「それは究極の愛かそれともエゴか」愛を複製する女 レントさんの映画レビュー(感想・評価)
それは究極の愛かそれともエゴか
クローン人間という題材は必然的に宗教的倫理観に触れるため特にキリスト教圏の国では重宝される題材なのだろう。またクローンという存在を通して人間とは何かという哲学的な問いかけもできるのでクリエイターたちはそのテーマを取り上げたくなるのだろう。
本作はそんなクローン技術について起こりうるであろう問題について真正面から向き合おうとした作品。クローン人間についてはかなり多くの作品が作られてきたけど本作はかなり真面目な作品。
実際ヒトクローンの可能性が現実化してるこの社会でクローンの存在を今後社会はどう受け止めるべきなのか、そしてクローンとして生まれた人間は自分の存在をどのように受け止めるべきなのか。そんな問題提起がなされている。
娯楽作品ではあるがシュワルツェネッガーの「シックスデイ」ではやはりクローンとして生まれてきた主人公がその運命を受け入れて前向きに生きようとする姿勢が描かれる。こういう作品が作られている背景を考えているともはやクローン人間については絵空事ではなく我々人類が受け入れていく方向にシフトしつつあるんじゃないかと思わされる。
クローンも生命科学の見地から見れば人間と何ら変わらぬ存在であるし、神が人間をつくり給うたならその子である人間も神と同様人間をつくることができるのも道理。すなわちクローンも神によって造られたと解釈することも可能なのではないかな。
人類は己の欲望を満たすために科学技術を進歩させてきたわけだからクローン人間が現実に作られる日は遠くないと思う。本作のように最愛の人間を亡くした人が大富豪であれば現実問題として今まさに作られているかもしれないし、公表されてないだけですでに社会の中で普通に暮らしているかもしれない。いずれは普通にクローン人間が共に暮らす未来も想像して差別問題とか人権問題も考えていかなければならなくなるかも。
自分が生きている間にAIが自我を持つこととクローン人間誕生はないと思ってたけど、ついに現実味を帯びてきて、その現実を受け入れる時が迫っているのかもしれない。
本作でクローン人間として生まれてきたトミーは悲劇の主人公のように見えるけど彼はその生まれてきた理由を受け入れてそれでもなお人間として自分の人生を全うするために前向きに生きようとレベッカの前から立ち去ったんじゃないかな。どんな命であろうともそれを与えてくれた彼女に感謝の言葉を残して。
レベッカがトミーを生み出した理由が愛によるものなのかエゴによるものなのか、それはもはやトミーには関係がない。どういう理由で生まれてこようが命を与えられその命をどう生きるかはすでに彼自身にゆだねられている。彼がその与えられた人生を生きてゆくのは人間と何も変わらない、たとえクローンとして生まれたとしても。
トミーは言う、自分は何者なのか、何のために生まれてきたのかと。しかしそれは人間自身にも言えることだ。彼の問いかけは我々人類が持つ永遠のテーマでもあるし、それを見つけるのが人生なのかもしれない。