「男の間違った感傷に溺れるMVのような映画」サウスポー 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
男の間違った感傷に溺れるMVのような映画
「8 Miles」に続く、エミネムの半自伝的映画第2弾として企画されたという「サウスポー」。もしこれが当初の企画通りにエミネム主演で製作されていたとしたら、それこそエミネムのアイドル映画で終わっていただろう。それほどに全編に亘って自己陶酔的な空気が漂っている。
愛するものも地位も財産も次々に失い、失意のどん底に突き落とされ、そこからの再起を図る物語、と言えば聞こえはいい。しかしこの「男らしさと強さの意味を履き違えた」主人公の未成熟さ。失意の中にいることに同情はできても、我が子を差し置いて自暴自棄になるような男に魅力を感じることは難しく、子を持ついい大人の「成長」を見せてドラマにしようなどとはあまりにも浅はかなことだ。もし、この映画から男のロマンを感じてしまうとしたら、それは非常に危険なこと。ところが、この映画からはどこか「そんな俺かっこいい」が見え隠れするようで恥ずかしくなる。こういうところに、エミネムのアイドル映画だった片鱗を感じる。
そんな陶酔感を中和させるのは演者たちの熱演だ。内向的な青年イメージを払拭しようと難役に次々挑むジェイク・ジレンホールが、ここでも精神的にも肉体的にも役柄に入り込んで作品を牽引する。彼の本気の演技があるおかげで、ただの幼稚な男の中にどこか魂があるように感じられてくる。彼が演じたことで作品のドラマ性が高まったのは間違いない。「ナイトクローラー」でも感じたが、ここ数年の彼からは、演じることに対する本気度がひしひしと伝わってきて興奮してしまう。
忘れてはいけないのがレイチェル・マクアダムス。彼女が演じるのは、体のラインがくっきり出るようなドレスを着て大ぶりなアクセサリーをつける少々蓮っ葉な妻だが、映画の中では最も真っ当なことを言う人物である。主人公にとって彼女がミューズであったことがよく分かる神々しさをマクアダムスが映画に残す。冒頭部分にしか登場しないにも関わらず、最後の最後まで彼女の存在の輝きがキラキラと湛えられ、親子関係の物語も男の再起の物語も陰で支えていた。
ただ演出には感心できない。スローモーションの多用。感傷に溺れるような安っぽいサウンドトラック。躍動感あるボクシングシーンにさえ、まるでミュージックビデオのような編集を入れてしまう無粋さ。最後の試合のシークエンスなど、役者が本気で演じ、数あるボクシング映画の中でも屈指のリアリティで昂揚させるシーンを生み出しているというのに、ぶつ切りの編集がそれを台無しにしてしまう。
物語に深みを出すために「死」や「施設育ち」などという深刻な設定を安易に挿入するのも不満だ。ボクシングジムで出会う少年ホッピーにまつわる話など、軽はずみに「死」を取り上げ無責任に放置して終わってしまった。映画の彩りだけに「死」を使われるのは気持ちのいいことではなかった。