「田舎の実家にある、カバーが豪華な辞書、大百科」ブリッジ・オブ・スパイ しんざんさんの映画レビュー(感想・評価)
田舎の実家にある、カバーが豪華な辞書、大百科
スピルバーグには、撮らなければいけない映画があるのだという。
スティーブン・スピルバーグ
それにあたる作品で真っ先に思い当たるであろう、「シンドラーのリスト」「プライベートライアン」、そして忘れてはならない「ミュンヘン」。
この3作は、その意図をもって作られた、映画史上燦然と輝く傑作である。もちろん彼の傑作はそれだけではないが、この3作に共通して言えるのは、
「自分がどう見られるかは問題ではなく、世間と刺し違える覚悟でも、自分で撮らないといけないという意志で作られた作品」といえるのではないだろうか。
だが、後期の、彼のその「撮らなければいけない」意思で作ったと思われる作品群は、「ほかに作る人がおらず、でも撮るべき歴史の物語」という、
「作品として残すことが重要」
という目的にすり替わっているように思う。もっと簡単に言うと、
「現実問題、誰のためにもならない映画」
そりゃあ、スピルバーグにしか撮れませんって。
・・・
「ブリッジ・オブ・スパイ」
「田舎の実家にある、子供のころ、おばあちゃんに買ってもらったカバーが豪華な辞書」
極論すると、「置いてあること」に意味があるもの。
「教科書」とはまるで正反対だね。だって誰も開かないんだから。
スピルバーグがこうなっちゃてるのは、加齢よりも、使命感が簡単に果たせる、チャレンジの意味がすり替わる環境にあると思われる。
まあ、誰も文句は言えねえし、誰もこういう「お金にならない」映画をもう撮れないんだから、それ自体を目的になってしまうのも仕方がないのかもしれない。
そういう意味ではスピルバーグ、すごい!とはいえる。だが、結局そういう立場になっちゃたのかあ、と同時に寂しくもある。これを「円熟」とか「進化」とか言いたくはない。
映画自体のレビューとはちょっと違ってきているが、内容は全くそんな感じ。個人的には「ミュンヘン」のような、背中を刺されるような作品が恋しい。
追記
マーク・ライランス
ただの役得。今年はスライしかあり得ないね。