ボクは坊さん。 : インタビュー
伊藤淳史&真壁幸紀監督が思いをはせる“坊さん”の続き
子役からキャリアを重ねてきたベテラン俳優と、長編デビューの新人監督。それでも、伊藤淳史と真壁幸紀監督の年齢差はわずかに1つ。いつの間にか撮影現場に年下のスタッフや共演者が増え隔世の感を抱く伊藤と、短編やテレビドラマで研さんを積み伊藤の演技も見てきた真壁監督。2人が互いの意見をぶつけ合い、強固な関係性を築いて生み出したのが、リアリティあふれる僧侶の世界と若者の心の成長が見事に融合した「ボクは坊さん。」だ。(取材・文・写真/鈴木元)
世の中は、坊さんカフェや僧侶バーなどがはやっている“プチ坊さんブーム”らしい。昨年は四国霊場開創1200年で、お遍路さんの数も増えたそうだが、「ボクは坊さん。」の企画は3年ほど前に立ち上がり、その時点で伊藤には主演の打診があったという。
「お坊さんの映画とだけ聞いていて、その世界は全く知らなかったんですけれど、想像がわかない感じが逆に面白そうだなと思っていました。台本を頂いたら、お坊さんって不幸があった時など特別な時にお会いする存在だったんですけれど、全くそうじゃない。普通の青年が生きていくことの大変さや、人間として生きることへのメッセージや魅力が詰まっていたんです。もう絶対にやりたいと思っていました」
その後、さまざまな課題をクリアして実現に至り、監督として白羽の矢が立ったのが真壁監督。所属する制作会社ROBOTで企画が進行していることは知っていたが、まさか自分がという思いもありつつ、待望の監督デビューのチャンスを意気に感じないわけがない。
「1人の若者のストーリーになっていたので、その気持ちの部分を描けば僕でもできるかなと思ったので、やらせてください、と。撮影時期や期間なども決まっていたので、このシーンは撮れる、撮れないとプライオリティを置いて、物語として僕が得意な方向にもっていきました」
四国八十八カ所霊場、第57番札所の栄福寺(愛媛・今治)の現役住職・白川密成氏の同名エッセイが原作。寺の子に生まれ仏教系の大学を卒業したものの、地元で書店員の職についた白方進だが、祖父の死によって24歳で光円と改名し住職となる。ノンフィクションを基軸に、光円の幼なじみとのエピソードなどのドラマを盛り込んでいった。
伊藤にとって、年下の監督との仕事は初めて。ここに驚きを感じつつも、ほぼ全編出ずっぱりの主役であるだけにおのずと気合も入る。
「数年前なら共演者、スタッフも含めて僕が一番年下だったのが、もう半分くらいは年下だったりする。自分が明らかに年を重ねていると感じるし、先輩だからちゃんと現場を作っていかなきゃいけないという思いもありました。監督とは年も近くて、最初に『どんどん思ったことを言ってくれ』と言ってもらえたので、やりたいこと、ちょっと違うんじゃないかということも含めて全部言おうと思って。その分、通常の現場よりも話し合う時間が多かったし、それはちゃんと作っているということだったと思うのでありがたかったですね」
対する真壁監督は、監督助手として「踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!」などで伊藤の演技を見ており、その実力には全幅の信頼を置いていた。
「伊藤さんに関しては何も心配事はないなと思っていたんですよ。僕が思い切った演出をするというより、微調整をする感じですかね。逆に、伊藤さんに関わる人たちの演出をいかにやるかの方に比重を置いていたと思います。なんでも包み隠さず話して、伊藤さんにはこっち側に入ってもらってお芝居を撮れた感じですね」
住職になるからには当然、頭を丸める必要がある。伊藤もその気だったが、その後の出演作との兼ね合いなどでかなわず特殊メイクになったものの、これが意外な効果をもたらす。
「まあ悪くないな、と。自分で写メ撮っちゃいました(笑)。外見はちゃんと作ってもらえるから、あとはお芝居さえちゃんとやれば大丈夫って気になりました。しかも、特殊メイクは2時間半かかるので、朝7時から撮影となると4時半や5時にスタンバイになるんですよ。お坊さんって、朝が早いじゃないですか。まだ周りが真っ暗な頃から1日が始まるというのを感じることができたんですよね。そういう形で撮影に臨めたのは良かったなと思いました」
実際の栄福寺で、密成氏も見守る中で撮影が行われたことも奏功した。高野山の奥の院も初めて撮影が許可され、進が働いていた書店も実際の場所とリアリティも徹底して追求している。
「すべてが本当の世界で、そこで生まれ育って住職をしているのだから空気を感じればいいだけで、イメージする必要がないんですよ。何より八十八カ所霊場のひとつなので、撮影中にもお遍路さんが来る。その間は絶対に撮影はできないんですけれど、待ち時間に見ているだけでも気持ちが全然変わってくる。すべてがプラスに働きました」
まさに、1人の普通の青年が住職となって成長していく過程を追体験したかのよう。劇中、檀家の長老役のイッセー尾形に「弘法大師さまに似ている」というようなセリフがある。これと似たような場面が実際にあったそうで、伊藤も相好を崩す。
「イッセーさんが東京に帰られて、1週間くらいして戻って来られた時に『お坊さんっぽくなった』って言ってくださったんですよ。それも光円としてお芝居をしているところではなくて、待ち時間に普通に立っている姿を見て。伊藤として待っている姿を見て言ってくださったのがすっごくうれしかったんです。多分、衣装も着て頭も作ってもらって、栄福寺をお借りして撮影していく中で変わっていけたのかなという気がします」
そして、公開が間近に迫り不安はあるものの楽しみの方が大きいのは、言葉のはずみ具合からも見て取れる。それは真壁監督も同様のようだ。
伊藤「封が切られたら自分のところから巣立っていく寂しさと、皆さんに見ていただける楽しみが複雑に絡み合っている感じ。でも間違いなく言えるのは、見てくれたら絶対に何かを感じてもらえる作品になっています」
真壁「見ていただけたら何もなかったではなく、言葉や今治の空気感、ストーリーに感動したなど、人によってポイントは違うと思うけれど何かしら響くところがある。それぞれのポイントを見つけてほしいですね」
「ボクは坊さん。」は光円が住職として一本立ちし、これからのさらなる成長を予感させて終わる。ぜひとも続きが見てみたい欲望に駆られるが、伊藤は「こればっかりは超えなければいけない壁が数多くあると思う」と慎重。すると真壁監督が、「原作、第2弾が出ましたよね」とポツリ。そう、続編となる「坊さん、父になる。」が9月に出版されたばかり。これは期待するしかない。