この世界の片隅にのレビュー・感想・評価
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この世界の片隅に
すずが描いたその世界の片隅に
今月3本目の映画鑑賞でしたが、いずれも旧作、しかも戦争をテーマにした作品ばかりでした。やはり8月ですね。
今回は、のんが声優に初挑戦したことでも話題となった『この世界の片隅に』を鑑賞しました。のんのフワっとした声は、主人公・すずののんびりとした穏やかな雰囲気にぴったりで、まさに適役。絵柄も劇伴も穏やかなトーンで統一されており、全体として非常にゆったりとしたテンポの物語でした。
とはいえ、時代は戦時中、舞台は広島と呉。物語は、敗色濃厚となりつつあった昭和19年、18歳のすずが広島の実家から呉へ嫁ぐところから本題に入っていきました。夫・周作(細谷佳正)とは、実は子どもの頃に出会っていたものの、すずは見合いで初めて会ったと思っており、結婚後は周作の両親、姉の径子(尾身美詞)、そして姪の晴美(稲葉菜月)とともに暮らし始めます。
当初は、戦時下にしては比較的穏やかな日々が続きますが、戦況が悪化するにつれて連日の空襲に晒され、やがて悲劇が訪れます。すずと晴美が外出先で空襲に遭い、遅発性の爆弾により晴美は命を落とし、すずも右手を失ってしまうのです。
迎えた8月6日、すずは広島に帰るのかと思いきや、結局呉に留まって原爆の直撃こそ免れますが、実家は被害を受けることになります。
こうして物語を振り返ると非常に悲しい内容ではあるのですが、同じく戦争をテーマにしたアニメである『火垂るの墓』と比べると、本作はまったく異なる印象を受けました。それは主に、以下の3つの特徴によるものだと思います。
1. すずの穏やかな性格
すずは、生来の穏やかな性格から、戦時中であるにもかかわらず、日常を大切にしようと生きていました。それが作品全体のトーンにも表れています。絵柄や音楽と相まって、物語は柔らかな雰囲気に包まれていました。ただし唯一、晴美の死に際してはその穏やかな流れが大きく揺さぶられ、悲劇の衝撃がより強く印象づけられていました。
2. すずが描く“絵”の存在感
本作最大の特徴は、折に触れてすずが描く“絵”の存在でした。子ども時代に学校で描いた絵、妹に漫画風に描いて読み聞かせた絵、同級生の哲のために描いた白波を鳥に見立てた絵、嫁いだ後に迷い込んだ楼閣エリアで出会った女性のために描いた“スイカとキャラメル”の絵、そして軍港の軍艦を描いて憲兵に叱られる場面──これらのエピソードを通して、すずの絵は本作の空気感や彼女の心情を映し出すものとして機能していました。そして、右手を失って以降、絵を描けなくなったすずの姿は、観る者にとって“この世界”が終わってしまったかのような喪失感を与えます。
3. 絶妙な伏線とその回収
例えば、遅発性爆弾について事前に説明があった上で、晴美が命を落とすという展開。あるいは、晴美を喜ばせようと描いた軍艦の絵が憲兵に咎められるくだり──いずれも非常に巧みに構成された伏線と回収がなされていました。特に印象的だったのは、プロローグとエピローグに登場する“怪物”の存在、そして爆発の瞬間に「晴美を左側に置いておけばよかったのでは」という悔恨の念とラストで登場する晴美の“生まれ変わり”とも思える浮浪児のエピソードでした。これらはメルヘン的とも言える演出でしたが、すずの悲しみと再生を象徴的に描き出し、非常に効果的かつ印象深い締めくくりとなっていました。
戦争を背景にしながらも、静かで優しい時間が流れる本作は、日常の中にあるささやかな幸せの尊さを改めて思い出させてくれる作品でした。すずの絵のように、柔らかく、でも確かに残る余韻のある映画でした。
そんな訳で、本作の評価は★4.8とします。
アニメ作品のリバイバル上映ではあるが是非
今年177本目(合計1,718本目/今月(2025年8月度)5本目)。
アニメ作品とはいえ、この時期特有の戦争もの(原爆もの)であり、実は見たことがなかったので見てきました。
当時の呉市は軍港であり、原爆投下の被害を受けた広島市よりもそもそも人口が多かった(というより、広島市は地形が複雑で(当時の水準では)住むにはあまり適さなかった事情は確かに存在します。現在でも路面電車等が複雑な状況になっているのはこの事情)。
こうした事情がある、当時、広島市より栄えた呉市をテーマにした作品で、実話ではないですが、原爆投下等は史実通りですし、呉市の描写などもかなり正確なので(はじめて放映された当時は呉市の観光ツアー等もあった模様)、その意味では、純粋たるアニメ作品と映画との中間的な立ち位置(後者に近い)になるかなと思います。
映画の最後のあたり、いわゆる終戦のラジオ放送を聞いた後に多くの人が落胆するところにおいて、朝鮮半島の独立旗がかかるシーンがあります(当時は韓国、北朝鮮ともに成立していないので注意)。呉市は当時軍港であったため、一定程度の当事者が労働しており、このことを反映しています。また、「こうした人たちで私たちは生きていたんだなぁ」という発言も、当時の主婦(ここでは便宜上使用する語。少なくともその当時は女性が家事をするしかなかったので)は、戦争の情勢の悪化とともに、米の配給等も少なくなり、無理にでも闇市等で手に入れることも多々ありましたが、映画内でも描かれるようにお米を毎日炊く彼女は(というより、当時の一般的な主婦は)、おおよそ、その米がどこ産で、おおよそどの国の割合で混ざっているかは把握しており(当時の日本では当然、日本国産100%などということはあり得ず)、そのことを反映したセリフになっています(原作コミック版ではもう少し過激な発言になっているようですが、無用な誤解を招くということで変更された模様)。
なお、映画ではそこまで出てきませんが、広島市への原爆投下後、呉市にはある程度施設が整っていたことから一定数の流入があり、また、戦後(降伏後)は、オーストラリア軍の指揮下に置かれた事情があり(西日本は原則イギリス占領。その中でもオーストラリア占領となったところもあり、呉市が代表)、現在でも呉市とオーストラリアの当時の交流を示すモニュメント等もおかれています(映画内ではこの降伏後のことまでは描かれていない)。
採点に関しては、以下まで考慮したものの、フルスコアにしています。
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(減点0.2/呉市の語源の取り上げ方に偏りがある)
ラストあたり、「呉は、周りに九つの嶺があることから「くれい」から「くれ」になった」というような発言があります。確かに現在の呉市もこの立場を取りますが、呉市の「くれ」がどう形成されたかはこの説以外にもいくつかあり(トンデモ論等はともかくとして)、他ににもいくつかあります。この点は断定的な発言は避けるべきだったのではなかろうか…と思えます(ただ、「当時の」当事者にとってはこの説が通説的に信じられていたように思えるし(戦時中、戦後の混乱期において、地名の語源を詳しく語るような人はおよそ想定できない)、ある程度仕方がない部分はあります)。
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ただ涙を流すだけじゃなくよく考えみよう
ずっと見たかった作品で、今回終戦80年の再上映のタイミングで鑑賞しました。人生ベスト5に入る名作で、誰もが1度は見なければならないと思います。
私たち日本人は知識や経験に大きな差があるとはいえこの時代を知っていて、何となく展開が分かってしまうことで、映画で追体験することができます。登場人物の大変ながらも幸せな日常が丁寧に描かれていることで、あまり直接的に描かれていない辛さ・汚さ・苦しさなど、様々な面を想像することができます。
きっと戦争に対する知識や思い、また世代によっても違った捉え方になると思うので、評価の差はそこに出ると思います。正直私はマイナスな部分はありませんでした。
長尺版の「さらにいくつもの」もあると思いますが、もう1度見るには涙が出すぎて疲れるので時間をあけます。終戦80年のタイミングで、この8月に見るべき作品です!
戦後80年記念上映に寄せて
【この世界の片隅に】
戦後80年なのでリバイバル上映される、舞台挨拶もあるというので、新宿テアトルに観に行ってきた。
のん氏がインタビューで話したこと。
主人公すずは自分の感情を表に出すことが苦手だが、絵を描くのが好きで絵を描くことで日常のちょっとした感情を発露していた。でも米軍の昼間爆撃で時限信管による爆発で義理の姪の命と自身の右手を失う。それを契機に描くことができなくなったゆえか、性格が変わり激情的になっていく。そこが演者として一番気付きを受けた事だと。
なるほど、そこは気付かなかった。
でもそのすこし前、巡洋艦乗りの水兵となった幼馴染が半舷上陸で嫁ぎ先にすずを訪ねてくる。水兵を家に泊める事は許さず納屋に泊めた旦那が、しかし、すずに水兵のもとに行くことは許す。そこで水兵はずすに南洋で拾った鷺の羽を渡し、それをペンとし昔のように絵を描くように促すが、すずは何故かうまく描けない。きっと既にすずはもう変わり始めていた。ややエロティックな場面であるが、昔、思いを寄せていた幼馴染との今生の別離を、そして、自分の人生を自分で生きていく決意をした瞬間だったと今になって思う。
この映画がほかの凡百の作品と一線を画するところは、先の戦争を描いているが、決して反戦とか非戦のメッセージを直接的に表現しなかった事。片渕監督はそれをなぞなぞとして埋め込んでいるという。自分の頭で考えてそれを見つけ見定め判断することを観客に課している、それは非常に冷徹な姿勢だと思います。
だからこそ、すずさんの時代を生き、生き残った人たちの話を聞き、普通の人々の思い、それは多分に主観が入っているかもしれないが、、当時呉で起きた大きなことや些細なことを長い時間をかけて調べ、緻密に構成しリアリティのあるパーツとして映画に落とし込む。そしてあとは、今を生きる者たち(のん氏や監督自身を含めて)が考えることなんだよと提示して見せた。
すずさん(架空の人物)は数えで今年100歳になる。彼女が生きた時間は87万時間に及ぶという。でも映画が描いた時間は作中では11年、映画として切り抜かれたのは2時間だけ。その切り取られた2時間のフレーム越しに見える世界をどう感じるか、問われているのだと思う。
自分は昭和43年生まれだが、それはまだ終戦から23年しか経ってない時代、何か不思議な感じがするが、かの時代と地続きの未来に生きていると8月になるたび思いを馳せる。
この映画は今世紀のベストワンです。
実在の人物の半生を元に脚色したコミックが原作。ただの残酷な戦争映画とは違って、戦禍の中でも普通の生活を続けようとする主人公の無垢な心が涙を誘う良作
原作は未読でしたが、戦後80年を記念しての期間限定リバイバル上映だったので、色々と予習をして観て来ました。まず原作者の柔らかみのある暖かい絵柄を踏襲して動く絵本のような優しい雰囲気で物語は始まります。
主人公の浦野すずは、ちょっとおっちょこちょいなところがあるけど、絵を描くのが大好きな優しい女の子。両親・兄・妹と五人家族で広島で暮らしている。ある時、海苔を作っている祖母の手伝いをするために草津港の祖母宅に家族で行くが、ひょんなことから縁談の話が持ち上がる。最初は躊躇したが、呉にある北條家に嫁ぐことが決まる。
夫の北條周作は呉の鎮守府に務める事務方の軍人。生真面目で周りからは暗いと評されるが、すずには深い愛情を持つ心優しい人物。他に両親と出戻りの義姉、黒村径子と義姉の娘の晴美がいる。径子は最初の頃すずに嫌味な事を言ったりするが、いわゆる「ツンデレ」な気質があるので、後には優しい一面も見せる。・・・と、昭和10年代の普通の庶民の生活を描いているのはここまで。
いざ戦争がはじまると、物資が足りなくなって配給制になるが、配給切符を持っていてもすぐに品切れになって買えなかったりするので、闇市を頼る事もしばしばある。そんな生活の中ですずは持ち前の発想力で、食べられる草を探して来たり、少量の米で量を水増しして炊く方法を見つけたりして、家族が今まで通り笑顔でいられるように知恵を使う。
呉は軍港なので、ミッドウェー海戦で敗北した後は昼夜問わずに米軍機の空襲にさらされることとなる。すずは晴美と一緒に病院に入院している義父を見舞いに行くが、帰り道で空襲に遭い、直撃は逃れたものの時限式爆弾の爆発で、右手前腕部と晴美を失ってしまう。ほぼ同時期にすずは兄の要一も南方戦線で亡くすが、帰ってきたのが遺骨ではなく一個の石だったため、すずの一家は要一の死を容認できずにいる。
径子は娘を失ったことで最初はすずを攻め立てるが、右手を失って大好きな絵が描けなくなり、家事も上手くこなせなくなったすずを気遣い苦手だった家事にも精を出すようになる。すずは晴美を死なせた罪悪感から広島へ帰ろうとするが、それを必死に引き止めたりする。
原爆の投下ですずは父の十郎を亡くし、母のキセノは行方不明になった。妹のすみは一命を取り留めたが、原爆症で働けなくなり、祖母の家に引き取られてひっそりと暮らしていた。妹を見舞った後、周作とすずは広島の街中で戦災孤児の女の子(映画では名前は不明)と出逢う。女の子の母親は爆風で右腕を失って亡くなっていたので、右腕のないすずに母の面影を見てすずに懐いてくる。その姿を見て周作とすずは呉に連れて帰り、養女として迎える事となった。
「戦災孤児の女の子」を見た径子は、亡くした晴美と似た背格好だったことから、晴美の着ていた服を直して着せてあげたりして快く迎え入れた。エンディングでは径子と孤児の子とすずが、おなじ生地で仕立てた服を着て仲良さげに微笑んでいるシーンが泣かせるポイントの一つ。
制作費の一部をクラウドファンディングで賄ったことから、エンドロールに沢山の協力者の名前が出てきて、原作段階からとても愛された作品なのだと実感しました。
「この世界の片隅に」から学ぶ、“マルチ”に生きる力と経営の本質
映画『この世界の片隅に』は、戦時中の広島・呉を舞台に、普通の女性・すずの日常と非日常が交差する様子を描いた作品です。経営者としてこの作品を観ると、「当たり前の日々」の重みと、「見えない影響力」の大切さに強く心を揺さぶられます。
すずは決して特別な能力を持っているわけではありません。しかし、彼女の素朴な感性や前向きな姿勢は、家族や周囲の人々に静かな安心と光をもたらしています。この“日常を守る力”は、私たちが事業で関わるスタッフ、顧客、そして社会への貢献にも通じると感じました。
現代のビジネスでは「マルチ」という言葉が多様な意味で使われます。マルチタスク、マルチチャネル、マルチレイヤーの組織運営…。すずのように、複数の役割を自然体でこなし、戦時下という極限状態でも人の心を守っていく姿は、マルチの本質を“利己的ではなく利他的な力”として捉え直すヒントになります。
また、限られた資源や情報の中で「創意工夫」するすずの行動は、制約の中でも成長や価値創出を諦めない経営の在り方と重なります。生きること、働くことの根本に立ち返らせてくれる本作は、単なる戦争映画ではなく、現代の私たちに必要な“視点の転換”を促す一作です。
食卓
理不尽な戦争
自らの感受性の衰えを感じさせた映画
「個人的な体験」としての戦争
大正14年生まれという設定のすずさんは今年100歳になる。そして終戦80年。やはりキチンと観ておくべきと思ったので原作漫画も読んだ上で本日、映画館で作品を観た。
まず思い出したのは、昭和4年生まれの父と、昭和6年生まれの母。どちらも既に亡くなったが、すずさんの少し下の世代となる。登場人物ではすずさんの妹のすみさんと同じくらいか。
父は海軍兵学校に進学していた。母は大阪で空襲に遭って家を焼かれた。ともに戦争の記憶は濃厚に持っていただろうがあまり子どもたちにそれを語ることはなかった。でも家の書棚には普通に「きけわだつみのこえ」とかがあって戦争はごく間近に感じ取ることができた。ちなみに原作者のこうの史代さんは昭和43年生まれ。34年生まれの私のほぼ10年年下となる。おそらくはこのあたりまでがごく普通に家庭に戦争の記憶が持ち込まれていた世代なのだろう。こうのさんのお母様は呉の出身だったそうだから、この作品には何らかの影響は与えているものと思われる。
戦争に限らず、さまざまな記憶は親から子に伝承される。それはいわゆる「語り部」という形ではなくても、日常会話、ふとしたしぐさやクセ、好き嫌いの感情、家に置かれた物、などから伝わる個人的な体験である。そうして残念ながら世代が隔てられれば伝わらなくなる。80年もたてば戦争は親の体験、祖父母の体験ですらなく、曾祖父母の体験であったりする。何も知らなくても当たり前であり、そして個人的体験としての記憶がなければ、戦争へのイメージは抽象的な理屈による表層的理解と結びつく。それが右であっても左であっても。
戦争を知らない、伝えられていない世代のつくる本作品は、原作をリスペクトし綿密に取材も行ってきちんとした映画化がされていると思う。でも、周平とすずの夫婦の関係性は原作にもましてあの時代にはあり得ないほど現代的だと思うし、全共闘世代の楽曲である「悲しくてやりきれない」が使われているところなども違和感は感じる。それでもすずさんという人の個人的な体験を通して時代、戦争を捉えていこう、その記憶を共有化しようとする試みは高く評価できる。
最後に、私はあまり映画では泣かないのだが、エンドクレジットのイラストで涙がとまらなくなってしまった。すずさんが広島の焼け跡で拾った戦災孤児に晴美のスカートを履かせてやるのだが丈が足りない。継ぎ足しているのはあれはすみさんが持ってきてくれた純綿の布地ですよね。
実写、アニメを問わず日本の戦争映画の最高峰。すずさん百歳の年にリバイバル上映
初の公開からもう9年も経ってしまったか。
Wikipediaによると、
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「2016年11月12日に日本国内63館で封切られた後、公開規模を累計484館(2019年10月31日時点)まで拡大し、2019年12月19日まで1133日連続でロングラン上映された。
この記録は、日本国内の映画館における中断日のない連続上映としては洋画・邦画含めて史上最長である。
累計動員数は210万人、興行収入は27億円を突破し、ミニシアター系作品としては異例のヒットを記録した。
また公共ホールなど約450の会場で上映会が行われ(2018年1月時点)、日本国外では世界60以上の国と地域で上映される。」
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最初の公開当時もユーロスペースで観た記憶がある。しかも2回。
9年を経たけれど、作品の味わいはますます深く感じられた。
すずさんのVC能年玲奈は、本当にこの役は彼女でなければならない、と心から思う。
※「のん」という芸名を軽んじるつもりはないが、かつて芸名を兼ねたからと言って本名を名乗ることを禁じるなんて人権無視も甚だしい。だから小生は今後も彼女を能年玲奈と呼び続ける。
・・・と、ここまで書いて来て、頭に浮かんでは消える自分の感想がまるで陳腐で、この作品にそぐわないことにうんざりしてきた。
どんな言葉をもってしても、この作品の良さ、凄さを的確に表現しきれない。
ご覧になっていない方々には全然意味が分からないに違いない。
が、すべてにおいて、戦争を描いた日本映画の最高峰の一角を占める、とだけしか言えない。
付け加えるなら、やはり音響の良さと迫力を考えると配信視聴はお勧めしない。小さなハコであっても、ぜひ映画館へ行こう。
のんちゃんの声に一気に引き込まれた
後世に残る傑作
どんな時代になっても誰もが片隅に生きている
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