が少なくなって、着るものも質素に、できる限りの節約を…と。戦況悪化の過程では、普通に生きる人々の笑顔はまだまだ失われず、このまま皆でいることを疑いもしないのです。
けれど、振り返ったときには目の前にいたように、
焼夷弾が、原爆が「ふいに」落ち、火を放ち、すずたちの大切な生きる証を奪ってゆく。
すずが作中後半から見せる混乱と憤りからは、戦争が、悲しみをぶつけるにはあまりに形を成していないことがよくわかりました。叫んでも殴っても空を切るように、戦争とは当時、世の中そのものだったのでしょう。
だからすずは、懸命に工夫を凝らして生きようとすることで、屈しないこと、変わらないことを証明して、大切な人たちを守ろうとしていたように映りました。
鑑賞していて、絶えずじわりと心を揺さぶられていたのは、すずのそういったしたたかさが、ずっと伝わってくるからだったように思います。
失っても、亡くしても、残された人は生きていかなければならないし、時間が経つにつれ、普通であることはどこかで戻ってくる。
けれど、その中に確かに、喪失の恐ろしさと痛みは重なっていっていて、どこかでまた起こるかもしれない。
「戦争」と「日常」が、ぴったりと寄り添うように描き切られた作品として、唯一無二でした。
この映画はひとりでも多くの人の目に、映って欲しいものだと心の底から思います。
言葉にならない
上映中、館内のあちこちからかすかなすすり泣きが聞こえた。
アニメだから、の、胸に染みる空気感。
思い返していろいろ考えると、いやいやでもと言いたくなるところもあるが、観ている間はすんなり素直に感情移入して観ていた。
映画館で観て良かった。
また観たい。
こんな話ですけぇ
ピカドンに向かって進むストーリー構成
『あまちゃん』もあの日に向かって
話は進んでたなぁ~、などと
思いつつ。
木訥とした喋り方のヒロイン像もそうか
エンディングの描き方も、人間の
リアルが出てる気がして、
『君の名は』より良かったなぁ~
週末の最終回やったから最前列の最後の
一席をゲットして観れた作品。
この世界の片隅で、心に響いてる
おっさんがいます。
ちょい残酷な童話
絵本みたいな画風/スタイルでありながら、現実にいる人々の共感を起こし、色々私たちに考えさせるのがこのアニメ映画の最も優れたところじゃないかなーと。
ストーリー上には二つの部分で分けられると思う。すずが自分らしく暮らすのと、戦争で失ったものもあったあと心が動揺してる部分。
もともと女の子一人、そしてお嫁になったあとの一人の生活を中心に、その女の視角から戦争を表現するのはもう全てを生活化したものである。(特に女の子の目線と気付くのは、はるみと海軍軍艦に興味を示すなどのところ、戦争に対する予備知識不足も晴美の死・すずは手を失うことに繋がるのだろう)
その中、結構絵本っぽい画風であっても夏に家で寝転んだり、天井を見つめたりするシーンは妙に共鳴を起こす。教室で鉛筆を削るところも。それゆえ、戦争の原因で生活上に起こった些細な変化もそのまま観客に伝わってくる!戦時はそんな感じだなあーと感心できる。
前半のときすずは料理に夢中になったり、服づくりや絵描きもしたりしてマイペースで虚しい戦争環境への反抗とでもあって生きられ、他人事のように戦争の話をしたり憲兵のことでただ笑ったりしたが、後半には失いものもあって特に絵を描けなくなるショックは反映される。昔のこと(前半)に対して一種のノスタルジー(晴美との楽しい時間をおもいだすなど)もあり、戦争そのものの悪影響がどんどん広がっていくのが感じられる。
戦争の中、すずは物作りもして、戦争の破壊に対してまだ根強いところを見せたが、また自分の居場所について考える。どこに行っても戦争から逃れることできず、映画の中にある広島の道並みは絶望の匂いがする。最後には、自分が強くなること、自分らしく生きることが唯一の道だというメッセージもあるのだろう。特に日本が太平洋戦争に負けたことに対して、すずは今まで何なんだろうというふうに問いかける。それは勝負のことより、日本が戦争/侵略への道を選んで何がいいということに問いかけてると捉えたい。
そして人に考えさせるだけでなく、この映画のスタイルも好き。所々で人を笑わせるし、人物も広島の環境もかわいいところがあってそれらにも惹かれる。すずは絵描きが上手という設定はストーリー上にもスタイル上にも貢献する。そのおかげでかわいい要素も増え、暖かい絵になって戦争の残酷さとの対比が鮮明となる。一方、戦争も絵のように表現されるところがあり、飛行機の周りの爆発は、花火のように空で咲き、代わりに絵で表現するシーンだったら水彩が彩る。戦争も、単にすずの絵にあるものなら...
また最初のシーンで水原くんが海を眺める場面をすずは絵にした。その時一瞬全て絵になって水原くんはその絵の中にすずの書いた絵を持って移動する。海と空は綺麗な色で繋がり、海には無数のうさぎ。それは、あの時天真爛漫なすずが目にしたもの。そしてそのシーンは誰においても印象を残すのだろう。それは映画の最後まで、主人公すずそして観客の記憶・思い出となる。
そのほかにもこの映画はメッセージ伝達に色々工夫して、アニメは一体どこまでできるのか、実写映画との違いは何なのかを、教えてくれる。何回もスクリーンが数秒黒くなり、人物の輪郭だけきらめく。樹に引っかかった窓のフレームに小さなフレームごとにすずの広島の家への思いを示す。これらの発想一つ一つ巧妙で製作者が工夫したことを伝えてくる!
人の目を引く以上、アニメーション映画の固有性、アニメしかできないことで色々人に感動を与え、今の生活まで影響を及ばすこともできる考えをさせる必要もある!広島原爆をも題材に、平和を呼び掛け、人に歴史を忘れないようにすることが大事。
心のかさぶたをいじるような
観てから一週間経った今でも、心のどこかがウズウズして思い出す。かさぶたをいじるように、自らの痛みを心地よく感じるように思い出す。
結論がハッキリと分かりやすい映画ではないので、つまらない人にはつまらないと感じると思います。
そんな私も岡田斗司夫氏が大絶賛していたので、期待をして行き、観終わった後は、こんなものかと思っていました。
しかし、涙は自然と流れ、じんわりとよく分からないものが心に残り、ずっと気になり、原作を買い、ほうぼうのレビューを見て納得がいきました。
絵柄はリアルじゃないですが、その日常はリアルに感じられます。
人があっけなく簡単に死に、それが日常になると悲しみも無く。整然と進軍してくる戦闘機を美しいと感じ、恐怖を覚える前に蹂躙される。
そのリアルを前にすると、人間がとても小さく見えます。
片隅に生きるのは、すずさんだけではなく、私たち自身も小さく儚いのです。いつ死ぬかも分からないし、どんなに頑張っても、片隅の物語にしかなりません。
だけど、支えあう周りのみんなの気持ちが、ものごとの大きさの執着を捨て去ってくれます。そんなものはくだらないよ、と。
様々な経験をし、秘密を抱え、他人の秘密を知りながら気遣い、いたわりながら支えあう。とても優しい気持ちになれます。
現代のインターネット社会のように、他人の揚げ足をとり、さげすみあう姿が矮小に感じます。自らの小ささを認められれば、他人を気遣い、優しくなれるのだろうか。
観たほうが良いとは言いません。若い人がこれを観て分かるのだろうか? と思うからです。ただ、年を経てから観てもらえれば、分かってもらえるだろうし、何かの救いにはなると思うのです。
この映画は反戦映画ではないでしょうが、戦争になれば誰かが死に、自分も犠牲になるかもしれません。それでも、誰かの一部になって残るのだと思います。この映画のように。
あと、すずさん萌えがあるのは否定しません。
声優ののんがバッチリとはまり、こんなお嫁さんがいたら良いなと、感情移入してしまいます。でも、そうじゃないです。本当に。
いわゆる、日常系
「君の名は。」が、もてはやされている中、ひっそりと公開され、かなり高評価で、そこそこヒットもしているらしく、
前情報無しで観ました。(戦争アニメなのは知ってました。)
一般庶民のリアルな戦争体験とは、こう言うものなのだろうな。というのが最初の感想です。
「すず」という女性の日常を描きながら戦争がどのように、その日常に食い込んできて、巻き込まれるのか。
悲しいけど人生は続いていく。
のほほんとした、コメディタッチでありながら、
どこか儚い印象。
素直に良い作品だと思います。
原作未見の為、内容として??な部分で、周作が一目惚れで、すずを嫁にくれとなりましたが、籠の中での出会いだけ?
哲という幼馴染みが嫁ぎ先にやってきて、実は・・な感じで、情事になりかけてますが、絵を描いてあげたシーンしかなく、お互い意識してたの?籠の中の花が好意を表している?
この辺は、はしょられてるんですかね?
リンは、あの座敷わらし?
最初と最後の鬼は?なんなんだ?最後の鬼は、兄に例えてる?
駆け足で描かれているのか、私が読み取れてないだけなのか。
後、最後、孤児引き取るのですが、その孤児が原爆で被災にあって死んだ母親の元を離れるシーン、かなりグロいですが、若干違和感感じました。
間接的な表現で戦争を日常の中で描いていたのに、あの部分だけ、直接的な表現になっています。
あのシーンは、孤児を引き取るだけで良かったのでは?
最後のスタッフロールの時、失った「すず」の手が、恐らく観客に向けて手を振っている?映像がありましたが、あれは不気味さしか感じませんでした!
どんな意図で入れた映像なんでしょうか?
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