劇場公開日 2016年11月12日

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「異常は普通の普遍性を輝かせる、そしてもう一つの視点。」この世界の片隅に hidechanさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0異常は普通の普遍性を輝かせる、そしてもう一つの視点。

2017年2月11日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

難しい

幸せ

この映画を見て名画「禁じられた遊び」を思い出した。
戦時下の市井の人々の暮らしを描いた作品として共通しているからだろうか。
本作は、戦争という異常な時代に翻弄されながらもその片隅で健気に生き抜こうとする普通の人々の平凡だがかけがいのない暮らしと思いを丹念に描きつづける。信じてきた正義は一夜にして壊れたが、平凡な暮らしは「みんなで笑ろうて暮らせればいいね!」という思いと共に確かに今にもつながっている。だから「あの世界の」片隅にではなく「この世界の」片隅に、なのだと思う。

それにしても、作品の最後の方で韓国の国旗が突然旗めいたのには正直驚いた。韓国の勝利??を描きたかったのであろうか。この国はことあるごとに日本に対して自虐と謝罪を要求してくる国であることは言うまでもないが、現在日韓関係は完全に冷え切りイライラした嫌韓感情が日本に広がっているのも事実。この作品は厄介なものを抱え込んだものだ。作品に拍手する韓国人、涙する日本人、そんな構図はご免こうむりたい。

戦後日本は敗戦国として自虐史観を余儀なくされたが、すずさんは、玉音放送に涙した愛国婦人の一人として、また、あの時代のツメ跡を自らの身体に刻んだ者として、どのような思いでそんな戦後を生き抜いたのだろうか、想像は膨らむ。今や時代は右とか左とかではなく、グローバリズムとそれに疲れた反グローバリズムが激突する時代に入ったかに見える。世界の国や国民が今一度それぞれのアイデンティティーを模索し始めている。そんな現代の「この世界の片隅」で、日本人はすずさん達とこの世界で繋がりながらどんなアイデンティティーとプライドを持って暮らしていけばいいのだろうか?この作品はそんな宿題を現代の日本人一人一人に突きつけてはいないだろうか。ヒントはこの作品が描いた日本人の普通の暮らしの中にあるような気がする。世界はともかく、少なくとも日本人にとって本作は「禁じられた遊び」を超えた何かをはらんでいる観るべき作品だと思う。軽々に戦争映画の一つととらえるべきではない。

hidechan
グレシャムの法則さんのコメント
2017年2月17日

この作品に限ったことではありませんが、思い入れの強い対象(映画でも本でも)において、冷静さや客観性を保って話し合うのはなかなか難しいことなのですね。
行き過ぎた場合、自分に都合の悪い情報は全てfake偽物と決めつけるトランプ大統領と五十歩百歩の姿勢(多様性どころではない!)をいつの間にか取っている自分がいるかも知れません。気をつけなければ(^^;;
たかが映画で何をムキになってるんだろう、と思っている方もいらっしゃるでしょうが、これもこの作品の力なのでしょう。
色々と勉強になりました、ありがとうございます。

グレシャムの法則
hidechanさんのコメント
2017年2月16日

こなんさんへ

貴方の意見は分かっています。それを人に押し付けないでください。
色々な意見があるのですよ。それは認めるべきです。
映画レビューというこの場で、長々と貴方と日韓その他の戦争責任問題について議論するつもりはありません。あなたに私のスタンスを理解するのを期待するのは無理なようですね。決め付けと誤解だらけです。私は、普通の日本人で右翼でも歴史修正主義者でもありませんよ。一人相撲はよしましょう。もし、私と貴方との一連の議論をお読みになっている方がいたのなら、きっと日韓の難しさを再認識されたことでしょうね。やっぱりそうなったか変わらないねーという思いです。どうも日韓には当分新しい風は吹きそうにありませんね。残念です。それにしても李榮薫さんへの貴方の罵倒はものすごいですね。彼は、確か慰安婦の方の前で土下座させられましたよね。韓国には学問の自由はないのでしょうか。韓国は反日が国是で日本は悪い加害者収奪者で韓国は善良なる被害者というポジションを常に取りたがる。それ故にそのアイデンティティーを侵しかねない不都合な事実は徹底的に攻撃し闇に葬る、そんなことはありませんか?あなたは研究熱心なお方とお見受けいたしますので、今度は韓国が日本から得たものを数えてみてください。米を収奪されたという台湾やベトナムの人々の多くが大の親日家なのはなぜでしょう。みんな変わったのですよ、何かを乗り越えたのですよ。不毛な議論になってきたようなので、もうこのへんで議論はお開きにしましょう。

hidechan
hidechanさんのコメント
2017年2月16日

琥珀さんへ

コメント有難うございます。
私は原作本を読んでいないので、この作品に描かれていない事実や伏線は分かりません。それを前提とした上でのレビューとご理解ください。

まず、国旗の件ですが、製作者がどのような意図でこのシーンを入れたのか分かりませんし、その意図についても正直興味はないのです。私は大使が長期にわたって召喚されるような戦後最大ともいえる冷えた現在の日韓関係に於いて、その影響を懸念したまでです。このような観点は映画レビューとしては場違いではなかったかと反省しています。場に相応しくない論争を招いてしまいました(笑)。

さて、付けたし感のあるすずさんの独白の件ですが(笑)、今思うと確かに唐突感と言った方が当たっているかもしれませんね。これは私が原作を読んでいないからかもしれませんね。すずさんが玉音放送を聞いて今までの生活をすべて否定された怒りをぶつけるシーンのわずか後に、アジアの人々に対する贖罪を述べるにはもう少し事実の積み上げがあったらよかったのかなと感じました。ギリギリの日々の暮らしの中で日本の庶民が実際あんな風に思っていたのかなー、ちょっと出来すぎじゃないと思ってしまいます。でも素敵なシーンですよね。

つぎにアイデンティティーについて。アイデンティティーという語は個人に使うべきで、それを国家とか民族に使うと、他国民族への無理解につながる恐れもある、という貴方の意見には賛同いたします。ただ、時代や国によっては個人を越えて大衆の集団的記憶や民族的感情が国家の強固なアイデンティティーを形作るということが起こるのも事実です。そうなると国家はそのアイデンティティーに縛られて身動きが出来なくなり、他国との信頼で結ばれた正常な国家関係を結ぶことが出来なくなることがあります。これが問題なのです。歴史的に不変なアイデンティティーなどというものは作られた幻想で、どの国家も国民も絶えず時代により模索すべきもの、というのが私の考えです。アイデンティティーを変えるということは苦痛を伴います、今までの自分を否定することですから。見方を変えれば、この作品は日本人が新たなアイデンティティーを獲得する苦痛を描いた映画と捉えることもできるのではないでしょうか。
映画レビューで何書いてんだか(笑)。

hidechan
こなんさんのコメント
2017年2月15日

hidechanさんへ

あなたが推奨される李栄薫という「学者」について調べてみました。どうやらマトモな学究と呼べるレベルのお方ではなさそうですね。けれども、そんな彼が以下のように発言されていることをご存知でしょうか?

「数字を言うときは、厳格な基準をもって語らなければならない。慰安婦の民族別構成や、1942年に1年間で支給されたサック(コンドーム)数、兵士が必要とする慰安婦の数などの記録から推定すると、朝鮮人慰安婦は最大でも5,000人程度だと見れば合理的である。」

品性下劣を絵に描いたような「名言」ですね。それでも「慰安婦」の存在自体は認めておられることは興味深い事実です。

戦時中陸軍士官として南京に駐在された三笠宮崇仁殿下が生前南京大虐殺について以下のように発言されています。

「最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から『新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる』という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体なんだったのかという疑義に駆られました」(読売新聞社「This is 読売」94年8月号)

議論を数の問題に矮小化し、ひいては「だから存在しない」と決めつけるのは「自虐史観」論者の常套句ですね。

李何某さんのご本を読むのは、申し訳ありませんが、ご遠慮させていただきます。人生は限られていますし、世の中には実にためになる良書が山のようにあります。櫻井よしこさんのような在日ヘイト、差別意識丸出しのお方が絶賛されるような李何某先生の「名著」を読んでいる暇はないのです。

逆に、こちらからお勧めの本をいくつかご紹介いたします。

「帝王と墓と民衆」三笠宮崇仁.1956
「マクドゥーガル報告書」G.マクドゥーガル、1998(アジア女性基金のサイトで全文が閲覧可能)

正しい知識を得るのに遅すぎることはありません。hidechanさんが「自虐史観」の呪縛から解放されんことを切望しております。

こなん
こなんさんのコメント
2017年2月15日

hidechanさん、コメントへのレスをいただき、ありがとうございます。

確かに、韓国が自国の矛盾のはけ口として、「慰安婦」問題に象徴されるように、ナショナリズムを煽りながら強硬な対日姿勢を示していることは事実だと思います。また、日韓が新たな関係を結ぶ時期というご指摘にも、留保はつけますが同感です。

なぜ全面的に同意しかねるかというと、歴史的事実に対する根本的に異なるスタンスの違いが私とあなたとの間にあると思うからです。

hidechanさんは私が先のコメントで引用した片渕監督の言葉をどう理解されたのでしょうか。戦前の日本(大日本帝国)が、内地米の不足を補うために、朝鮮や台湾のコメを強制的に収奪したのは歴史的事実です。時の政府が「欧米列強による植民地支配からアジア諸国を解放した」という「アジア諸国」のひとつであるベトナム(当時の呼称でいうなら仏印)で何をしたか。フランス政庁と一緒になり、ベトナム人の生命線である米作をズタズタにしました。モミの強制買い付けや、資源の輸送に使う袋の材料になるジュート栽培のために無理やり水田を転作させた結果、折からの水害も相俟って、40万〜200万人といわれる餓死者を出しました。

朝鮮半島の植民地支配においても、創氏改名や日本語使用の強制、そして先ほど触れた朝鮮「国産米」の収奪など、否定し難い政策や行為が積み重なった結果、朝鮮の人々に抜き難い「恨(ハン)」を植え付けたのではないでしょうか。片渕監督は、作品の性格や、当時の日本人の感覚として、敗戦になったからと言って突然自己批判を始めるのも不自然だから、「従えていた国の人たちから奪ったお米を私たちは食べていたんだなあ」と、きわめて控えめに、そして主婦の目線から、「正しい戦争」と信じていたこの国の正義に裏切られたという、多くの日本国民の声を代弁させたにすぎません。

以上のような歴史的事実を認める姿勢を「自虐史観」と呼ぶのであれば、自虐的ではない歴史観とはどのようなものを指すのでしょう?

hidechanさんが言われる「自虐史観」がどんなものなのか、教えていただけると幸いです。

こなん
グレシャムの法則さんのコメント
2017年2月14日

割り込むようですみません。多様性に寛容な社会こそが、豊かな文化と平和に繋がると信じているので、違った角度から意見を差し挟むことになりますがご容赦ください。
まず国旗のことですが、原作者や監督の丹念な調査と取材から得た事実として、映画でも登場させたのであって、殊更に国や民族のことを意識させる意図は無いと思います。この作品は観た人の想像力に委ねる描写が多く、ある意味不親切な映画なので、どう捉えるかは自由ですが、少なくとも勝者敗者とか加害者被害者という類の相対する構図を内包する意図は無いと考えます。

すずさんの付け足し感のある独白⁉︎についてですが、暴力に屈するんかね、という玉音放送以降のすずさんのセリフや涙から私は『アジアの国々を侵しただけでなく、自国民も暴力的手段で統制してきたのに、より強い暴力(アメリカと原爆)が現れればこんなに簡単に放り投げるのか⁉︎その程度の覚悟でこんなバカな戦争を続けてきたのか⁉︎』という、我々日本人が当時、どれほど愚かな選択を積み重ねたのかという、みたくなかった不都合な真実を突きつけられた気がします。もちろん、当時のすずさんはそこまでの歴史的背景を知るはずがなく、率直な真情の吐露に過ぎませんが、耐え忍んできた年月や出来事からすれば、唐突感はなかったです。

アイデンティティー‥‥自己同一性、自分のよって立つところ、このラインだけは譲れないという矜恃、みたいな意味で使うのであれば、あくまでも個人を単位とすべきではないかな、と思います。民族とか、国家単位で括ると、結果的に個々人の多様性を奪い、やっぱり◯◯人だからな、とか、◯◯人ってそういうところあるよな、みたいに相手のことを短絡的に判定し、分かりあおうとする努力を無意識的に放棄してしまうこともあるのではないかと思います。相手方と理解を深めるために、国家としてのスタイルをきちんと確立しようというということかもしれませんが、国家とか民族というのが、為政者において、冷徹な情勢分析より優先されて判断を下すことになるととんでもないことになってしまうので少し神経質になっています。
というわけで、ご趣旨を正確に理解できていないまま、書いてしまっている部分もあろうかと思います。その点、お詫び申し上げます。

グレシャムの法則
hidechanさんのコメント
2017年2月13日

こなんさん私のレヴューにコメントいただき有難うございます。
若干誤解されているようなので一言述べさせてください。
まずこの作品は戦争反戦映画であるとのご批判であるようですが、私はこの作品を戦争反戦映画ではないとは一言も言っていませんが。戦争の被害と加害を描いていますからこの作品も立派な戦争反戦映画に違いありません。加害の方はすずさんに独白させていますがちょっと付けたし感は否めませんが(笑)。ただそれを前提としてそれだけではないといっているだけです。もし、この作品が声高に反戦を叫ぶよう作品であったなら、数ある反戦映画の一つとして、評価は星三つでしょうね。それだけではないと思うから星四つとしました。片淵監督は明らかに反戦を声高く叫ぶようなことを避けています。だから多くの人の共感を得たのだと思います。戦時下の生活史として、呉や広島の郷土史として、あるいはおばあちゃんやおじいちゃんに聞きたかった戦争体験記として、また、「確かにあの時そうだったよね」というような郷愁を感じさせるものとして、愛らしいすずさんにやられたと思う人・・等々、この作品は多くの視点から支持されていると思うのです。だから日本人にとって「禁じられた遊び」を超えた何かがあると言っているのです。

それから、韓国の国旗が出てきたくだりについても誤解があるようです。私の言わんとすることは、韓国の民族意識と日本の民族意識がガチで対立するような厄介な構図はご免だということです。あのシーンを見て韓国人が拍手するとか、日本人が涙するとかそういうことではないのです。ただ舌足らずだったかもしれませんね反省します。それから、韓国の最近の過度な民族主義(それは反日教育と表裏一体)とそれに反応した日本の嫌韓感情については知り合いの在日の方も心配しています。私も韓国はその民族主義を克服しなければ多くの国益を失うのではないかと思います。韓国の民族主義、反日教育については、その問題点を実証的に鋭く論じた李榮薫(イヨンフン)さんが書かれた「大韓民国の物語」という本があります。まだお読みでないなら是非お読みになって下さい。

戦後70年たって、日本も韓国も一区切りつけて新たなアイデンティティーを模索すべきだというのが私の考えです。

hidechan
こなんさんのコメント
2017年2月12日

いかがですか。これはれっきとした「戦争映画」であり、これまた当たり前ですが「反戦映画」なのですよ。

太極旗の場面で韓国人が喝采⁈もちろん私もそんな光景は見たくはありません。しかし、私が知っている韓国人の友人たちはそんな反応はしませんよ。同じ戦争の被害に苦しんだ日本人の境遇に涙はするでしょうが(笑)

日本人もこのシーンで涙などはしませんよ。他に泣けるシーン(泣かせようという演出ではないけれど)はたくさんありますから。

こなん
こなんさんのコメント
2017年2月12日

あまり「歴史観」論争はしたくありません。不毛ですから。ただ、この映画を評価されるなら、片渕須直監督の歴史に対する姿勢は知っておくべきです。下記は公式サイトからの引用です。

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◆町山:あと一番わからなかったんじゃないかなと思うところですが、終戦の日に朝鮮の国旗である太極旗が小さく上がるところで、原作ではあの旗を見てすずさんが私たちも暴力でほかの国を従えていたんだ、と。今まで空襲の中でアメリカ軍の暴力と戦っていると思っていたけど、と気づくシーンですが、あそこは映画でセリフが変えられていますよね?
◇片渕:それまでのすずさん自身が、朝鮮の方に暴力を振るっている場面があったか?というと無いんですよ。そういうところを彼女は目撃もしていない。なのに、すずさんが突然そんなことを言っても、拳を振り上げて戦争反対と言っている姿勢とあまり変わらなくなっちゃうような気がして。僕はもっとすずさんが実感できるもので、自分たちが振るった暴力のことを認識するべきだと思ったんですね。彼女は毎日食卓を整える主婦なので、食べ物がどこから来ていたのかということを知っている立場なんです。だから自分たちがやってきたものを、食べるものを通して本当に根拠のあることとして言えるのではないかなと思ったんです。それと、できるだけ今回の映画では、現代の我々から見た理念みたいなものを、すずさんの上に重ねないようにしようと思ったので、そういう意味でも、彼女は当時の食べていたものから、自分たちの行ったことが身に沁みてしまうとうことにしたかったんです。
◆町山:当時日本では、朝鮮米とか台湾米が配給されていたんですけど、それは朝鮮や台湾の人たちから米を搾取していたんですよ。
◇片渕:戦後は戦争やったら海の向こうから米を送ってこれなくなったという反省があって、米の自給率を100%にしようとするんですが、戦時中はそうではないんですよね。
◆町山:台湾も朝鮮も日本の領土だったので食糧難は同じ状況だったのに、台湾や朝鮮の人のお米を取り上げて日本に送っていたんですよね。
◇片渕:しかも昭和19年は、朝鮮の米が不作なんです
◆町山:大水害か何かで。
◆町山:朝鮮の人も飢えているのにそれを取り上げていたんですね。そういう実感的なことでしか、すずさんは言わないと。
◇片渕:あと満州の大豆ですよね。
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こなん