「守るものがあるからこそ、人は再び立ち上がれる」サウスポー 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
守るものがあるからこそ、人は再び立ち上がれる
どん底まで落ちたボクサーの再起、家族との絆。
題材的には特別目新しいものはないが、それらを巧く活かしたボクシング映画の佳作。
ビリー・“ザ・グレート”・ホープは、無敗知らずのチャンプで、怒りを力に変える攻めのスタイル。
皮肉な事に、それが自分の転落を招く。
あるチャリティー・パーティーでライバル・ボクサーの挑発に乗り、乱闘、その最中最愛の妻が命を落としてしまう…。
ビリーの悲しみには同情する。
ビリーと妻の出会いは施設で、おそらくその頃から支え合い、二人にしか分からない苦労もあり、深い愛で結ばれた運命の相手同士だったのだろう。
何故、こんな事に…?
銃を発砲した相手側も悪いが、挑発に乗ったビリーにも少なからず非はある。
妻はあれだけ「挑発に乗らないで」と止めようとしてくれたのに、自分の怒りがそれを聞こうとしなかった…。
それからのビリーは見るも無惨。
生きる気力を失い、ライバル・ボクサーに復讐しようとさえする。
心配してくれる仲間に暴言。
湧いて出る借金。
久し振りに試合に復帰するも、身が入らず初の黒星、そこでライセンス剥奪となる大醜態を晒す。
果てには自殺未遂…。
自暴自棄もここまでくると、愚か。
だって彼には、まだ娘が残されているというのに…。
ビリーのそれらの行動は、ちゃんと娘の事を考えての事だったのだろうか。
娘と引き離されるのは仕方ない。
娘の将来…と言うより、母親を亡くし、父親の無様な姿をまだ幼い娘に見せるのは酷だ。
娘は勿論父を愛している。父親とは離れたくない。
しかし、自分が施設に入れられた原因は、父にある。
だから言ってしまった、あの言葉…。
KOパンチの比ではないほどキツい言葉だが、娘も苦しんでいるのだ。
ビリーには、自分を見つめ直す時間が必要だ。
自分の再出発の手段は、勿論一つ。
扉を叩いたのが、自分のかつての師ではなく、かつて自分を苦しめた選手のトレーナーというのが意外。
でもここに、本当に自分を変えようとするビリーの覚悟を感じた。
そのトレーナー、ティックのやり方はこれまでのビリーのスタイルとは全くの逆。
攻め一方ではなく、“守り”のスタイル。
この“守り”というのが単なるボクシングの技の一つのみならず、ビリーの人間性にもいい刺激を与えた。
例えば、ティックのジムのある一人の少年の異変に気付いたのも、“守る”という感情がそうさせたと思っている。今までのビリーだったら気付いてない筈。
“守る”は時として、最大の力の源になる。
誰か大切な人を守りたい、何か大切なものを守りたい…。
ビリーに試合のチャンスが訪れる。奇しくも相手は、あの因縁のライバル・ボクサー。
彼は再びリングに立つ。
その時彼が背負ったもの…。
今一度チャンプの栄光の座に戻る為ではない。
自分、娘、妻の想い…それらを守る為に。
ジェイク・ギレンホールが演技派の名に相応しい見事な肉体改造。
加えて、前半の傲慢&自暴自棄は「ナイトクローラー」で映画史上に残る最高のゲスを演じた故の説得力、後半からはすっかり彼に感情移入していた。
フォレスト・ウィテカーもさすがの安定好助演。
レイチェル・マクアダムスの出番が少ないのは仕方ない事だが、娘役の女の子も達者な演技。
監督アントワン・フークアはかつてボクサーだったらしく、ファイト・シーンの臨場感は言うまでもなく。
話はかなりメロドラマチック、クライマックスの試合で何故娘はTV観戦?、何より“サウスポー”がそれほど重要な意味を成してない…などなど少々難点あるものの、
全米では興行・批評共に不発だったのでどんなものかと思っていたが、思ってた以上に良かった。
そして、教えられた。
愛する人への想い、諦めない、不屈の精神、希望…以上に、
人間、転落したらどうなるかを。