64 ロクヨン 後編 : インタビュー
佐藤浩市&永瀬正敏、念願の初共演で語り明かす“原点”
待ち望んでいる共演がある──。この原作の映像化したものを見てみたい、この俳優がこの役を演じるのを見てみたいというだけでなく、この俳優たちが対峙したらどんな芝居が見られるのだろうと期待する共演があるものだ。「64 ロクヨン」の佐藤浩市と永瀬正敏はまさに“待ち望んでいた”共演であり、しかもがっつりと芝居をするのは意外にも今回が初。映画のなかで2人が演じるのは、事件を追いかける元刑事で広報官の三上と被害者遺族の雨宮。佐藤いわく、キャラクターとしての2人の関係性は「微妙」で「難しい」ものだったそうだが、俳優としては互いを高め合う絶妙な関係が刻まれた。(取材・文/新谷里映、撮影/江藤海彦)
佐藤と永瀬は16~17年前に共演する予定だった。しかし、撮影開始直前で企画自体が中止になった残念な過去がある。だからこそ佐藤は、「俳優がどんな作品に出るか誰と共演するかは縁とタイミングだと思っていて。永瀬くんとはこういう縁だったのかと共演が決まったときはすごく嬉しかったですね」と、その喜びをしみじみと噛みしめる。そして、相手が永瀬だったからこそ得られたものがあると言う。
「原作や台本では、三上と雨宮の関係性にはっきりとした距離感がありました。三上は刑事として広報官として、被害者遺族の雨宮と会っている。けれど実際に撮影現場で、雨宮家の玄関の戸を開けてパッと彼を見たとき、三上にとって一番心が痛い、父親として自分が失っているものの痛さを感じた。それを感じたことによってふうっと雨宮に近づくことができたんです。その時、ああ、この物語は父親と父親の話なんだなあと自分のなかでの図面が変わった。そういう瞬間が生まれることが三次元(演じること)の面白さなんですよね」
一方、佐藤に刺激を与えた永瀬には葛藤があった。愛する娘を失った悲しみ、悔しさ、事件が解決しないことで前に進めない苦しさ……。観客の感情を揺さぶる重要な役にどうやって近づいていったのか。
「僕自身に子どもがいないので、子どもを失う心情は分からなくて。しかも、雨宮の場合は親のミスとか病気ではなく、ある日突然に失う悲しさです。それは到底僕には分からない。そこをどう演じるのかがひとつの山だった気がします。助けてくれたのは(娘役の)翔子でした。一緒に遊んだりする時間もとれないまま撮影を終えてしまいましたが、彼女のクランクアップの後トコトコトコッとやってきて、小さな体で僕にペタッと張りついて、抱きしめてくれた。言いようのない気持ちがぶわあっと生まれて。その感情があったからこそ14年後の撮影に臨めた。翔子に支えてもらいました」
前編から後編へ、雨宮の見た目の変化にも驚かされるだろう。台本のト書きに書かれた──“14年後。髪は白くなり、頬はこけ、シワが増えてまるで老人の様になってしまった雨宮”を体現するにあたり、永瀬は前編から後編の撮影までの2週間で約14キロ減量している。
「そこまでやったのは自分に子どもがいない分、何かを課さないと雨宮を演じることはできないのではないかと思ったからなのかもしれません。嬉しかったのは、後編の撮影が始まるとき、浩市さんが楽屋で僕の痩せこけた姿を見て、ニッと笑ってくれたこと。ああ、(この役づくりは)イケてるってことなんだな、間違ってなかったんだなって、すごく嬉しくて」。当時をふり返る永瀬の言葉に深くうなずきながら「苦労は、分かるからね」とささやく佐藤のひと言もまた、永瀬にとっては嬉しい言葉となった。
映画にはヤマ場と言われるシーンがひとつふたつあるものだが、「64 ロクヨン」に関してはヤマ場の連続。前編のインタビューで佐藤が「上層部のキャリアたち、古巣の刑事たち、記者クラブの人たち、広報室の部下たち……全部とぶつかり合わなければならない役で、楽なシーンはひとつもない。大変だった」と語っていたように、永瀬も「浩市さんは最初から最後までずっと山頂を走っていた。本当に凄いと思う、大変だったと思う」と感心する。もちろん、永瀬とのシーンもヤマ場のひとつだ。佐藤が「いま思い返しただけでも涙腺が弱くなるんだよね」と挙げるのは、三上と雨宮がベンチで語るシーンだ。
「三上は家でも刑事であり続けることで、何かから逃げていたと思うんです。でも娘はそんな父親を見透かして、反発して、家出をしてしまう。三上と雨宮は、娘に去られた男と奪われた男なんですよね。だから2人がベンチに座ったとき、あそこに座ったときから三上は刑事ではなく私人になるわけです。あのシーンだけなんですよね、2ショットで長めにカメラを回したシーンは。2人の距離感を含めて長回しで撮ってもらえたのはすごく嬉しかった」。佐藤の「嬉しかった」という言葉に寄り添うように、永瀬も「そうですね、あのベンチシーンのOKは嬉しかったですね」と反復する。
俳優にとって監督に「OK」を言ってもらえるかどうかは勝負なのだそう。「監督にOKを言ってもらえる、驚いてもらう、監督の想像よりも上にいってやった! というのが俳優にとっての現場での勝負のひとつなんです」と言うのは永瀬。佐藤も「だから小っちゃなことにこだわる、小っちゃな人間でいないと人間なんてやれない(演じられない)ってことなんだよね……」と続ける。「勝負じゃないんだ、そこに存在していればいいんだと、そんな大きなことを言って人間を演じられるか? ということでもあって。要するに、小さなことにこだわることが僕にとっての人間の尺度で。無理して“芝居は勝負じゃない”なんて思わなくていいんですよ」
小さなこと、でも大切なことにこだわり続けてきた2人がときどき立ち返る場所がある。それは、今は亡き相米慎二監督の現場だ。佐藤は「魚影の群れ」「ラブホテル」「あ、春」(主演)、永瀬はデビュー作「ションベン・ライダー」でそれぞれ相米監督の洗礼を受けた。2人は故人を、相米のおやじ、相米学校、相米さん、ハゲでいぼ痔で水虫持ち、とんでもない人……と呼ぶ。どれも親しみのこもった呼び方だ。
永瀬は「大好きな人だけど、一回もOKをもらえなかったのが悔しくて……。だから相米さんが思わずOK! と言うような芝居を一生に一度したいと思って、(ひとつひとつの芝居を)死ぬ気でやっています」。悔しさを糧に生きている。そして懐かしい目で語る。
「シーンごとのOKは出ても僕に対しては『まあ、おまえはそんなもんだろう』というようなOKで、もう一回、もう一回、ボケッ! と言われ続けて、あげくの果てに相米さんは△と×のボードを作って、それを出されていました(苦笑)。ものすごく小さな○のボードも作ってくれたけれど、それは一度も見せてもらえなかったですね。当時の僕は劇団に入っていたわけでも映画青年でもないド素人で。そのド素人をつかまえて、なんで何も教えてくれないんだ! って思っていましたし、理不尽なことばかりさせられたけど、結果的にはものすごく大きなものをもらった。『ションベン・ライダー』のクランクアップのときは相米さんのことが大好きになっていました。本人には言えなかったですけどね。僕の前ではよく『浩市はさあ……』とか『あいつには世話になったんだよなあ……』とか、浩市さんの話をしていましたよ」
「そんな話、初めて聞いたよ(苦笑)」と照れくさそうに、それでいて、ものすごく嬉しそうな笑みを浮かべる佐藤も──「本当に不思議な人なんです。僕も永瀬くんも松岡役の三浦友和さんもそうですが、相米学校を経てきている人間だから分かるものがあるというか、言わなくても通じるというかね。たとえば、警察学校で鬼教官にガンガンしごかれた生徒たちは、卒業してもキャリアを積んでも学校で学んだものを守る、それと似ているのかもしれない。良くも悪くも相米さんは、遠回りをさせてくれたし、勘違いもさせてくれたし、それが(芝居の)心理だったりするわけです。芝居は自分の尺度でいかようにも変化するというのが相米さんのやり方(教え方)なんですよね」。だから“原点”なのだろう。
その原点を軸に、いくつもの作品で何人もの監督から「OK」をつかみ取ってきた佐藤と永瀬。彼らが「嬉しかった」と挙げた今回のベンチの長回しのシーン。「64 ロクヨン」のメガホンをとった瀬々敬久監督の出した「OK」は、きっと最高の「OK」だったに違いない。