「個々人的な時間の手触りをもった怪作」この世界の片隅に earthpinさんの映画レビュー(感想・評価)
個々人的な時間の手触りをもった怪作
こうの史代の突き放した描写と冷静な観察力と史実をあぶり出す愛あるファンタジーが織りなす原作漫画を、2016年の日本で公開されるに相応しいアニメーション映画として新たな命を与え、広く老若男女に開く作品。
「戦争は怖い・良くないこと」なんでしょ?というよくある大前提を丸ごと捨て、人が生きることの健やかさを描くことで、暴力の不自然さを自然に感じさせる。
●演出が素晴らしい●
1
時間の感覚。現実の生活で次に起こることが予測できないように、何かを予感させてたり煽ったりする演出は一切ない。そのため、目の前に起こる一つ一つの事象の判断、解釈を観客に委ねることで、演出や意図を忘れてのめりこめる。
2
しいていえば「昔々あるところに、、」と始まり、「暮らしましたとさ」で終わる童話として見易い空気を醸し出すことで、高度な演出であるにもかかわらず、観客を拒絶しない。
3
映像化で付帯された<動き>の要素が、原作と異なる全く新しい物語体験に昇華している。
もともと原作は平面的描写(空間に忠実にデッサンするのではなく、背景まで人物と同じ重みで描写し、あくまで物語や心理に効果的な構図を取っている)に優れている。そのため読者の想像力に委ねられていた、<動き>や<音>が、与えられた時、より舞台である呉の町はクリアな高低差になり、爆撃機は硬く重く速くなり、登場人物は小さく柔らかく感じられる。
映画化で省いているエピソードがあり、登場人物の複雑な感情も少し舌触りの良いものになったのは、この様な映像から肉体的に感じる情報量が増えたこととのバランスをうまく取っていると思う。
4
音楽がよい。「悲しくてやりきれない」でこの映画の全体を通底する哀しみを提示し、「みぎてのうた」でハッキリとテーマを言葉にし、「たんぽぽ」で背中を押す。監督の演出意図が120%反映されていて全く無駄がない。(これは個人的な映画に求める好みかもしれないですが)
繰り返し読める漫画では、延々と続く日々の先の見えなさが特徴的だったが、(物語の進行と同じ期間で連載されている。)映画では整理され、コトリンゴの童話的音楽が能の囃子のように物語の進行をスムーズにしている。
5
可愛らしい絵柄の意味。
この映画を見て、良い人ばかりが出てくる、現実の焼け野原の残酷さを描いていないと感じる人も多いかもしれない。しかし、これはすずというふんわりとした主人公の見た世界に限られたフィクションである。つまり、これは決して戦争の惨禍を全て引き受け代表している映画ではない。
歴史的悲劇のモニュメンタルな地点から少し外れた呉を舞台とし、軍に勤め戦地に行かない夫の妻を主人公とし、戦火より日々の生活を時間をかけて描写することで、便利で分かりやすい被害者視点・加害者視点を捨て去らせてくれることが、何よりこの映画の功績なのである。
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個人的に演出が素晴らしいと思ったので、演出に関することのみの投稿です。
その他、声の怪演、アニメーション描写技術、取材量などなど、大方の称賛するとおりです。