追憶の森のレビュー・感想・評価
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心がきれいな人は感動できる
青木が原の樹海というと、最も有名な自殺の名所であり、特殊な磁場のためにコンパスも使えない(実際はそんなことはないらしいが)ので一度入ったら出られない、恐怖の場所というイメージ。
そもそも「樹海」という言葉自体がおどろおどろしい。
それが英訳すると、sea of trees という、なんかステキ感のある言葉になる、というのは一つの発見。
子供のころ、「樹海」の言葉の響きに恐怖するも、「本当に死にたくなったらここに行けばいい」という、奇妙な懐の深さというか、死を肯定してくれる安心感を与えてくれるものでもあった。
そのへんの、都市の価値観の外にある、森の「温かみ」のようなものが、この映画には表現されていると思う。
主人公の夫婦のすれ違いはあるあるで、見てて辛くなった。
樹海から出られないという絶望感や苦労にはリアリティがあった。
寒さのために死体から服を剥ぎ取ってでも暖をとる壮絶さ。
崖から落ちるシーンなどは、本物の事故映像のようで、派手なカーアクションなどよりよほど迫力がある。
前半はすごく良かったのだが、後半はちょっと微妙に思うところもあった。
一番許せなかったのは、主人公の奥さんの死に方。「おいおい、まさか助かったと思ったら、交通事故で死ぬなんてクソみたいな脚本じゃないだろうな…」と思って見てたら、まさにそのクソみたいな展開だったのでずっこけた。
あまりに「ストーリーのための展開」があざとすぎて、ギャグに見えてしまう。
これだったら、手術自体は成功したが、予後の経過が悪くて死んでしまった、とした方が、この映画の雰囲気にはあっていた。
あと、タクミの死体が花に変わっていた、というのはあまりにもファンタジーすぎる。その花もいかにもな鑑賞用の花みたいで、もっとその辺に生えてそうな雑草ぽい花にしとけば良かったのに…と思ってしまった。
キイロとフユのしかけは、個人的には良かったと思うが、そのファンタジーすぎるとこが邪魔して、いきなり安っぽい怪談みたいなオチやなー、って見えてしまう。
まあ、この辺気になるのは、僕の心が汚れてるからかも知れない。心がきれいな人は、素直に感動できる「イイ話」なんだと思う。
ちょっと退屈だが、最後は秀逸
妻を亡くし自殺のために青木ヶ原の樹海に来たマシュー・マコノヒーが森をさまよう渡辺謙と出会ってというストーリーです。ほとんどが男二人が森をさまよう場面とマシューと妻のナオミ・ワッツとの過去の回想でやや退屈してしまいました。最後の「キイロとフユ」は秀逸で心に残りましたが、妻を亡くした男の再生のために森が見せたファンタジーとして、もう少し短くまとめた方が良かったように思います。
ファンタジー
観れた
ここは君たちの言う「煉獄」だ
映画「追憶の森」(ガス・バン・サント監督)から。
「静岡を出ますと次は浜松に停まります」の車内案内で
おいおい、どこまでいくつもりなんだ・・という突っ込みで
メモを取り出したが、帰宅後、映画館の暗闇で書いたメモを
読み直したら、その脚本の素晴らしさに驚かされた。
その中で「ここは君たちの言う『煉獄』だ」という台詞が、
妙に引っかかった。
辞書によると「煉獄」とは「天国には行けなかったが
地獄にも墜ちなかった人の行く中間的なところであり、
苦罰によって罪を清められた後、天国に入るとされる」とあり、
日本の富士山青木ヶ原樹海が、その役割を果たしている。
価値観の違いで、いがみ合っていた夫婦が、妻の病気を機に
やっと望んでいた夫婦の形が取り戻せると思った矢先の妻の死。
これは「ナカムラタクミ」という1人の日本人男性を通して、
夫婦で迷いながらも、お互い助け合って苦難を乗り切っていく、
2人が望んでいた夫婦の形だったのかも・・と理解した。
DVDが発売されたら、もう一度、台詞をメモしながら、
「愛は、思わぬところであなたを待っています。」の意味を、
じっくり味わってみたい。
P.S.
鑑賞後、ふと頭に浮かんだのは、「ナカムラタクミ」の意味、
「NTTドコモCM・携帯電話役の『渡辺謙』さん」、そして
映画「靴職人と魔法のミシン」(トーマス・マッカーシー監督)
優しくなれる映画です
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