「歴史をいかに語るか」アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち MizuKiさんの映画レビュー(感想・評価)
歴史をいかに語るか
試写会で一足先に見てきました。
工夫を重ねてイスラエルの裁判官を説得し、ネオナチからの悪質な嫌がらせや脅迫にも屈せずに世紀の裁判を撮影、放送した二人のテレビマンの実話。
昨年には仏シャルリ・エブド紙の事件もありましたが、言論・報道の自由の萎縮が懸念される今だからこそ、ジャーナリズムの力を描いた今作は大きな意味を持つのではないかと思いました。
それだけではなく、この映画はナチスの蛮行の事実を鮮烈に伝え、「歴史は繰り返す」という警鐘をならしています。
アイヒマンの裁判シーンでは、1961年当時の記録映像が多く使われています。強制収容所での虐殺映像、残虐な拷問や屍体の山の写真・・・観ているこちらも思わず目を背けたくなるような映像を、顔色一つ変えずに眺めるアイヒマンの姿。
「怪物」と呼ばれたアイヒマン。しかしもともとは、平凡で矮小な一軍人に過ぎない人間だったのです。主人公のレオは、「誰でもファシズムに傾倒し、残虐なアイヒマンになる可能性が有る」といいます。理性を失った時、狂気への道がひらけるのだと。
戦争の記憶が風化し、テロの脅威に世界が怯え、新たな戦いの火種が絶えない近年、狂気に堕ちて怪物になろうとしている人が沢山いる。人種、宗教、文化の対立はいつの時代も人々の理性を失わせてしまう。
でも同時に人間は、この映画の主人公のように正義を貫いたり、それによって誰かを救ったりすることも出来る。同じ人間同士で殺戮し合うようなことは二度としてはいけない、しなくて済むような未来を作らなければならないと思わされる作品でした。
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