追憶の森 : インタビュー
目指す高みを上げ続ける渡辺謙がたどり着いた境地
もはや映画の“国籍”をいちいち問う必要はないのかもしれない。それほど、渡辺謙が外国映画に出演することが自然に受け入れられるようになった。ベテランのガス・バン・サント監督と組んだ「追憶の森」も、マシュー・マコノヒーとの“2人芝居”によって、日本の死生観が根底にありながらもどこか幻想的で世界標準のミステリーをつむぎ上げた。昨春にはブロードウェーにも進出し、今は再演の真っ最中。その振り幅はますます広がっている。(取材・文/鈴木元、写真/江藤海彦)
渡辺の下に、クリス・スパーリングの脚本がもたらされたのは2012年のこと。まだ、バン・サント監督もマコノヒーも決まっていない段階。日本人独特の死生観に根差したスピリチュアルな題材だったが、時期的なことも含めしゅん巡する。
「言ってみれば仏が成仏するということだけれど、我々が受け止める時間だったり、自分の生活から切り離す時間がある意味形骸化しているじゃない? そういう失いかけているものに外国人が興味を持ったり考えたりするようになったんだということにまず驚きましたね。でも、(東日本大)震災後だったし、さすがにこの死生観を受け止めるだけの心の余裕がなくて、ちょっと置いていたという感じでした」
ある決意を持って自らの人生を終わらせようと青木ヶ原樹海にやって来た米国人のアーサー(マコノヒー)。実行しようとした矢先、目の前にボロボロになったスーツで傷だらけの男(渡辺)が現れる。出口を見失ってさまよっていた男はタクミと名乗り、放っておけないアーサーとの迷走が始まる。
「ダラス・バイヤーズ・クラブ」でアカデミー賞主演男優賞を獲得した直後のマコノヒーとの初共演。見ず知らずの2人という関係性を重視し、クランクインまで一切会わないことにしたが、撮影が始まると同時に役者として同じ“におい”を感じたという。
「楽しみだったし、感覚的にはすごく似ている俳優さんなんじゃないかと思いましたね。あまり縛られず、かといってその場限りというのではなく、ちゃんと準備をしてきてそれを全部かなぐり捨てて飛び込んでいくような感じ。すごく近しいものを感じました。今そこで起こっていることに的確に反応しようとする。ムダな会話は一切なく、セッションをしている感じですね」
撮影はボストン郊外の森林。夏場だったとはいえ、奥深い森の中は夜になればグッと気温が下がる。その中であてもなく歩き回り、鉄砲水に見舞われるなど見るからにハードな撮影だったことが映像からもうかがえる。
「脚本を読んだ時と比べこんなに大変だったかなあって、正直ちょっと後悔したんだけれどね。ナイターも多かったし、ずぶ濡れで真夜中の2時、3時に終わっても、車が入れる所までもけっこう歩かなきゃいけなくて、マシューと懐中電灯を渡されてトボトボ歩いていると、2人の靴に浸みた水の音しかしない。クチャクチャクチャって。あまりにおかしくて2人で大笑いしたりという、それくらい過酷な現場でした」
苦笑いで振り返るものの、その顔には最大限の力を注いだという充足感がにじむ。宿泊先はそこからさらに車で1時間ほどの場所で、作品世界に没頭するには絶好だったといえる。加えて、渡米直前に妻の南果歩と口論になったことも奏功したと明かす。
「嫁とちょっと口ゲンカというか、『行ってきます』も言わないで僕が出てきちゃって。(現場に)行っている間は、1回も電話しなかったですね。メールでのやり取りはしていましたけれど、音で聞いちゃうと(現実に)引き戻されちゃう気がして。だから、ずーっとさまよい続けていました。撮影がない日は、1歩も部屋から出ずにこもっていたこともあったので」
その集中力をもってマコノヒーと対じし、2人の関係性が徐々につまびらかになっていく。だが、タクミは妻の名を「キイロ」、娘の名を「フユ」などと語るものの、そのバックボーンは不鮮明。アーサーにとっても理解不能な部分は多々あるが、言葉ひとつ、見聞きするものすべてが伏線となり、物語はミステリー性を強めていく。
「2人が会話をしていてもその言葉がどこに向かっているのか、どういう意図を持ってその言葉が発せられているのかというのは、通常の表現とはちょっと違うとろこがあった。演じる、表現するというより、どう感じるかというところで面白がっていました」
外国人が描く日本には、必ずと言っていいほど違和感が出る。今回はその違和感を巧みに活用したところもありつつ、自殺を思いとどまらせようとする立て看板などの文言はすべて校閲するなど“スタッフ”としても活躍。樹海の入り口にある鳥居に掲げられた文字は渡辺直筆である。
「最初は違和感をなくした方がいいんじゃないかって提案したけれど、逆に言うとそれがある種脳裏に引っかかるフックとしていいんだと思って。美術なんかはすごく頼られちゃってね。字体を変えて3つ、4つ書いたら面白がっていましたよ。ナースの衣装まで決めましたから。日本から取り寄せた制服の写真を見て。とてもインディーズな感じですよ、いい意味でね」
昨年4~7月は「王様と私」でブロードウェー・ミュージカルに初挑戦。手厳しいニューヨーカーから絶賛され、トニー賞主演男優賞ノミネートという新たな勲章を得た。
「俳優としてプロセス、技術的なこと、メンタリティも含めて自分がやろうとしていることは、やっていけるんだと思いましたよ。映画は基本的にマジックだからミスを恐れずにやれるところで成立するけれど、舞台はそういうわけにはいかない。かといって、そこにある既定のものだけをミスなくやれればいいかということでもない。表現のふくよかさやはみ出し方やライブ感といったものにはトライしたかったし、それはできたんです。それを向こうのお客さんが面白がってくれて、評価もされた。もう、俳優として外国でやっていくことにあまり違和感はないし、ちゃんと評価されたことは映画以上に喜びは大きかったですよね」
今年に入って早期の胃がんが見つかり手術をするアクシデントはあったが、現在の再演では「なぞってもしようがないし、違う発見も3つ、4つあるのでちょっとトライしてみたいと思っている」という言葉を実践しているに違いない。9月には主演映画「怒り」の公開も控える豊作の2016年。渡辺は、自ら目指す高みをどんどんと上げている。